所属変更のお知らせ

2009年4月より、所属を関西学院大学に移しました。ひきつづきGLOCOMでの仕事もする予定ではいますが、ひとまずは5年近くお世話になった組織と、14年住んだ東京を離れ、新たな地での一歩を踏み出すこととなります。

お仕事上のおつきあいのある方々にはあらためてご挨拶させていただきますが、さしあたりこのエントリでは、就職にあたって考えたことなどを。

00年代の「院生ゲーム」で駒を進めるにあたってのアドバイスを、と言われたら、以下のような感じだろうか。

  • 「研究課題の追求」と「生活の安定」と「院生・教授との人間関係」は、同時に全てを達成することのできない目標です。どれかひとつは早々に諦めてください(ただしふたつは頑張って達成しましょう)。
  • 書籍代も書籍を置く場所も学会参加費も出張旅費も取材費も、全て個人で賄いながら研究するのが院生です。この時点で院生は、職を持っている研究者に対して年間100万円以上のハンデを負っています。また、実家住まいの院生とそうでない院生では、計算の仕方にもよりますが、年間数十万円は使えるお金に差が付くはずです。ですが、貧乏に耐えてこつこつと研究しても、なんの自慢にもなりません。研究に対する機会の不平等とは無関係に、研究成果は「平等」に評価されるからです。
  • というわけで、お金になりそうなことはなんでもやりましょう。塾や予備校の講師は、それが楽しいならば別ですが、拘束時間で考えると研究には向きません。理想はCOEの研究員やRA、シンクタンクの研究員など、研究活動にも役立てる職場です。個人研究費が支給されない職場でも、プリンタで大量の資料が印刷できるだけで相当のメリットになるはずです。
  • こういうご時世ですから、あなたの研究するテーマや能力によっては、早いうちから出版や取材の話が来るかもしれません。受けるかどうかは自由ですが、「そんなことをしていないで研究しなさい」という指導教員の言葉は無視して構いません。その人は知的には誠実かもしれませんが、それに従ったからといって、あなたの就職先を世話してくれるわけではありません。
  • あなたの名前が売れてくると、「君くらい優秀な人、すぐに就職が決まりそうなのにね」などと言ってくる院生仲間や先輩に出くわします。心の健康のために、「俺なんかとっとと院を出て行けってことか」などとひねくれず、言葉通りに受け取っておきましょう。
  • あるいは、そういう「売れている」仲間を見ながら、「なんであんな適当な奴らが評価されて、自分はこんなに苦労しないといけないんだ」と思うかもしません。確かに不当に評価される人はいます。ですがあなたが就職できないのは、彼らが売れているからではなく、あなたが評価されていないからです。

上記はもちろん皮肉なので、本気で受け取らないように。きちんと科研費を取ってきて、院生のために実績になる仕事を世話してくれたり、非常勤の仕事を振りたいと思っている先生方はたくさんいます。挨拶ができる、言われた仕事をきちんとやる、チーム作業を円滑にこなせる、そういった当たり前のことができれば、真面目な生き方が報われないことなどないはずです、たぶん。

けど、分野によってはそういう仕事もしにくいし、研究者なんて本質的には「自分以外はみんなバカ」と思ってる人の集まりなので、仲良くなんてできない!という場合もあるでしょう。そういうときは、とにかく院生以外の友だちや先輩をたくさん作っておくことが大事だと思います。あなたが「こうでないと生きていけない」と思っている世界は、あなたが思っている以上に特殊で変な世界です。派遣制度の問題はあるでしょうが、修士のうちに、バイトや派遣でもいいから会社勤めを経験しておくのは、とてもいいことだと思います。

あと、最近色んな人に言われて困ったので書いておくと、大学の外で本ばかり書いていて職が得られるほど、大学の公募人事はラディカルに変化してはいません。僕はもともと実体のあるプロダクトを作ることが大好きだし、実務経験を生かせば、情報系・コンテンツ系の新設学部には、人手が足りないところもたくさんあるので、そういうところの公募なら事情も違ったのでかもしれない。けど、どんなにクリエイティブ系の学生たちがかわいくても、僕はやっぱり社会学を教えたかったので、それなりに履歴書に書けることを増やす努力はしました。

人間関係で言えば、自分のことを評価してくれている先生には「最終的には自分は研究者として活動をしたいのだ」ということはきちんとアピールし、可能ならば共同研究プロジェクトや科研のお手伝いなどに入れてもらいましょう。分かってくれる人は、必ずいます。あと、大学院を出ると一番困るのは図書館です。大学図書館が使える条件を確認したり、充実した大学図書館と連携している近所の公立図書館の情報を調べておきましょう。

論文執筆や学会報告は当たり前のタスクですが、毎年同じ報告をしていると、知り合える先生の幅も、紹介してもらえる非常勤の口も減るので、できれば学会については、毎年部会が移れるようなテーマ設定を心がけましょう。複数の学会に所属するのもいいですが、学会によっては、丁稚奉公してくれる若手を求めているところもあるので、どのくらいコミットするべきかは、あらかじめ決めておきましょう。

 

2001年に博士課程に進学して、ほぼ同時期に物書きとしての仕事を始めた僕のキャリアコースは、実際、かなり特殊なケースだ、と自分でも思う。でもそれを見て、手っ取り早く自己主張と生活の安定の両方を手に入れたいと考える文系の院生が出てくれば、どんな先生だって「あいつらのせいで最近の学生は悪い方向に向かっている」くらいのことは思うだろう。僕だって危ないから真似するのはおよしなさい、って普通に言う(だから繰り返すけど上記の話は皮肉なのだ)。

けど、その特殊コースのせいで知ることができたものもある。それは、現代の日本社会が、知的な、特に社会批評や社会理論などの、ときに「実がない」と批判される知見を、切実に必要としているということだ。ビジネスモデルが成熟し、特に消費者向け分野では多様なニーズの掘り起こしが求められる現在、多くの人がイメージする「実のあること」だけで商売が成り立つわけではない。企業の中でも頭の切れる人ほど、アカデミックな智恵(知識=Knowledgeに限らない)をビジネスに活かせる能力を持っているのに、アカデミシャンは、端から「あんなもの、上っ面と金の世界の結託」と決めつけてかかっている。

結果として生じるのは、「知的誠実さを守る」という正論の陰に隠れる、排除的なセクショナリズムだろう。タコツボに籠もって非社会的でいなければ誠実でいられないような不器用さは、ときに尊敬に値するけれど、ことさら自慢するようなことではない。この数年、アカデミックな背景を持ちながら、物書きとして長いこと活動をしている方と知己を得る機会がけっこうあったのだけれど、そういう人たちは得てして、経済的・人間関係的な理由で、アカデミズムを追われた、といった経歴を持っている。彼らは開き直っているのではなく、むしろそうした閉鎖的なアカデミズムがハビトゥスとして再生産されていることに、心底うんざりしているのだと思う。

僕は幸運なことに、研究仲間(ときに酒代を貸してくれたりもした)にはとても恵まれたし、若手潰しみたいなものもまったく経験しなかったけれど、とても能力があったのに、途中リタイアを余儀なくされた「真面目」な友だちは、何人もいた。理由は様々だけれど、「一度出たら二度と入れない」「ボスへの忠誠を誓わされる」「ローカルルールの内面化を強要される」という昭和の企業みたいな理念を「当たり前」として受け止めている人は、まあそれなりにいるわけだ。「理念型としての昭和」が、就職がないからこそ、むしろ若い人によって再生産されるという構図は、企業でも大学でも同じだ。

そういった理念は、特殊な人間関係を生きていく上では覚えておくべきだけど、自分のやっていることを結果で判断されたいと思うなら、きちんとその原資がどこから出ているかを自覚しておくべきだ。研究所では、それはプロジェクトの契約を結んだクライアントから出ているし、大学なら学生の保護者、調査研究なら税金や財団の運用資金であって、偉い先生があなたに施しをしているわけじゃない。「自分は正しいことをしているはずだ」と愚痴って溜飲を下げたら、とっとと自分の仕事に戻った方がいいんじゃないか。オレモナー。

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