あなたの欲望に寄り添うなら

一年を振り返って今年は大変だったなあと思うのは、きっと年の瀬がすごく静かで穏やかな人の特権で、それどころじゃないよ仕事だよ、って人も、このサービス社会にはたくさんいる。高度に消費社会化が進むと、今日くらいはお金で買えるサービスに頼らずに家族や友人、近隣の人々と過ごそうぜって人がいなくなるというか、そういう人たちを家から追い出してお金を使わせようとする誘惑が増えていくからだ。

もともとそういう誘惑にはあまり魅力を感じない方で、だからといって年越し蕎麦とおせちが大好きってわけでもなくて、昨年と同じことを書くけれど、要するに僕にとって年末は単に自分の死に思いを馳せる時間なのであって、無理矢理にでも孤独になる必要があるのだ。というわけで、原稿までひとしきり片付けて、何もすることがなくなったことにして、ぼんやりと一年が死ぬ瞬間を待っているのである。

消費社会化と同じ理屈で、僕たちはどんな瞬間にも「しなきゃいけないこと」を見つけることができる。Evernoteにライフログを保存、GTDでタスクを管理、メールの埋もれたログの発掘、いつかやろうと思っていることもメモして保存、そんでホントに何もなくなったら、ブログでも書いて自己表現を、というわけだ。

経済成長は必要か、と疑問を投げかける人がいる。経済成長は必要に決まっている、と経済学者は言い返す。しかし、彼らは本当はこう訊きたいのじゃないか。私にこれ以上の成長は必要ですか、と。今年できなかったことを来年こそはやろうと決意したり、目標に向けて一歩前進したり、TOEICのスコアをあと100点伸ばすための努力をしたり。そういうことは、もうやりたくないのです、と。

言い換えると、やりたいことなど特にないのに、それをどうにかして見つけてこなければ成長できないという強迫観念から自由にさせてもらえない限り、こうした人々がマクロでの経済成長の必要性に同意する可能性は低そうだ、ということだ。人には必ず何らかの選好と欲望があると経済学者は想定し、それは消費によって可能になる場合が多いと考える。だから働くことはその消費を可能にするための金銭を得る行為であって、それ自体が選好や欲望の対象だとは考えてこなかった。それにも関わらず、僕たちはますます、労働(による成長)が欲望の対象であるべきだという観念の中を生かされるようになっている。

こういう社会で、やりたいことがない人が、それでも労働による自己実現を図ろうとすれば、他者の欲望に応えるという道を選択するのは当然の帰結だ。お客様に感謝されること、社会問題の解決に寄与すること、対価以上の働きをすること。そうしたことが叶えられさえすれば、わざわざ消費による自己実現を目指さずともよい、という社会は、人件費の抑制が迫られるグローバルな競争の時代には適合的だけれども、マクロな経済成長が必要な社会にとっては問題でもある。お金を使う人を、よそから連れてこないといけなくなるからだ。

もうひとつ。サービスが主たる産業になる社会で求められる「サービス」とは、他者の欲望にそのまま寄り添うことではないという点が重要だ。むしろ、他者の望みをその人が気づく前に先回りして読み取り、提供するという「気の利く」態度こそが、理想的なサービスなのである。いわば、誰もが労働の場面においてマーケターとして振る舞い、適切なソリューションを出すことが「仕事」なのである(そういう気遣いを求められない仕事は、長年働いていようと「非熟練労働」と呼ばれてしまう)。

消費者の側から見れば、彼らの役割は、次々と提供されるサービスに「うーん」とか「そうですねー」と、アパレル店員に服を勧められたときのような曖昧な笑みを返すことになる。明確な否定は、そこにはあまりない。なぜなら、店員の気遣いによって進められたサービスは、すべて「あなたは本当はこれを欲しているはずだ」というメッセージとともに差し出されるのだが、消費者はそれが事実なのか判断できないからだ。ほんとうに、ほんとうにあなたはこれが要らないんですか?と訊かれて、強くうなずける場合ばかりではないことは、直感的に分かるだろう。

仕事や、タスクが山積みだという感覚ではなく、互いの欲望を読みあい、何かをしてあげたいとか、何をすれば感謝されるのかとか、そういうことを考えることこそ、年の瀬に僕らが解放されなきゃいけないものなのだと思う。終わってしまえば、どんなことも、いい結果だろうと悪い結果だろうと取り返しは付かない。今年あったいいことも悪いことも、すべては終わったことなのだ。誰かの欲望に応えられなかったことや、誰かの望みを叶えられなかったことや、誰かとの約束を果たせなかったことは、放っておいてもまた来年、同じように後悔するという程度の出来事でしかない。だからこそ、一年の終わりにそれを「終わらせた」ことにする瞬間を、用意しておくべきなんだと思う。


毎年毎年、もう10年以上、場所を変えながらも書いていることを、性懲りもなく今年も書きます。七味五悦三会という風習があります。大晦日の除夜の鐘が鳴り続けている間に、その年食べたおいしいものを七つ、楽しかった出来事を五つ、出会えてよかった人を三人挙げることができたら、その年はいい年だったねと言って暮れるという、江戸の風習なのだそうです。あなたの2010年が、最後の最後まで、豊かな年でありますように。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする