裏切り者はだれだ

雑記

昨日の小沢健二ライブ@中野サンプラザの衝撃が強すぎて、日が変わってもぼーっとしていた。いろいろと考えながら聞いていたのだけれど、あの日の歌が岡崎京子へも届けられていたのだと聞いてしまえば、もうそれ以上何も言うことはできない。ただそれとは別に、ライブ中にしていた話――まだツアー中だし、強く文脈づけられた発言だったのでここでは紹介しないけど――が面白かったので、ちょっと触発されて考えてみる。

世の中には、格差というものが存在している。それが仕方のないことなのか、許されないことなのか、意見は分かれるけれど、間違いなく格差はある。その根っこには、差別があったりもする。人種問題なんかはその典型だ。かつての差別的な制度が尾を引いていて、スタートラインから差が生まれているから、結局のところ格差が再生産されてしまうのだ。

ただ、スタートラインの格差というのはすごく見えにくい。見えにくいから、スタートラインから恵まれた人たちは、格差があるんだ、というと、そうなのかなあと思って、そいつの努力が足りなかったんじゃねーの、なんて言ったりする。それを聞いた恵まれない人は、金持ちは自分たちが恵まれていることを理解せずに、まるで俺たちが悪いかのように思ってやがる、と腹を立てる。

でもこの問題を考えるときに、ひとつややこしい話がある。それは、格差をものともせずに成功した人の存在だ。人種問題で言えば、成功した有色人種、ということになるのだろうけど、もちろんそれと裏表のような関係で、貧困にあえぐ白人というのも出てくる。貧困状態にある白人は、格差解消のためということで有色人種が優遇されているのはおかしい、と感じ、差別に起因する格差なんてもうないんだ、なんて言い出す。

ここで一番困るのは、成功した有色人種だ。彼らは、自分たちが人一倍努力したと思っていても、その努力を強いられた環境が、自分たちの責任で生まれたものじゃないことも、よく分かっている。だけれども、そのことを主張すると、貧困にあえぐ白人から、差別是正措置のおかげで得をしやがって、と恨まれる。一方で、自分のしてきた努力を強調すれば、差別是正措置はいらないという話になって、有色人種のコミュニティから裏切り者扱いされてしまう。

しかも、こうした裏切り行為は、いろんなレベルで見つけられてしまう。社会的に成功したシングルマザーの白人女性は、女性に期待される育児の責任を人一倍引き受けざるを得ないにもかかわらず、有色人種の女性からは、あなたは白人だから、と言われてしまうかもしれない。

自分が裏切り者でないことを、どうやって主張するか。そのためには、自分の中にある、不利なスタートラインの属性を、自分のルーツとして強調するしかない。有色人種の大統領は、成功者としてではなく、有色人種としてのアイデンティティを、自分のルーツとして積極的に提示する。シングルマザーの起業家は、自分が母親であることを過度に強調する。自分くらいの才能があれば、育児と仕事の両立なんて余裕よ、などとは決して言わない。

かくして、差別と格差の問題は、なぜかいつの間にかコミュニティとアイデンティティの問題になってしまう。

ところで、アイデンティティとコミュニティの問題が、なぜか格差と差別の問題になってしまうケースがある。日本国内でのローカル・アイデンティティなんかがその例だ。昔「出羽の守」って言い方があった。なにかにつけ「外国では」とか言い出す人のことだけど、いまではそれに加えて「東京では」「都会では」とか言う人も、同じくらい嫌われていると思う。どうやらそういう言い方をすると、そのほかの地域に住んでいる人を見下していることになるらしい。

地元の現実を分かっているからこそ、そうでない現実を生きる人の言葉が、自己責任を押しつける成功者たちの声のように響く、という気持ちが分からないわけじゃない。どうせお前たちには俺のことなんて分からないだろう、とか、あやまれ!俺たちにあやまれ!って言えば、あちら側の現実とこちら側の現実の間に、格差や差別という問題を持ち込むことができる。けど、それは、同時にあちら側の人に加害者、こちら側の人に被害者という役割を割り振ってしまう。

それを聞いた都会の人は、なんかあるとすぐ文句ばっかり言いやがって。地方の人のコンプレックスってまじうざいよねーとか思っていたりする。そんなにイヤなら地元を離れればいいじゃん、なんてことを言ったりする。

ここでも困るのは、東京でないところから出てきて、東京で成功したけれど、東京の人ではない人だ。彼らは、地元ではない場所で孤立する辛さも、カネにさえなれば笑顔ですり寄ってくる連中の下世話さも、よく分かっている。でも、東京の人なんて冷たいよね、というには受け入れられすぎているし、田舎者は困るよね、なんて言おうものなら、お前がな、って話になってしまう。

そんなわけで彼らは、成功者としての地位を維持しながら、同時に自分のルーツを積極的にアピールするという戦略を採らざるを得なくなる。芸能人なんかでよくあるパターン。政治家も含めて、人気商売を目指すなら絶対に外せないやり方だ、と思う。

そして、そんな人気取りの立ち位置ゲームが繰り返されているうちに、ほんとうに解消するべき格差や差別は何なのかが、分からなくなってしまう。

誰もが、裏切り者になるのを恐れている。上から目線って言われるのが怖くて、ひたすら頭を下げようとする。額をひたすら地面にこすりつけているうちに、自分のことすら見えなくなってしまう。自分を見下していると思っているあいつが、自分と同じ被害者感情を抱えて傷ついているという想像力を失っていく。とにかく頭を下げながら、僕らは他の人々とのつながりを失っていく。

歌い、踊るしかないのかもしれないと思う。真実よりも、善いことよりも、僕らは美しいものを重んじる。美しいものに心を動かされることで、下げていた頭が上がる。他人が見えるようになる。そこでようやく、真実や善について話をすることができる。君が詩を書く。彼女が唄を歌う。それに合わせて僕が踊る。怒りの声が、笑い声に変わる。全員が裏切り者なのだとしたら、結局は裏切り者なんていなかったんだね、と、誰もが気づいて、また笑うのだ。

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