宝くじと当たりくじ

ソニーの採用活動での「ルールを変えよう」という提言が話題になっている。その骨子は、(1)卒業後三年以内であれば、在職中の人も含め選考の対象にする、(2)応募者自身が選考方法を選べるように、複数のエントリーコースを用意、(3)スーツでの就活にこだわらない選考、の三点を通じて、学生と企業が対等な立場で互いを選び合うような採用活動を行いたいということのようだ。

言われていることには賛成だし、ヨコナラビが好きな日本の企業にとっては、ソニーのような大企業が言い出しっぺになってくれると、うちもうちもと乗っかりやすいということもあるだろう。ただそれでも、この取り組みを大絶賛と言われると、それはちょっと、と言いたくなる気持ちがある。

もっとも気になるのは、これはあくまで選考の対象になる人の幅を広げましょうという話であって、採用数についての話はしていないということだ。たとえて言えば、宝くじの刷り枚数は増やしたけど、当たりくじの数は増えないかもしれませんよ、ということなのだ。当然、当たりくじが増えなければ、刷り枚数を増やした方が当たる確率は下がる。つまり競争が厳しくなる。

採用活動はくじじゃない、という人もいるかもしれない。まったくだ。職探しとは、学生ひとりひとりの個性と志望と適正に見合った会社へのマッチングのプロセスだ。ということは募集の幅を広げれば、いままで見落とされていた人がソニーにマッチングされる可能性も出てくるだろう。でも、採用の枠が増えなければ、いままでだったら採用されていた人が、採用されなくなるかもしれない。

そのことが即悪いというわけじゃない。すべての人のすべての希望は満たされないし、誰かの願いが叶うときにはあの子は泣いているのだ。僕が気になっているのは、これがみんなの望んでいたことなのだろうか、ということだ。

就職活動のプロセスに対する批判は強い。無個性なスーツや不透明な採用基準だけでなく、「意識を高める」と称する各種イベントだとか、毒にも薬にもならないコメントを一方的に押しつけて金を取るコンサルだとか、そういう周辺のビジネスまで含めて、苦労の多いものになっていると思う。もちろんそれは世の中に一人で出ていく人間として、世界は善人だけではできてないよということを知る良い機会なのかもしれないけど、少なくとも現在のS/N比が健全だとは思えない。

でも、その問題がひとつのスローガンにまとめあげられて、「新卒一括採用の見直し」というイシューが立ち上がってくることに対して、どのくらいの人が納得しているのか、僕にはちょっと分からない。いまや日経、読売、朝日といった全国紙までもが、社説で「新卒一括採用の見直し」に言及する時代。そんなマスコミが新卒一括採用を見直す気配があまり見えないことを除けば、問題は解決の方向に向かっているようにも見える。本当に?

「シューカツ」のプロセスが現状のようなものになった理由は、それなりに色々ある。リストラで社内の雇用を絞るより、採用枠の方を絞るという策が取られて競争が激化したこと、アメリカ的な経営、ビジネスハウツーが輸入されて、個人主義的でモチベーションを重視するキャリア観が広がったこと、若い世代への新しいことへの要求と企業の古い体質を維持する姿勢の矛盾が放置されたこと、単に景気が停滞していたこと。そして何より、学校歴やコネで採用が決まっていた時代の慣行が見直され、より多くの学生に門戸を開くような採用プロセスが広がったこと。

要するに、門戸を開けば競争は激化するし、数字では分からない些末な差をアピールすることが求められるようになる。確かに18時点での努力の結果によってその後の人生が分岐するようなしょーもない社会は僕もイヤだ。けれどそれをやめていけば、僕らは22になろうが30になろうがやりなおしできる可能性が出てくる一方で、いくつになっても努力させられることになるのだ。

大人の側の責任としては、少しでも「当たりくじ」が増えるように制度改革や経済活動に邁進すべきなんだと思う。でも当の「就職活動する側」はどうなんだろう。やっぱり、自分に当たりくじが回ってくるように、もっとくじの枚数を増やせ、と言うのだろうか。くじの枚数を増やすことが、あるいは採用プロセスを弄ることが、まるで当たりくじの数を増やすのと同じくらいに歓迎されてしまうことそのものに、現状が抱えている問題ってのがあるんじゃないだろうか。

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