直列につながった僕たちは

春アニメも終了の時期になり、どっちを先にしようか悩んだのだけど、まずは「東のエデン」の感想から。どうしても神山作品というのは批評というか「難しいこと言い」に評判がよくなるわけで、エンターテイメントとして楽しい作品にこそ、「過剰」としての批評が蛇足のようにくっついてくるものなんじゃないかと思っている僕としては、批評的な価値があるからこの作品を褒めていると思われるのもイヤなのだけれど、ともあれ確かに難しいことを言いやすい作品だったと思う。

ただ、それを離れてこの作品を評価するのは難しい。羽海野チカの手によるキャラクターは、どんだけ滝沢が森田さんにしか見えなかろうと、それゆえにこそルパンIII世やシティーハンター、そして神山監督のS.A.Cシリーズに連なるシリアス・アニメの枠をいい意味で壊していたし、嫉妬したり、野望を抱いたり、大きく展開する物語にただ戸惑ったりする登場人物たちの「普通」っぽさが際だつという点でも、いいコラボレーションだったんじゃないか。

それでも、繰り返すけどそれ以外の部分の評価は難しい。「ノブレス携帯」というアイテムの謎を、「記憶喪失の主人公」とともに解き明かしていくという展開は構成としてとてもよくできているし、ある程度ストーリーが進んで、この「ゲーム」の仕組みが分かってからは、セレソンや東のエデンのメンバーそれぞれの意図が絡み合って、並行する物語に引き込まれるようにできている。しかしだからこそ、僕たちはゲームそのものの妥当性に疑義を挟むことを禁じられてしまうのだ。

ノブレス・オブリージュという単語が出てきた時点で、これまでの神山監督の仕事を知っている人ならば、これが「S.A.C. 2nd GIG」から連なる問題関心を具体化した者であることはすぐに分かっただろう。以前、S.A.C.三部作のブルーレイディスクの特典用に監督と対談させてもらったときも、彼は「エリートがネタとして消費されてしまうこと」の問題をしきりに挙げていた。クゼのような人物が、300万人の、おそらく難民というよりは単なる傍観者たちに接続されて消費されるのに対して、合田のような「プロデューサー」こそが、(おそらく初音ミク楽曲の作者としてのプロデューサーと同じ意味で)ネット的なコミュニケーションの中に入り込んでいる。この段階で既にエデンの企画はスタートしていたのだと思うけれど、ともかくS.A.C.までは、「公的意志を持つエリートとエリートを消費する大衆」の図式が描かれていたわけだ。

「東のエデン」でも、テレビシリーズの後半、滝沢が記憶を自ら消した理由が、まさにそうした「エリートを消費する大衆への絶望」にあったことが示唆される。しかしながらそれを知ってなお滝沢は、2万人の「ニート」たちを集め、彼らの前に再び悪人として登場し、彼らにミサイルを打ち落とすための策を考えさせるのである。

そこで滝沢が言う「あいつらは直列に繋ぐと、すごいポテンシャルを発揮するんだ」という台詞は、おそらくこの段階での本作の核心だろうと思う。つまり滝沢は、「善導するエリート」ではなく「システムを使うエリート」の道を選んだのだ。あるアーキテクチャを設計しておいて、そのメカニズムの上で人々を「直列」に接続し、その中からアーキテクチャが最適と判断した解を採用するのである。

これは要するにインターネットの「集合知」を利用し、社会を変えようという話なのだと思う。興味深いのは、滝沢は「ニート」たちの個別の能力には、大して期待していないしむしろ絶望しているのだと思うけれど、そんな連中にも何かひとつくらい才能があって、「直列」につなぐ――つまり「水平」の組織分業ではなく、同じタスクをたくさんの人間に一斉にやらせる――ことで、ひとりではできなかったことができるようになるかもしれない、と考えたわけだ。

我田引水な話になるけど、これは僕の言葉で言えば、「工学的民主主義」のエリートから、「数学的民主主義」のエリートへとイメージを変えたということなのだと思う。つまり、人々に民主的な意志をインストールするエリートではなく、利己的な人々の振る舞いを公共的なものに変えるアーキテクチャを用いるエリートだ。さらに本作では、そのアーキテクチャを設計した東のエデンのメンバーではなく、彼らを見出し、巻き込んでいった滝沢が「王子様」として君臨するという点が重要だ。アーキテクチャ話っていつも、結局ソースを書くプログラマーの役割こそが重要だ(だからプログラムを分からない公共的な意志を持った人物による統制が必要だ)、って話になりがちなのだけど、そうではなくて、人々を巻き込むシステムを作る人物を巻き込む才能こそが、エリートの資質なのだという話になっている。

その意味で、氷川竜介さんには『サブカル・ニッポンの新自由主義』を参考文献として挙げていただいたのだけれど、僕としては『ウェブ社会の思想』の話の方が近いんじゃないかという気がする。そしてこの後に続く映画二部作では、きっと僕が考えていたことの「先」、つまり、エリートとして君臨した滝沢の、最終的な退出が描かれるのだろうと思っている。なぜなら、究極のシステムとは、エリートがいなくなっても以前と変わらずに作動するものであるからだ(これは随分昔から、宮台さんが言ってたことでもある)。というわけで、僕としてはこの続きに期待すると同時に、「なんかでも今回も『やっぱりダメでした』」的なオチになったらいやだなーという予感もしてきているのだった。

あ、関係ないけどノブレス携帯の商品化を切に希望します。

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