テレビといっしょ

メディアの中の人と話をする機会がたまにある。たいてい「なぜテレビは見られなくなったのか」的な文脈で話を振られることが多いから、チャネルが増えたんだからそちらの利用率が上がれば相対的に視聴時間とか減るでしょうとか、テレビって社会的文脈の中で見られるわけだから、それが変わっちゃったんじゃないですかとか、いやそうはいっても用途によっては信頼度高いし、ネットにどっぷり浸かってコミュニケーションとか若者でも一部だし、まして大人になってからも続けられる暇人なんてそんないませんぜって返してる。のだけど、反応は芳しくない。

その一方で、高齢者の話とかには割と食いつかれる。というのも、彼らの中に「高齢者」ってカテゴリーがひとつか、ないし後期高齢者は別ねってくらいのカテゴリーしかないからだ。おそらく、世代と性別で区分したカテゴリーをターゲットとして設定すれば広告や視聴行動を予測できるくらいにライフスタイルが単純だった時代のイメージを引きずってるせいだろう。けれど、ぎりぎり戦中の記憶がある70代と、戦後の経済成長と消費社会化の恩恵を享受してきた60代が「同じ」であろうはずはない。

んで、そこまでは分かってるんだけど、具体的にどういう像を想定できるのかという話になると、どうも彼らも自信をもってこのモデルというところまでは至ってないという感じ。僕はマクロ指標の人ではないから、うーんそうですね、と悩んで、こう答えている。「つまり、テレビしかない人たちが、見えないところで吹き溜まってるんじゃないですか」。

僕が想定しているのは、朝から晩まで用もないのにテレビをつけっぱなしにして、ながら視聴すらせずにBGV状態にしていたり、耳が遠くなって、いまいちどんな話をしているのかも分からないままぼーっと画面を眺めていたりする層だ。子どもたちはすでに家を出て、夫婦か単身で暮らしている。地域の課題にもあまり関心はなく、細々とした消費くらいしか楽しみはない。こういう人にとってテレビは、おそらく社会との接点ですらなくて、せいぜいが生活の背景の一部だろう。

この手の想定はもちろん頭の中で組み立てたものでしかないのだけど、ここで考えないといけないのは、ネットとか関係なしにテレビはもうパーソナルメディアだってことだ。社会的に共有される話題の提供元でもなく、まして「お茶の間」にその話題を共有すべき相手はいない。ネットに逃げることもできないそういう視聴者が、見えないところでどんどん吹き溜まってるんじゃないかと。

そんな話をしてたら、いや実はね、と返ってきた。実は子ども番組も、おそらくは共働き世帯の増加とともに、朝の視聴時間帯が30分早くなってるんです、と。具体的には8時台から7時台に中心がシフトしているらしい。僕も共働き世帯で、8時台の「おかあさんといっしょ」を見られずに登園していたので、その時間帯のリアリティはわかる。でもそれだけじゃなくて、この時間帯は朝の支度も大変なので、たぶん子どもは一人か、きょうだいだけでテレビを見ている。「おかあさんといっしょ」なのは、8時台に余裕を持って登園できる専業主婦世帯くらい、というわけだ。

それがけしからん、という向きがいることは理解できる。が、そういう人が自分の親や子供とどう向き合った上で自分の意見を意見を言っているのかはネットでは分からないし(明かすべきだと強く思いもしないけど)、そもそも誰も悪意から孤立させられているわけではない。ただ繰り返すけど、ネットがなくても僕らはパーソナルにテレビを見るようになっているんじゃないかってことや、そこから派生して以前書いたように、テレビの見方が分からなくなっている人たちが一定数いるんじゃないかってことは、どこかで頭にひっかけとくべきじゃないかって思うのだ。

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