しくみの分からないものに、関心はもてない

選挙のたびに「政治に関心を持とう」「選挙に行こう」というキャンペーンが行われるのが、ウェブにおいても当たり前の風景になった。東日本大震災以後の世相全体での政治への関心の高まりや、ネットに慣れ親しんだ世代が壮年期を迎え、社会の担い手としての意識を持つようになったことが背景にあると考えられる。またその表現のあり方も、政策の比較やデータの紹介、識者のコメントや論説など、非常に充実したものになっている。

「ネット選挙」という言葉を、ネットでの選挙活動あるいは投票という狭い意味で捉えず、広く政治と投票への関心を集める活動だと考えるならば、10年前とは比べ物にならないくらい、ネット選挙のありようは豊かになっている。一方で、投票率の上昇や投票する候補者、政党を決定するのに、こうした活動がどの程度寄与しているのかは定かではない。どんな物事も普及、定着するのに時間がかかるものだから、単時点ではなく長期的に考えなければならないが、それでも「ネットで投票を呼びかけること」を主眼に置いた短期的なキャンペーンには、限界があることも確かだ。

2年前の総選挙の際、僕はブログにこういうことを書いた。選挙のたびに自分の民意が反映されたことを実感したければ、その時大勝しそうな方に投票すればいい、と。むろんそれは、投票に行くことではなく、日頃から政治に関心を持っておかなければならないということを示すための比喩だ。それから2年間、政治の世界では経済政策の是非や防衛に関わる問題、雇用と次世代育成をめぐる問題など、いくつもの論点が新たに浮上し、今次の選挙の争点となっている。

この2年間、政権運営や政策論議に関心を払ってきた人にとって、こうした問題を理解し、何らかの判断を下すことは困難でも、少なくともそれが争点となっていることを知るのはそれほど難しいことではない。だが、そもそも関心のなかった人にとってはどうか。いくら選挙についての情報が充実しても、シェアのしくみが広がっても、ウェブは「知らせる」よりは「調べる」ことに向いているメディアだ。検索ワードが思い浮かばないレベルの人に「政治への関心」を持たせるには、情報発信だけでは不十分だ。

仕事で学生たちと接しながら特に思うのは、彼らの積極的な政治への無関心だ。「関心はあるんだけど、どうやって調べればいいのか分からないから…」といった、大人向けの言い訳すら出てこない、「政治の話」が始まった瞬間に、「これは聞かなくていい話だ」と判断して、思考をシャットアウトしてしまうという反応に、毎年のように出くわしてきた。その理由がどうにも理解できずにいろんな仮説を考えてきたのだけど、最近、その一端に少し触れられた気がする。

今年、自分の勤める学部で新しい校舎がオープンし、そこに共同学習のためのスペースをオープンさせた。とはいえ場所ができれば自動的に使われるというものでもないので、MANABILという勉強会を企画し、放課後の時間に自主的に集まった学生たちと、共同学習の試みを進めてきた。

Bpa_dquCYAE76nV特に僕が力を入れたのは、高校の政治・経済の分野のリメディアルだ。多くの学生が高校では受験のために歴史を勉強するので、リメディアルといっても彼らにとっては初めて聞く話なのだが。実際にやってみて気づくのは、内容の充実ぶりだ。参考にした本の水準にもよるけど、佐藤優推薦のシグマベストなんかは、こちらが勉強になることばかりだった。

一方で、レベルの異なる複数の参考書を用いながら勉強会を開催してみて感じたのは、彼らの政治・経済への関心の低さと、社会そのものへの関心の低さ、それに反比例するような自己への関心の高さだ。自己への関心という点については別の記事でも説明するつもりなのだけど、知識不足については、それこそが無関心の原因につながっているなという感触をもった。

たとえば、経済の分野ではミクロとマクロに分けてレクチャーしたのだけど、強調したのは、経済とはミクロであれば市場メカニズム、マクロであれば経済政策を通じて人為的に介入可能なものだということだ。学生たちとディスカッションなんかで話を聞いていると、政治や景気というのは、災害と同じように自分の思うようにはならないものだと感じており、だからこそ関心を向けられないのだという。

それに対して、実際に行動している人、成功した例を見せるというのも大事なことだ。だがそれも「それってその人が天才/努力家/金持ちだったから成功しただけでしょ」と言われてしまうともうどうしようもない。それに対して、科学的根拠や事実に基づいた「しくみ」を示すことは、「しくみさえ分かっていれば、誰にでもできる」という理解を促すことに繋がる。

それだけではない。しくみが分からず、さらにお人好しだったりすると、「企業も政治家もきっと頑張ってるんだけど、それでも日本の経済はどうにもならないんだ」と思われかねない。しくみが理解できていれば、そのことを根拠に経営者や政治家の作為/不作為を問うことができる。レクチャーが成功だったかどうかは不安だが、少なくとも「しくみ」について知りたい、調べたいというきっかけだけは提供しようと心がけたのも、そういう理由だ。人の上に立つ人間にとって、自分が生きている社会の仕組みが分からないという人間ほど、都合のいいものはない。

確かに、政治に関心をもつのに政治経済の知識が必要だという主張は、あまりに遠回りなものに思われるかもしれない。実際、これまでの政治と市民の関わりを見てみると、政治への関心が先にあって、知識人を招いた勉強会が開催されるといった例が目立つし、それ以上に、知識ではなく所属組織などによる動員が政治参加の重要な機会をつくっていたわけだ。

知識ではなく所属による動員が生み出す政治意識は、たとえばイデオロギーと呼ばれる。イデオロギーは、それを持つ人にとっては、特定の政党が気に入らないとかそういう理由で、政策や主張の矛盾すらスキップして政治参加の動機を生み出せるという点で「強い」。だが僕たちの多くは、もはやそうした「強い」イデオロギーを共有していない。そしてそうした人たちは、関心があっても検索すらできないか、自分の身さえなんとかなればそれでよいと考える。だとすれば必要なのは、投票に行こうとか、そのために政治への関心を持とうということではなく、そのもっと手前の「社会のしくみを知ろう」ということなのだと思う。そして、微々たるものではあるけれど、今年の活動も含め自分の仕事は、だんだんとそういう方に向かっている。

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