「身の丈に合わせる」ということ

33歳になった。もう歳を取ることに感慨はないし、さりとて「若手」なる代名詞は相変わらずついて回るしで、宙ぶらりんなことこの上ない年齢だ、と思う。自分の周囲を見れば、「え、この人で40代なの?」と思うほど若々しい人も増えたし、自分の周囲を見ても年齢を感じることはほとんどないのだけれど、10代、20代のころに漠然とイメージしていた「大人」の間にもたくさんのステップが存在していることくらいは自覚できるようになったこともあって、どんな壮年・中年になればいいのかというモデルの不在にまつわる不安感は、若い頃より増しているように感じる。

その不安の原因は、良くも悪くも若い頃に「変な大人」に囲まれすぎていたからというのが大きいと思う。同世代だとその手の大人との付き合いは得てして学生運動崩れとかがトップに挙がるのだと思うけれど、僕の場合、ミュージシャンや役者、グラビアアイドル、モデルから、フリーライター、タレント学者、風俗嬢とホストのヒモ、ナンパ師等々、同世代でもあまり縁のない人と関わることが多かった。「人はどこまでダメな大人になれるか競争」のシード権は、たぶんそのときに獲得したんだと思う。

ダメな大人とは言っても、僕が接してきた先輩や友だちはみんな才能にあふれた人たちで、この人たちが世間から注目を集め、人前に出るようになるのは必然だなあとも思っていた。彼らの周囲でそうならなかった人たちには、その地位にとどまるに至ったそれなりの理由があったけれど、努力だけでは埋まらないものは、間違いなくあるんだと感じていた。なぜか同じような立場に立たされている今でも、自分が「あっち側」の人間でないことはまま痛感する。

そんなわけで、最近は「身の丈」について考えることが多くなってきた。昔は大嫌いだったこの言葉も、いまなら少しだけ違う風に受け取れる。まだ自分にだって「才能」と呼ばれるべき何かがあるはずだと過信していた頃には、「身の丈を知る」「分を弁える」というのは、有りもしない才能を想定して背伸びした目標を設定することの愚かさを、真の天才たちから嗤われているような気がして、ムキになりつつも落ち込んだものだ。だけど、身の丈を知るというのは、目標の過大さではなく、目標に比した自分のショボさを知るということなのだというのが、最近になって分かるようになってきた。

言い方を変えれば、身の丈を超えた目標とは、実力以上の目標を持つことではなく、その目標を持つに至った動機のショボさの問題なのだ。たとえば「ノーベル賞を取るような、世界的な学者として認められたい」という目標を設定した人がいたとして、それは、彼にその能力や才能がないからとか、そういう努力をしていないから問題なんじゃない。それが「小学校の時にガリ勉ガリ勉って僕をいじめたあいつを見返してやる」程度の動機に駆動されていることが問題なのだ。

結果として、そういうショボい動機付けからノーベル賞を取る人もいるだろう。でも、「あいつを見返したい」程度のことなら、年収で勝つとか、単に子どものうちに腕っぷしを鍛えてケンカを挑むとか、そういうことで達成可能なはずだ。ノーベル賞を目指すというなら、それにふさわしいだけの動機が必要になるし、たとえ初発の動機がショボかったとしても、研究の過程で自らの動機をアップデートしていかなければ、目標に向かい続けることはできないだろうと思う。

身の丈を知るというのは、たぶん、目標を切り下げることではなくて、動機のサイズを自覚するということなのだ。目標を設定した動機と、動機を達成するための手段のアンバランスを自覚し、動機にふさわしい目標を設定したり、それが不可能なら、目標にふさわしい動機を見つけ出したり、そういうことで両者のバランスを取ることが、身の丈にあった振る舞いを可能にする。出世とか、キャリアアップの過程で常に「現在の自分に向けられた期待に見合ったモチベーションを発見する」ことができる環境こそが、人を育てる上で一番大事だと思うし、幸運なことにこれまでは、そうしたいいステップアップができる機会に恵まれてきた。

ブログや同人誌から単著出版までの距離が短くなってきたことで、物書きを目指す若い人は増えているのかもしれない。すごく面白い文章を読む機会も増えたし、僕なんかより数段頭のいい人たちがもっと出てくるのだろうなと思う(てゆうか頼むから早く出てこい)。他方で、そういう中でも、緻密に議論を重ねれば重ねるほど、背後の動機付けが「ネットで僕の悪口を言う10人を黙らせたい」とかいうショボいものだったりするのが透けて見えて、「仕事は評価するけどこの人とは関わらない方がいいな」と思わされる人もいる。ことネットに関しては、別に若い人に限らないかもしれない。

若い頃に「変な大人たち」と出会って一番勉強になったのは、「人は、自分が相手にしている客の単位が大きくなるほど、他者に対して謙虚かつ寛容になれる」ということを肌で感じられたことだ。一万人程度じゃ、まだいちいち腹を立てたり落ち込んだりすることから自由にはなれないけれど、ケタがひとつ上がったくらいから、人間が変わってくる。そのことで失われるものもあるのは確かだけど、十万というオーダーに見合った動機付けを手に入れられた人は、一万人を相手にしていたときに気にしていたことが、別に気にならなくなるものだ。

33歳、大学教員、メディアに出る人、本を書く人、といった今の自分の身の丈はどのくらいだろう。そして、それに見合う動機づけや、気にするべき相手のランク、サイズはどのくらいだろう。組織に入ることと歳を取ることで、中長期的な見通しを立てて動くことが、以前よりもずっと楽になった。若い頃は「次は何をしよう」と考えることが多かったけど、今は「今より伸びた次の自分の身の丈」について考える方が、少しだけ楽しいかもしれない。

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に
宮台 真司 (みやだい しんじ)
世界文化社
売り上げランキング: 4117
大学で何を学ぶか (幻冬舎文庫)
浅羽 通明
幻冬舎
売り上げランキング: 77607

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする