ギャル演歌の世界へようこそ Part.2

完全にノリで書いたのに、気づいたら速水さんの連載をはじめ、微妙な広がりを見せている「ギャル演歌の世界」。自分としては、批評的な距離感もなく、揶揄する意図もなく、ただ目の前にある風景――音楽があって、それが好きだというコがいて――について「わかるわかる!」の気持ちで書いたので、変に展開するのもどうかなと思ったのだけど、「オタク」の例を挙げるまでもなく、言葉の一人歩きは怖いし、最近某所でインタビューされたこともあったので、そこでの話を元にしつつ、簡単に。

まずギャル演歌の定義について。前のエントリでは「内向的でうじうじしていて、依存心が強く、本当は男に引っ張ってほしいけど、でもそれが叶わないからがんばって一人で生きるんだってパターン」って書いたもんで、これが定義みたくなっているのだけど、さすがにざっくりしすぎなので、以下のような歌詞が特徴的な女性アーティストの楽曲、ということにしてみたい。

(1) 恋愛に関する現在、あるいは過去の苦い経験が歌われている
(2) 一人称で語られており、内省的な感情、特に「後悔」が主題になっている
(3) 同時に、その経験を乗り越え、「自立」や「成長」する決意が語られる

例えば(1)では、彼女持ちの男への報われない恋や、もう別れてしまった男へのメッセージがテーマに選ばれることが多い。それが(2)の話で、「あの頃あたしたち~~だったね」のような手紙調で語られたりする。

一方で、その相手との過去の描写の具体性が乏しく、「いろんなことがあった」くらいの薄さでまとめられ、どちらかというと「素直になれずに」とか「傷つけあった」といった、感情に関する描写の方が多くなるのも特徴的。そして楽曲の後半で、その後悔が「この気持ちに嘘はなかった」「あなたの幸せをいつまでも願ってる」「夢に向かって歩き出す」など、前向きな感情に回収されるわけだ。

ただ最近では、西野カナのニューアルバム『to LOVE』みたいに、女性同士の友情を描いた作品も目に付くようになっている。男は裏切るけど、友情は裏切らないということだろう。ガールズトークとか女子会とかのブームともリンクするこのマーケティングセンスはさすがだと思うけど、ただそこでも「世界で一番幸せになってほしい」(「Best Friend」)「誰が一番にヴァージンロード歩くとか」(「Summer Girl」)など、幸せを手に入れて、今より「よい」状態にステップアップすることが目指されていることに変わりはない(曲によっては、過去の苦い恋が示唆されてもいる)。

では、こうした楽曲群が新しいのかといえば、そんなことはない。「演歌」呼ばわりするくらいで、報われない恋をひとり悲しむなんて、ド定番のテーマ設定だ。女同士の友情にしたって、森高千里「気分爽快」や、明示されてるわけじゃないけど、Dreams Come Trueの「サンキュ.」など、目新しいテーマではない。

それとは逆に、共通点が多いように思える、かつての「コギャル・ソング」、例えば小室哲哉の手になる一連の楽曲や、浜崎あゆみの初期の楽曲なんかとは明確に線を引きたいと僕は考えている。これらの楽曲に共通するモチーフは、「自分のことを受け入れない厳しい世界」と「自分を受け入れてくれる恋人」が、対比的に描かれ、「世界は厳しいけど、あなたがいてくれる」ことが救いになっているということ。そこでコギャルであるということは、小室自身が明言していたとおり、「厳しい世界」に対する「鎧」だったわけだ。

その厳しさから守ってくれる恋人が「救い」として求められている点は、ギャル演歌と同じに見えるかもしれない。が、詳細に歌詞を分析すれば分かるけど、むしろコギャル・ソングのモチーフは、宮台真司の言葉を借りれば「ここはどこ?わたしはだれ?」系であり、それに対してギャル演歌を貫くのは「幸せになりたい!」系の動機だ。だからこそ「後悔」と「成長」でいえば(季節で変わるけど)、後悔の方に重きが置かれるし、「厳しい世界」の描写が後退し、恋人との日常のすれ違いなどが主題化されることになる。

さらに両者の「救済」のあり方も、微妙に異なっている。浜崎あゆみの楽曲が近年になるほど、初期に特徴的だったトラウマ語りから離れ、「厳しい世界」を生き抜く「僕ら」の相互承認の方にシフトしているのは、とても重要な特徴だ。「ここ」と「わたし」を同時に手に入れるためには、「わたしたち」の居場所を作るしかないのだし、浜崎はあるとき(おそらく「I am…」ツアーの前後くらい)から、明確にファンたちの居場所になることを決めたのだと思う。

でも、ギャル演歌には、厳しい世界の環境をよくしようとか、「みんな」の幸せとか、そういうモチーフは皆無だ。そこには「あなた(君)」と「わたし」の幸せな世界への憧憬だけがあり、その外に出てくる登場人物は、書き割りに過ぎないのだ。

それだけに、ギャル演歌の歌詞はイージーに見えるし、ワンパターンだと揶揄されたりもする。けれど大事なのは、多くのギャル演歌が、アーティスト自身の手による詞であり、またファンにとっても、その背後にアーティスト自身の恋愛観を読み取るものになっているということだ。

たとえば、昨年出たYU-Aのアルバムでは、Every Little Thingの「Time Goes By」がカバーされている。当時からギャルの子のカラオケ定番ソングだった同曲だけど、いま聴いても十分通用する名曲だなとあらためて実感した。だが実は、この曲の作詞をしたのは、ELTのプロデューサーだった五十嵐充。つまり、ギャル演歌的なモチーフは当初、プロの男性の書き手による、非常にマーケティング的なセンスで書かれたものだった可能性が高いわけだ。

しかしながらそれがリスナーたちに浸透していく中で、若い女性たちの等身大の自己表現のパターンとして受け入れられていった。確かに、ギャル演歌的な楽曲はワンパターンでありきたりなものも目立つかもしれない。ただ重要なのは(ケータイ小説なんかと同じで)、それが読み手、聴き手と同じ目線にある人によって描かれたものであるということなのだ。

まあ、ケータイ小説にしても、『恋空』的なものが一瞬にして消費され、ケータイ小説そのもののバリエーションが拡大してしまったことからも分かるように、ギャル演歌的だと理解されているものがどのくらいブームであり続けるかは不明だ。しかし、ギャル演歌的なものの背後にある「病み」というキーワードや、ギャル全体を取り巻く状況はこの数年来の積み重ねがあるので、一気に波が崩れることもないんじゃないかなという気はする。ともあれ、もう少し継続かな、このテーマ。

にしても、ギャル演歌って音楽的には、ボーカルの音域が狭くてメロが平板だから、すぐにファルセット逃げちゃうところが「一人歌い」に向いてるんじゃないかとか、ところで最近、ギャルとAKB48の相性がよくなってきてね?とか、他にも気になるテーマが派生してるのだけど、調べてる時間まではないのだった。

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