見失うほどの平和

雑記

新しい大学は、兵庫県の山の上にある、「オサレ」としか形容のしようがない、とても瀟洒な造りのキャンパスが特徴の大学。ロケーションで言うと、ハルヒの舞台となった辺りから、山ひとつ挟んだ反対側くらいだと思えばいい。そんなわけだから当然、最寄りの駅から大学まで歩こうとすれば、

うすらぼんやりとしているうちに学区内の県立高校へと無難に進学した俺が最初に後悔したのはこの学校がえらい山の上にあることで、春だってのに大汗をかきながら延々と続く坂道を登りつつ手軽なハイキング気分をいやいや満喫している最中であった。これから三年間も毎日こんな山登りを朝っぱらからせにゃならんのかと思うと暗澹たる気分になるのだが、ひょっとしたらギリギリまで寝ていたおかげで自然と早足を強いられているのかもしれず、ならばあと十分でも早起きすればゆっくり歩けるわけだしキツイことでもないかと考えたりするものの、起きる間際の十分の睡眠がどれほど貴重かを思えば、そんなことは不可能で、つまり結局俺は朝の運動を継続しなければならないだろうと革新し暗澹たる気分が倍加した。(谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』)

というキョンの思考が完璧にトレースされて僕の頭の中に再現されるのであり、実際、この数週間というもの、引っ越しの荷物の中からサルベージしそこねたおかげで自宅からカートを引いて持ち込まざるを得なくなった大量の文献を抱えて坂道を上り、90段近くある階段の頂上にたどり着く頃には完全に息が上がっており、しかしそれでもまだ大学までの道半ばであることに本当に暗澹としながらまたカートを引く、の繰り返しだったわけだ。

ちなみに、その上り坂は仕事を終えて帰る夕暮れの時間には、当たり前のことだが下り坂になるのであり、地獄のような階段も、見渡せば眼下に(絶景とは言えないまでも)それなりに綺麗な夜景を眺めることができるわけだが、いま僕がしたいのはそっちの話じゃない。

階段を上り終えてひとつ角を曲がると、そこから大学までは一直線の緩い上り坂で、日本を代表する樹木のひとつであろうソメイヨシノが両脇をがっちり固める通りに出る。

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入学式~講義が始まる今週辺りがちょうど桜は満開の見頃で、地元の住民の皆様は、車が来ない時を見計らっては、車道に出て写真撮影。ほとんどの人が大型犬の散歩中であり、持っているカメラがデジイチである辺り、この土地の階層性を感じないこともない。ちなみに坂の途中で「あんぱんっ……!」と呟いて立ち止まっている美少女は、目を皿のようにして探したけれどまだ見つかっていない。

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とはいえ坂の途中には、何の変哲もないバス停なのに、どこかで新海誠さんがロケハンしてたりするんじゃないかと辺りを見回したくなるような、あるいは佐原ミズの『バス走る』に出てきたバス停ってこんなだったんだろうかと思わせる、しかしやっぱり何の変哲もないバス停があったり、これはどこに立ち絵をかぶせればいいんですか的なロケーションが満載だ。美少女ゲームの舞台が往々にして、そこそこ裕福な中流家庭の住む郊外であることは、主人公たちのモラトリアム性と合わせて重要な条件だと考えていたのだけれど、それはここにあったのだなんてことを思わなくもない。

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坂を登り切ると、青空に映える白い壁と赤い屋根が美しいキャンパスがお出迎え。スパニッシュ・ミッション・スタイルとか言うらしいこの建築は、初めて見たときは何このディズニーランド、と思ったのだけど、実は建学の頃から100年近くこのスタイルらしく、実際にキャンパス内の建物も、ものによっては築40年以上になる。時計塔を眺める中央芝生は地域の住民に開放されいて、子どもの遊ぶ声が絶えることはない。

とにかく、平和なのだ。

思わず、自分はどこにいるのだろうという気にさせられる。サークルの勧誘合戦が始まっている。眉間にしわが寄る。山の上の地方私立大学は、流動性の高い都市部とは違って、同年代の日本人ばかりが集まっていて、大人になるのが少しだけ遅れても怖いことなんかない。学生たちの一体感の強さやロイヤリティの高さは、平和という名の繭が彼らを優しく覆っていることから生まれているのだと思う。彼らは世界の悲惨も、苦しむ若者の現実も、すべてこの繭のフィルターを通して知ることになるだろう。

それがいけないことだとは思わない。僕らはテレビを通じてしか飢える子どもを知り得ないし、知らなければそれはなかったことにされるだけなのだから。僕の中のロスジェネ根性は、まぶしすぎる彼らの青春を正視するのを躊躇わせるのだけど、そこで背を向けるのは正直かっこ悪い。いや、かっこいいと言う人もいるだろう。でも彼らだって別種の傷をなめ合う内集団を構築するために、外集団としての「奴ら」の現実から目を背けてレイベリングしているに過ぎないのであって、そこに正義や倫理を持ち込んでも詮無い。ある出来事の当事者であることは、別の出来事の当事者になれないということを決して免罪しない。それができると思ったところに、日本の学生運動の崩壊の一因があったのだと、僕は思っている。

戦争が待望されていたのではなく、平和が憎かったのだ、と思う。この場所にいると、それをとてもよく感じる。あそこには戦争がある、けれどここには彼女との平和がある、という対比こそがセカイ系を支える想像力だったとすれば、文字通りここにはセカイ系の平和がある。そしてその中にいればこそ、「本当は既に戦争なのだ、お前らはぬるま湯の中の甘ちゃんなのだ、いっそこの平和をぶちこわしてやる!」と叫んでも、この平和は絶対に崩せないだろうと思う。震災という熾烈な非日常から立ち上がり、安楽の日常を取り戻した人たちが多く住む土地だけに、その感覚は特に強い。

平和の中で自分を見失うのは容易い。平和を憎む人と共に罵詈雑言を投げかけるのは、もっと容易い。一番困難なのは、平和の中でひとり見えない銃を撃ちまくることだ。下り坂になった帰り道、桜の花びらが舞い散るのを見ながら、東京の桜は、たくさんの人に地面が踏み固められたせいで、花ごと落ちる弱い桜の樹が多くなっていると聞いたのを思いだした。学生たちの歩みは、きっとこの土地の桜を弱らせるには少しだけ臆病に過ぎるのかもしれないな、と思った。

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