フィジカル市場はフロンティア

雑記

こないだ家移りしたのだけど、引越すにあたっては、とにかくいらないものは捨ててしまおうという方針で臨んだ。いらないといっても気分的なものではなく、年単位で出し入れのなかったものは、どんなに思い入れのある品だろうと廃棄か売却という感じ。気づけば10代の頃に書きためた詩のノートも写真も処分、古いシンセも粗大ゴミ、ゲームもDVDも売却というわけで、ずいぶんと身軽になった。

なんでこんなに捨てる決断ができたかというと、前回の引越しからの5年間で、いろんなもののデジタル化が進んだこと、それに伴ってデータの価格破壊が進んだことが大きい。シンセなんかサンプリングデータの容量はハード時代の1万倍になったのに、価格は6分の1だ。書籍についても、本当に必要になれば図書館、最近のものなら元データが電子期に保存してある可能性が高く、いずれ電子書籍化を期待できるだろう。ゲームも音楽もデジタル配信が当たり前になったわけで、コンテンツをモノとして所有することの意味は、「最初にモノとして所有してしまったから」という以外に見つからなかった。

こういう時代に、データにできないものってなんだろう。ひとつは思い出だろう。でも、最近では思い出こそデジタル化されている。デジカメなんかがそうだ。デジタルな思い出は、むしろ消せないことが辛い。リベンジポルノなんかはその最たるものだけど、データとして大量に残ってしまっているがゆえに、うっかり見返してしまって恥ずかしかったり切なかったりすることも多いのではないか。ちょっと前まで写真もたいがいケータイというハードの中から出されることがなかったので、機種変後でも捨てられないみたいな話があったけど、気づけば写真も動画もソーシャルメディアの方に撮って出しだ。LINEのログ保存・移行がスムーズにできるようになったら、たいていの思い出はデジタル化されちゃうかもしれない。

そう思いながら部屋を見渡してみると、捨てられなかったのは、たとえばギター。確かにPODを使えばシングルコイルだろうとハムバッカーだろうと、あらゆるギターとアンプの組み合わせをそこそこシミュレートしてはくれる。でもやっぱり音っていうのは物理現象なので、ボディの密度や弦の太さによる微妙な入力の差で、どれだけシミュレーターを使っても異なるギターが同じ音になることはない(当たり前だ)。

つまりデータ化できないものとは、フィジカルなもの、物理現象を伴うものだということが分かる。いろんな商品やサービスの付加価値が脱物質的になっていく中で、最後まで失われることがないのは、こういうフィジカルな市場なのじゃないか、というのが、モノがことごとくなくなった部屋の真ん中で思うことだ。

フィジカル市場の中でも一番有望なのはやはりスポーツだろう。自分の体に身につけるウェアやシューズはもちろん、たとえばサーフィンだってスノボだって、「いいもの」を使おうとすればそれなりの値段になる。というかフィジカル市場のグッズは昔から、ある価格までは値段と質が連動することが多いのだ。しかも多くの場合それらは一定期間で償却されるか、使い捨てが前提になっている。また、データと違って置き場所を食う。

え?何を当たり前のことを言ってるの?と思うかもしれない。その通り、これはデータ経済が広がる前には常識だったことだ。ただ、その中でもデータだけを販売するようになったものと、データに還元できない価値を持つものとの差は、商品あるいはサービスの価値の根幹がフィジカルなものかどうかにあるということなのだ。

もちろん根幹がフィジカルだというだけで、データ化と相性が悪いわけじゃない。ウェアラブルデバイスの中でも早くから普及しているのは、歩行記録や体調をセンシングするデジタル万歩計(みたいなものでしょ?)だ。それらのデータを蓄積するだけでなく、ソーシャルに共有してゲーミフィケーションでモチベーションアップ、なんてのも一部ではすっかり定着したようだ。年頭のアドバタイムスでは為末大さんが、ウェアラブルデバイスと融合したeスポーツの可能性に言及していたけど、確かに入力系はフィジカルでも、その情報の処理がデジタルで行われるスポーツと定義すれば、eスポーツにも大きな未来がある。

データ化と距離の遠いフィジカル市場に属するものとしては、育児や食の分野も大きい。いわゆるフード左翼のみなさんでなくとも、生命の再生産に関わる領域がデータに置き換えられないことには同意するだろう。こういう分野もお金をかけようと思えばいくらでも出ていくものだけど、それは要するに、物理的なものを消費しているからだ。

脱物質化され、データ化された経済とフィジカル市場は、そもそも関連する分野だと思われていないし、放っておいても両者は独自に発展していくだろうとは思う。ただ、一部で両者は融合しつつあるし、なによりこの二つを関係づけて理解するパースペクティブを持つことで、いろんなことが分析可能になるのじゃないかと思う。ここに挙げなかったものも含めて、広い意味でフィジカル市場に属する現象はたくさんあるはずだ。

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