「コンテンツの時代」は来るか〜2014年を振り返る(2)

2014年は、Lifeでもいくつかキーワードのようなものを提唱してきたのだけど、その中でもトレンドに乗ったワードだったなと思うのが「里山ウェブ」だ。藻谷浩介さんの『里山資本主義』に着想を得ているとはいえ、話としてはずいぶん趣が違う。アナーキズムとグローバリゼーションの研究者としての僕は、地域経済が(資本主義の原理に抗して)閉じていくという話については相当に興味があるのだけど、里山ウェブについては、もう少し狭い範囲でものごとを考えていた。でも、まさにこれって里山ウェブ化じゃん、と言いたくなるような現象がいくつも起きていて、トレンドの種を掴んだ気がしたのも事実。
話の根としては、IPPS消費と共通だ。ソーシャルメディアの時代とは、コミュニケーション>コンテンツという時代だった。これが曲がり角に来たとき、大きく3つのトレンドシフトが起きるだろうというのが、2014年に僕が考えていたことだ。1つはIPPS消費で、もうひとつは、止まっている連載で書こうとしている「天才」の話。そして3つ目が、コンテンツとクリエイターの関係についてだった。

1.オウンドメディアへの期待と注目

抽象的な社会構想ではなく、マーケティング分野の話としても理解できるように、こういう話から始めてみよう。ソーシャルメディアの時代に注目されたマーケティング概念に「トリプルメディア」というものがある。従来の広告料を払って出稿する「ペイドメディア」だけでなく、ソーシャルメディアの登場によって、そこに公式アカウントを解説して顧客との接点を築く「アーンドメディア」、そして自社媒体である「オウンドメディア」の3つのメディアをうまくミックスしようという話だ。でも特にオウンドメディアについては、あまりちゃんと活用事例が出ていなかったように思う。
ところが、今年に入ってコンサル方面からオウンドメディアの活用についての提案が複数出てきて、さらにはライオンのように、クロスメディア戦略を練ったオウンドメディアもリリースされ、にわかに活気づいてきた。背景にあるのは、他者のものであるアーンドメディアでは精確に把握できないユーザーの行動データなどをビッグデータとして利用できるように、会員制の自社媒体に誘導しましょうということだと思う。だからコンサル方面から話が出てくるわけだけれど。
その他にも、アーンドメディアの「中の人」になる広報担当の属人的な能力の問題とか、評判になったところで自社ブランドや商品へのリーチにつながるのかとか、そういう話もある(そういえば今年は、ソシャゲとウェブサービスのTVコマーシャルをたくさん見た年でもあった)。ソーシャルメディアでの広報力の高い人じゃなくて、組織として自社に還元できる情報発信の媒体を作りましょうという流れなのだと思う。
ところろがそこで問題になるのが、まさに「コンテンツ」の問題だ。顧客を会員として囲い込んだところで、そこでユーザーが何かのアクションを起こしてくれなければ何の意味もない。アプリにせよウェブサイトにせよ、ユーザーがアクセスするに足るコンテンツがなければ、データの取りようがないのだ。
折しも今年は、バイラルメディアによるパクリ騒動が(ネットの一部で)盛り上がった年でもあった。バイラルそのものについては、アメリカでバズニュースが多額の資金を調達したとかで景気のいい話もあったものの、日本ではアクセスもショボいサイトがお互いの記事をパクりあって、さらには運営側から堂々と盗用を促す発言も飛び出すなど、とにかくいいところがなかった。けど、そうやって他媒体の記事を利用することのハードルを設定することで、否が応でもオリジナルコンテンツへのニーズが高まることになる。
読売新聞の記事でも書いたけど、商売というのは、投資に見合う額を回収するモデルを作ることだ。コンテンツ制作の投資が必要なコストになるなら、それに応じたモデルの構築が必要になる。そしてコンテンツ制作を内製化できないなら、外から何かの創り手を集めてこないといけない。

2.クリエイターの憂鬱

という話をした上で、ではクリエイターの側はどうだろう。コミュニケーションが優越するというトレンドとはまったく別に、特にデジタルクリエイションの世界(の底辺)では、もうずっと創作にかかるコストの低下が続いている。デジタル化とはそもそもそういうことなのだけど、この5年で見ても低価格化は著しい。僕の関わる音楽の分野で言うと、15年前に数十万円した音源のデータが数千円、iOS上でエミューレートされた往年のシンセサイザーは無料、レコーディング環境もタブレットで完結と、とにかく価格破壊がすさまじい。
それは言い換えると、たとえば曲を作るのでも、ごく低価格でそこそこのものが作れてしまうということだったりする。もちろん、本当に高い機材を使って制作されたものと比べれば、質の低さは明らかだったりするのだけど、でも十年前にリリースされたトラックと聴き比べてしまうと、どっちがどっちとも言えなかったりする。
こうしたコスト低下が何を招くか。ひとつは、コンテンツ単位から得られる収益の低下だ。その要因は2つあって、ひとつはコスト低下によって参入障壁が下がり、素人やセミプロみたいなクリエイターが作品をリリースできるようになることからくる供給過剰。特にデジタルコンテンツのように純粋に情報が取引される分野においては、消費者の可処分資源(時間やお金)は有限なのに一方的に供給が増えることで、より低価格なコンテンツの消費に資源が振り向けられることになる。これがもうひとつの要因で、これまで有料でコンテンツを提供していたクリエイターが「タダとの競争」を強いられた結果、コストは下げられないのに収益を犠牲にして価格を下げざるを得なくなったという、通常の市場メカニズム。
問題は、こうした市場メカニズムがはたらくのは、プロがつくろうが素人がつくろうが、そのコンテンツに差が認められず、同じ市場の中で取引されるからだ、というところにある。プロの方に言わせれば、同じ市場で取引可能なわけないだろう!となるのだろうが、だとするならばそれを「差別化要因」として提供しなければならない。
その差別化要因とは、言ってしまえば「フィジカル要素」だ。具体的には、音楽であれば楽器の演奏能力があること、歌がうまいこと、音感があることなどの人的資本。そして、創作を刺激される環境に住んでいること、自分の作品を認めてくれる人が周囲にたくさんいることなどの環境要因だ。デジタル化が進むと、居住地などのフィジカルな要素が差別化要因になるというのは、もう20年も前にダイアン・コイルが見抜いていたことだけど、今年話題になった『年収は住むところで決まる』のように、こうした傾向はデータでも実証されつつある。
そこで問題になるのは、こうした環境で生活するにもそれなりのコストがかかるということだ。デジタルデータですべてをやりとりできるなら、田舎に引っ込んでひとり創作、というのもアリかもしれない。しかし供給過剰の状況でプロとしてのクオリティを保って創作を続けようとすると、どうしても都会に住んで、たくさんの人と交わらなくちゃいけない。結果的に、そのコストは下げられないどころか上昇してしまう。
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この矛盾をどうにかして解かないと先がない、というあたりで、番組でも話題にしたスガシカオさんの発言や、その後出てきたものでいうと椎名林檎さんのインタビューだったりするものがあるのだと、僕は思っている。

3.里山ウェブの可能性

じゃあどうするのか、というと、そこで出てきたのが「里山ウェブ」だ。これは要するに、高コストな差別化要因で「タダとの競争」を続けるのではなく、囲い込みの市場をつくって相対的に安定した環境で創作を続けるという選択肢だ。放送の段階では、そこに対してアンビバレンツな感情を持っていたのだけど、いまでは明確に、里山ウェブでお客を囲い込んで生活するというモデルが、これからの重要な選択肢になると考えている。
もちろん囲い込みと言っても、アーティストによって規模感は多様だ。nobodyknows+のように地元で生活しながら、ゆっくりとしたペースで創作し自分たちのペースでアルバムをリリース、なんていうのもあるし、テイラー・スウィフトがSpotifyから撤退、なんていうのも、規模はぜんぜん違うけど、タダとの競争を強いられる市場にコンテンツを流通させないという選択だと思う。
要するに、クリエイターが自分の作品に対して感じる価値を認める市場にだけ作品を流通させる、という選択をするようになれば、市場はいくつかのレイヤーに分割されることになる。経済学的にはそれで生じる非効率が問題だということになるのかもしれないけど、個々人の生き残りのあり方としては正しいと僕は思う。そしてなにより、そうした選択の結果、作品を流通させるプラットフォームの方も、そのあり方を考えなおさなければいけなくなるというところが大きい。
タダとの競争の環境においてもっとも得をするのは、自分ではコンテンツをつくらずに、それを切り貼りして稼ぐ連中だ。バイラルメディアもそうだし、アイディアはパクリでイラストはタダ同然みたいなソーシャルゲームも似たようなものだろう。けど、そういうものに対する抵抗として、適正価格でなければ取引しないという手段があるなら、必然的に「買い叩く」モデルが通用しなくなる。
そこで冒頭のオウンドメディアに話が戻る。企業側としては、他のプレイヤーに対してより目立つための競争を強いられるアーンドメディアよりも、自社の価値を理解したユーザーを囲い込んだオウンドメディアの方が、顧客とのエンゲージメントを構築する上で都合がいい。だがそこにはコンテンツが必要だ。内製化できないコンテンツ制作を外部のクリエイターに委託しようと思ったら、相応の対価を支払わなくてはいけない。
ここで大事なのは、相応の対価というものが、ただ単価に還元されるものではないということだ。創作という不安定な環境で生きていると、単価よりも長期の契約といった安定性のほうが魅力に映ることはある。僕にはほぼ経験のない世界だけど、景気のいい時代によく聞かれたような、広報誌のライターとして長年お抱え、なんていうモデルが、ウェブの世界でこれから復活するのかもしれない。
もちろんコストをかける以上、媒体を運営する側にもなんらかの見返りが必要になる。とはいえ、媒体から収益をあげなければいけないかというと、そういうわけでもない。プラットフォームビジネスという点で考えた時、モノをコア・バリューにするAppleとデータをコア・バリューにするGoogleでコンテンツの扱いが違うように、どこに社としての収益源があるのかによって、媒体の運営コストも変わる。だがうまく設計できれば、顧客にとってもクリエイターにとっても、運営する企業にとってもメリットになるような環境を築くことはできるはずだ。少なくとも、ソーシャルメディアでの展開に疲弊しているようなところにとっては。
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