高齢化する学校文化

今年を振り返って思うのは、意外にも高齢の方の前で講演をする機会が多かったことかな、と思う。世の中全体が高齢化しているわけだし、自分もばっちりアラフォーなわけで、そんなに変なことではないのかもしれないけど、やっぱり「何を意図して僕をこの場に呼んだのだ」と、僕だけじゃなくて聞いている方も思ってたんじゃないかという不安は拭えない。

とはいえ話す方としては学ぶことも多いわけで、その中でもとりわけ貴重な経験だったのは、神戸市シルバーカレッジでのレクチャーだろうか。ここは、その名の通りシニアのための学校なのだけど、具体的に学びを目標とするカルチャーセンターのようなものではなく、むしろ学校に通って学ぶことが目標となっているような、そういう施設だという印象を持った。年額5万円ほどの学費で、3年間の課程があり、入学式も卒業式もある。クラブ活動が盛んで、週2日ほどの授業日以外にも、部活のために学校に来るという人も少なくないようだ。卒業研究というか、グループで作成する卒業論文のようなものを読ませていただいたのだけど、ものっそい意識の高いテーマのものが多くて驚いた。

でも、一番衝撃を受けたのは、その雰囲気だ。学校は都市部からバスでアクセスする山あいに立地しているのだけど、そもそもバスに乗っている若者が僕しかいない。いや若くないけど、そうじゃなくて高齢者しかいないバスの中でもう僕が異質な存在だったりする。そんなんだから校舎に入るのもためらわれるのだけど、入ったら入ったでシニアの方々が、とても熱心に動き回っている。いや、普通のコンサートや演劇なら、観客はぼーっと開始を待っているわけで、そうじゃなくて誰もが何かの目標に向けて動いている。学校ってそういうう変な空間なんだよな、ということをあらためて感じさせられる。

講演会場というか、そもそもどこに行けばいいか分からなかったので、通りすがりの人に尋ねると、係の人を教えてくれて、その人が職員室に連れていってくれた。係活動もきちんと存在しているらしい。むろん、全員がシニアなわけだけれど。

滝山コミューン的、だと言ってしまえばそうかもしれない。でも考えてみれば、これからシニアの力を活用するんだとかなんだとか言って、そのときもっとも動員可能になる資源の一つに、そうした戦後民主主義的学校文化があったことに思い至らなかったのは失敗だったな、と思った。特に戦後生まれの世代がシニアになっていくこれから、彼らが何も考えずに自発的に活動できるような身体化されたディシプリンといえば、「学校」という組織の形式であり、文化であることは確かだろう。

ちなみにこの学校が立地している「しあわせの村」という、まるでRPGにでも出てきそうな名前の複合施設は、神戸市が1980年代から運営している総合福祉ゾーンなのだそうだ。だけれども、その立地や、南欧風の建物が建ち並ぶ風景は、福祉施設と言うよりは単なる異世界で、それが「戦後民主主義的学校文化を体現したシニアのための学校」という独特の存在を、さらにユニークなものにしていたのだと思う。

そんで、考えれば考えるほど、自分はここに呼ばれて何を期待されていたのだろうという疑問だけが沸いてくるのだった。年齢を言った瞬間、みなさんどよめいていたものなあ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする