データがあればいいってものじゃない:聴き放題サービスについて

2015-01-29

先日、スマホをXperiaに機種変したこともあって、悪評は聞いていたものの試してみないと語れないなと思ってMusic Unlimitedの利用を開始してみたら、3日で「これはダメだ」となった。もちろんサービス自体の使いにくさや楽曲のラインナップの問題もあるのだけど、聴き放題サービス全体についてちょっと考えるところがあったのも確か。そんな中、MUがサービスを終了し、代わってSpotifyと提携するというニュースが飛び込んできたので、今後の可能性について少し考えてみたい。

まず、いくつかファクトを確認しておきたい。2014年に話題になったこととして、iTunes Musicの減速(2014年初頭から13%減)が報じられる一方で、ストリーミングサービスが堅調な伸びを見せた(前年比54%増)こと、またそれに対して、テイラー・スウィフトの楽曲引き上げなど、アーティスト側からの反発も出てきたこと、などがある。聴き放題サービスの普及を受けて、YouTubeもこの分野に進出するという報道もなされている。

この点について昨年は、主としてクリエイター側の採りうる手段として「里山ウェブ」のような概念をつくったりもした。そこで起きているのは「市場での流通価格を決めるのは需要と供給のバランス」という経済学的な一般原理と、その中で自分だけは収益を確保したいというクリエイターの競争・差別化戦略とのせめぎあいだと思う。

もちろん、どこから見るかでこの話もだいぶ様相が変わる。聴き放題サービスの「一山いくら」の世界に放り込まれると、上位1%の楽曲に人気が集中し、またアルバム単位での売上に繋がらなくなるという指摘がなされる一方で、音楽業界全体としては、たとえ利ざやが薄くても既得権にしがみついてジリ貧になるよりはマシだというもある。僕の見るところ、この2つの考え方の間のどこかに、クリエイター、配信者、リスナーの三者が納得する落とし所を見つけられるかどうかが、今後の展開の鍵になると思う。

そもそも、なぜ聴き放題サービスなのか?

ここからは仮説の話だ。聴き放題サービスをビジネスモデルではなく、聴取環境という点で考えた時に、リスナーにはどういう意味を持つだろうか。ヒントになったのは、学生と話をしていたときに出てきた「ようかい体操の動画が年末に、デイリー数十万単位で再生されていた」という事例だ。おそらく会社の忘年会で踊るために練習をした人がたくさんいたのだろう、ご苦労さまです。でも問題はそこじゃない。なぜこれほど再生数が伸びるのか。要するにこれは、練習する人が何度も同じ動画にアクセスして、そのたびに通信トラフィックを発生させていたということじゃないのか。

当たり前のようだけど、実はここに聴き放題サービスのコア価値がある気がする。「クラウド化」という言葉は定着したようでいまいち理解されていないのだけど、事の本質は「ネットの向こう側」と「こちら側」の区別がなくなることだ。なんでもネットの向こう側にあるのなら、いちいちダウンロードして手元に保存しなくても、データが必要になったときに、それだけをダウンロードして利用すればいい。Lifeの黒幕と話していると、「自分の持っている音楽の容量が大きすぎて、より大容量のiPod Classicじゃないと困る」という話が出てくるのだけど、むしろ考え方は逆で、それだけ膨大なデータがあるからこそ、いちいち手元に保存しておくのが非効率だということなのだ。

だから聴き放題サービスも、去年分析したiTunes MatchやAmazon Cloud Playerと同じように、クラウド化を背景にしたビジネスバリュー創出の試みだと考えるべきだし、SONYにとって聴き放題サービスは、そこでも書いたような「自社ハードへの囲い込み」と「コンテンツ自体の収益性」を両取りするという従来の戦略の延長線上にあるものだった。結果、ユーザーの心をつかむことができなかったということだろう。

dヒッツの方が人気なわけ

ところで、この点についてもうひとつ興味深いことがある。プラットフォーム戦略の教科書には「市場の二面性」が大事だと書いてある。要するに、たくさんの楽曲を提供するとユーザーにとってもメリットが増し、そのことでユーザーが増えると楽曲提供者のメリットも増すというシナジーを生み出すことが、プラットフォーム戦略のコアだというのだ。

MUの配信楽曲数は、現在まで2500万曲だという。だがそのユーザー数は、サービス開始直後に100万人と発表されて以降は非公開だ。一方で日本で人気の聴き放題サービス「dヒッツ powered by レコチョク」の場合、2015年1月時点で254万契約だという。そのdヒッツの配信楽曲数は、現在のところ100万曲。なぜMUの25分の1の楽曲数で、ここまでのユーザーを獲得できたのか?

最大の理由は、楽曲のラインナップがターゲットユーザーにきちんと刺さったということだろう。具体的にはアニソンと懐メロだ。それってつまり、日本の音楽市場のうち、積極的なユーザーがその辺のジャンルに集中してますよねという話なのだろうけど、今後という点で考えれば、もう少し一般化して引き出せるところがある。

聴き放題サービスの上位1%にリスナーが集中するということは、言い換えると99%の楽曲は聴かれないということだ。その分布が仮にジャンルやリリース年に関わらず観察されるとすると、99%は捨てることになる新曲よりも、過去の曲を効率よく利用する方が、配信者にとっては利益率が高い。過去の曲を積極的に聴取できるのは、当然それを知っている年長世代ということになる。日本においてはそれは邦楽中心だけど、おそらく世界的にも70〜90年代のヒットソングの掘り起こしニーズはあるわけで、MUはうまくそこに刺さらず、dヒッツは少数ながらも「上位5%の懐メロ」で勝負できたということなのではないか。

もうひとつは、やはり事業のコア・バリューの問題だ。特にdocomoにとっては、聴き放題サービスは自社の通信トラフィックを増やしそのバリューを高めることができる点で、囲い込み要素としての意味を持っているが、他方でコンテンツの売上にこだわる必要がない。着うたがスマホの普及で売れなくなっているいま、聴き放題サービスで安定したトラフィックと収益が上がれば、中身についてはそこまでの口出しはしなくてもいい。聴かれさえすればいいのだから、アニソンのようにファンがアクティブに動くジャンルに集中するという戦略も取りやすかったのではないか。

過去の遺産の再利用だけでは未来がない

もちろん、そのやり方がサステナブルだとは思わない。年末のLifeでも話題にした話につながるけど、確かにデータ量が増えて過去作品の遺産が活用しやすくなると、新しいものに挑戦するよりは既存資源の取り回しのほうが効率的だ。若い子なんかでもたまに彼らが生まれる前くらいの作品にとても詳しい人がいて、過去のものだからといって今聴かれる価値がないかというと、別にそんなこともないのだろうなと思う。だから、聴き放題サービスの影響でリバイバルした過去のムーブメントから新しい動きが生まれるなんてこともあるのかもしれない。

ただ、やっぱりそれだけじゃ寂しいなと思うのも事実だ。確かにコード進行も歌詞もリズムも、パターンとしては使い尽くされたのかもしれない。マクロにデータを解析すれば、大きなヒットに繋がるパターンを予測できるくらいには、ポピュラー音楽も成熟してしまったと思うところもある。でも、利用者が増え、その経験や行動履歴が社会的にもデータ的にも蓄積されていけば、今後はまた違う展開を考えることもできるだろう。「聴き放題サービスへのシフト」をことの表面で捉えるのではなく、音楽聴取環境の大きな変化と、その背景にあるコア・バリュー、そして長期スパンでの見通しにつなげて分析していかなければ、「発想は良かった時代の徒花」で終わることになりかねないのだ。

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