もともとの発言で意図していたこと

ここ数日、ネット上で議論になっている人工知能学会誌の表紙の件、Togatterのまとめでも僕の発言が取り上げられていることもあって、知人の間でも賛否両論の意見をいただいた。その中で考えをまとめるのに少し時間がかかったのだけど、いくつかの反省点と、補足と、現時点で考えていることを。

やはり一番の問題になったのは、もとの「俺達が作ろうとしているAIは性奴隷ですと言われても仕方ないレベル」という発言だろう。この発言の意図については、Twitterで以下のように説明した。

そうでしょうか。女性がコードでつながれて家事に従事させられているように見えるので、セクサロイドという意味ではなく、性別役割分業を強制するという意味で性奴隷と書きましたが、頭がおかしいというのはどういう意味ですか?
2013年12月27日 – 1:02

分かりました。それでは「性奴隷」という言い方に代わる呼び方を調べるか考えるかしたいと思いますが、少なくとも「家事」と「女性」を結びつけ、さらにコードでつながれているという描き方をすれば、性差に基づく奴隷化をイメージしますね。
2013年12月27日 – 1:15

さらに言えば、こうした立場の人々が性的にも支配下に置かれがちであることを考えると、コードでつながれた女性を描いたら性奴隷というのが行き過ぎた妄想だとは思いませんが、今回の件とはさしあたり切り離して論じるべきことだと思うのでこれ以上は踏み込まないことにします。
2013年12月27日 – 1:18

ということで、この時点でも言葉の使い方を間違えた点については認めているのだけど、これが第一の反省点。特に今回の表紙に批判的な人からも「このような激しい言葉の使い方は相手を硬直させるだけで逆効果」との指摘をいただいていて、上に引用した主張に納得するかどうか以前のところで拒否反応を呼び起こしたと思う。

さらに言えば、今回の批判への反発の背景には、(僕が言及したわけではないけど)今回のイラストをオタク的な文脈で受け取って批判した人がいたので、「またオタクといえば性犯罪者扱いか!」という怒りを呼び起こしたことがある。この文脈では「マジョリティの男性対マイノリティの女性」ではなく、「正義を笠に着て男性を糾弾するフェミニスト対自分の好きなものを大切にしてるだけのオタク」の対立になり、糾弾されている側こそが被害者ということになる。これでは話が通じるはずもない。

この点についてはもうひとつ補足しておかなくちゃならないことがある。僕は最初の発言で「言われても仕方ない」と述べている。実は僕が最初にこの表紙を見て連想したのは、高橋しん『花と奥たん』で、SF作品の扉絵としてはすごく素敵だなと思ったのだけど、他方で、これが人工知能学会の学会誌の表紙と聞くと、それは怒る人が出てくるだろうなと考えた。「言われても仕方ない」とは、性差別かどうかではなく、そういう可能性を考慮しないでリリースを出してしまう広報戦略のまずさを指摘しているつもりだった。

ただそれも悪く言ってしまえば、「こんなん載せたら頭のおかしいフェミの人に噛みつかれるに決まってんじゃん」という話にも受け取れるはずで、「性奴隷」のような苛烈な言葉を使わないではいられないくらい被差別意識の強い人を半ば揶揄しつつ責任転嫁する物言いだったと思う。これがふたつめの反省点。少なくとも「この表現では性差別だと問題にする人が出てくるかもしれないのに、そういう配慮はなかったのだろうか?」くらいの言い方で良かったはずだ。

そんなわけでこの議論は感情的な対立を生み、妥協の余地のないところまで激しい怒りを表明する人が続出した。それもようやく落ち着いて、いくつか冷静な議論がブログなどでなされるようになってきた。この次の段階としては、マスコミの後追い報道でまたも火がついて話が蒸し返され、というのが容易に想像されるけど、この流れで一番困ったのは人工知能学会の中の人たちなんじゃないかと思う。

聞く限りにおいてはそれほど規模が大きいわけではないとはいえ、公的な団体である以上は、ネット上で反発している人たちと同じようなことを言うわけにはいかないが、さりとて元の批判に完全同意かというと、そこまで言わなくてもいいんじゃないかという気持ちもあるだろう。僕自身は、任意団体であろうとなんだろうと「学会」の機関誌であれば公的な意味を持つし、ネットでリリースも出ている以上は、自分たちの意図しないところにまで情報が届く可能性を考慮すべきだったと思う(バカッター問題を参照せよ)。また人工知能の研究者としてこのイラストはどうよ、という意見も、研究分野に近い人たちから出ているけど、この点についてはなるほどそうなのかと思うものの、きちんとした価値判断ができるほどの知識はないので、意見を受け取るのみ。

さて、ではこの問題、具体的にはどうすればいいのだろうか?一般的な答えはない。というかそもそも僕は社会学を専門にするとはいえ、関連の深いジェンダー研究や差別研究には距離を置いてきたし、今回もあちこちで出ている「フェミの人がむきーってなるほど普通の人は引いちゃうよねー」という見方をしていた時期もあった(今は違うけど)。というわけで、これを機にみんなで差別について考えようぜ!なんてことを言う資格はないだろうと思っている。だが、組織やネットの問題としてなら、いろいろ考えられることはある。

僕がずっと気になっているのは、「なぜ誰もこれが問題になるという想像力を持てなかったのだろう」というところにある。人によってはそんないちゃもんレベルの想像力なんか持てるものか!と思うだろうが、組織として何らかの広報をすれば、そういうリスクは一定程度生まれるし、ものによっては自分たちの中では意外な反応でも、世間一般だとまとまった批判につながることもある。特にネット上では、そういう炎上ハザードへの意識、センスというものがとても重要になっている。

他方で、特に少人数でスピード感のあるチームほど、多様な意見への配慮ではなく、内輪の一体感を大事にした方がいいということはままある。人工知能学会がどういう集まりなのかは分からないけど、僕の経験で言えば、少人数のタスクフォースで事業を進めていく際に、「多様な視点」からの配慮を求める意見は足を引っ張るものに思えることもあったし、そんなもの結果オーライだろう、と言いたくなる気持ちもあった。

だが、そうした仕事の結果が社会に還元されていくことを考えると、結果的に作業を進める段階でそうした多様性に配慮しておいた方が、あとあとの修正や調整が少なくて済むことが次第に分かってきた。というのも、ある意図で作られたものの受け取られ方や利用のされ方は多様で、一度社会に投げ込まれてしまうとコントロールがききにくいからだ。最近では、そういう意見を聞き入れる態度が身についたとは思えないものの、スピード重視のチームでもそういう点は大事にしないといけないんだなあと考えるようになった。

今回のように感情論がヒートアップした結果、「なんて配慮のない!」「はいはい萌えイラストとか糾弾されるから描かない方がいいんでしょ」という形で双方の被害者意識だけが募れば妥協点は見いだしにくくなるし、特にネットでは「先に殴ってきた方には10倍返しで攻撃しても許されるの論理」が発動しやすいので話が難しくなりがちなのだけど、結果的にそこから、技術と社会、公共性とネット、差別と表現といった、考えるのが面倒なテーマが、僕たちの中でどういう水準の問題を引き起こすのか、何を議論すべきなのかという話題が生まれるのだとしたら、そこにはそれなりの意味があったように思う。だからこそ返す返す、初発のコミュニケーションを失敗した点は反省すべきだな、と思っている。

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