tsudaらない理由

昨日は、大阪で開催されている若手建築家の展覧会「Architecture After 1995」のキックオフミーティングということで、藤村龍至君と対談。2時間半に及ぶ対談がスケジュールされているのに、いつものごとく「メモを取れ、質問を考えろ、最後まで残れ」という苦行のようなルールを設定する藤村君は容赦ないなあと思いつつも、喋ってる方としては、短くも長くもない、おさまりのいい対話になったという感想。内容についてはどこかで誰かが語ってくれると思うのでそっちを参考に。僕としては、何を喋ったかより、対話したことをきっかけに何をするかの方が大事なのだ。

ルールの設定といえば、当日はトークの前に「今日のイベントはtsudaるの禁止」と宣言して、とはいうものの僕にそれを止める権利はないし、基本的に藤村君イベントは実況推奨なのであまり大した効果を発揮しなかったのだけど、ちょっと戸惑っていた人もいたみたいなのでその補足。僕は何も、イベントを中継されると、そっちで満足しちゃって会場に足を運ばない人が増えるとか、ましてイベントの発言に関する権利は僕にあるんだぞ!なんてことを言いたいのではない。まあそういうキャラじゃないわな。だいたい僕の場合、トークイベントでは常に瞬発力で「れしーぶとすっ、すぱいくっ」してるわけで、自分では何を喋ったのかちゃんとまとめられていない。なので、誰かのレポートを読んではじめて、全体の構成が再確認できるとか、むしろ助かることだってあるわけだ。

じゃあなんで昨日に限ってそんなことを言ったのかというと、会場でも喋ったとおり、ネットの集合知に潜む問題と、イベントの性格というのが理由。僕らのようなややこしい話ばっかりする人の話は、その内容についてあらかじめ理解があって、「ああ、あの話ね」って分かる人であれば、文字起こしに近いメモを取りながら質問を考えることだってできる。でも、建築家と社会学者という組み合わせで、かつ歴史や世代の問題が絡んでくるようなテーマ、両者の喋っている固有名やトピックを完全に追える人間は、たぶん会場には一人もいなかったはずだ。

ということは、僕らのトークを実況したとしても、一人で完全なログを作れる人はおらず、したがって「#aa95」のようにハッシュタグを付けて実況に参加することで、多数の人による実況が集約され、全体の流れが補完されるという集合知のメカニズムに頼るしかない。例えばネットだけで議論を追っているような人には、それはとても有用だろうし、後から振り返るときにも役立つだろう。ただここで忘れてはいけないのは、集合知は個別のアクターのパフォーマンスが不完全なものであっても、システムによってパフォーマンスを集約することで全体のポテンシャルを高める仕組みだから、逆から見れば個別のパフォーマンスが低いままでも全体最適が実現されてしまうということなのだ。これは「教育」とか「鍛錬」という観点から考えたときに、集合知のメカニズムが必ずしもプラスに機能しないことを示している。

そして今回のイベントは、どちらかといえば学生が主体の、いわば教育に近い性格を持っているものだった。もちろん藤村君が補足していたように、こういうものは慣れだから、集中してやってればいつかうまくなるのかもしれない。でもそこで鍛えられるのは「実況」のスキルであって、「ノートテイキング」のスキルではないのではないか。

なぜ、これだけデジカメが普及しているのに、ノートを取る代わりに先生の板書をデジカメで撮影することが推奨されないのか。きっとevernoteが日本語解析に対応したら、板書の画像をアップするだけで後から検索も可能になる。それならばノートなんか取らずに、ICレコーダーで先生の喋りを録音し、デジカメで黒板などを撮影しておけばいいのではないか。

むろんそうならないのは、結局それらは授業の「記録」に過ぎず、その内容を「記憶」にとどめるものにするためには、一度手を動かすなどの作業を通じて、データを記憶へと変換する作業が必要になるからだ、と思う。そして「実況」とは、そうしたまとめ(≒主観による偏向)を出来る限り入れず、ありのままに伝える行為だから、正確に書き起こそうとするほど、そこで話されていることは記憶に残らないのではないか。そんなわけで、全ての内容を把握できるだろう人が誰もいないと予想され、また教育的効果を期待されている場だということもあって、あえて「tsudaるの禁止」と宣言したのだった。

あと、当日言わなかった理由として、やっぱり僕らは生の現場では、相手や聴衆の反応を見ながら喋っている。たとえ流れを遮ってでも枝葉末節の確認をしなければいけないときもあるし、聴衆が追いついてきてないと思ったら分かりやすいたとえ話を持ち出すこともあるし、ダレた空気になってきたら多少のジョークを挟んだりもする。そりゃ審議会のような場所なら、あとで議事録に掲載されないかもしれない発言を書き留め、リアルタイムで公表することには意味があるだろう。でもトークショーの場合、発言の流れそのものが現場で決まっていく上、それは聴衆を飽きさせないという目標に向けられたものなので、話者の発言だけ切り出しても文脈が伝わらないのじゃないのか、と思ったのだった。

しかし、どうなんだろうね。最近はパワーポイントだけで講義をして、それも事前にファイルで配布しておくスタイルの講義やレクチャーも増えているみたいだけど、学生さんたちはどうやって勉強しているんだろうか。もともとノートテイキングのスキルを中学・高校までに磨いてきた人ならともかく、「わーこれでノートいらないやー」とか思ってる学生には、むしろマイナスの教育効果を与えてしまわないのだろうか。この辺も教授法研究の一環として気になるところ。

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