東京風景の果て

数年前まで、高度成長期からポスト高度成長期に至る日本社会の変化を学生たちに伝えるのによく用いていたのが、『東京風景』というNHKアーカイブスの映像を用いた歴史映像集だった。敗戦後の焼け野原にビルが立ち、電線が増え、子どもが増えるとともに住宅地が広がり、都市が更新されていくさまを数時間ぶっ通しで見続けると、ある種のトランス状態に入ってくる。「戦後」という時代のリアリティを感じるのに、あれ以上の素材はないといまでも思っている。

だけれども、さすがに関西の大学生には東京の変化を見せてもピンとこないし、なにより平成生まれの彼らにとって、見知った光景と映像の風景はあまりにも差がありすぎる。そんなわけで教材としてはもうあまり利用していないのだけれど、それは同時に、「高度成長期前後に起きた社会変動」を基軸に「前」と「後」を比較してきた戦後の日本社会学(特に価値意識論)に、大きな考え方の変化を迫っていると思う。

ともあれ、そんな中でも「渋谷」の風景だけは、学生たちにとっても「ああ、あれあれ」と納得してもらえるものだった。それは例えば東急文化会館の五島プラネタリウムだったり、東急東横線ホームの特徴的なファサードだったりしたのだけど、気づけばこの5年でどちらも過去のものになってしまった。そして今度は、西口バスターミナルの顔だった東急プラザが、明日で閉店するという。僕にしてみれば、母校のキャンパスがあり、またITベンチャーブーム華やかりし頃にはいくつかの会社を転々とした頃の「渋谷」は、いよいよ過去のものになるのだなという思いが強い。

そんなわけで、この3月にたまたま出張で上京した際に時間があいたこともあって、東急プラザ渋谷で開催されていた、渋谷駅前の歴史を振り返るギャラリーに足を運んでみた。昭和30年代の、まだ都電が路面を走っていた頃のジオラマだとか写真に混じって、なぜか80年代のサーファーディスコの展示なんかもあってカオス度は高いのだけど、来場している方の中には、とても上品なしゃべり方で当時の思い出を語る人なんかもいて、なんか同じ風景に見えても、ぜんぜん時代の違う、おそらくはそこでの行動も違う人たちが、ひとつの都市の思い出を共有しているのだなあと思わされたりもした。

20150312

『ウェブ社会のゆくえ』のひとつのモチーフは、更新されていく都市の中で、僕たちが共有する記憶が断絶するときに、どうやって次世代と同じ社会イメージを持つことができるか、というものだった。古いものが残っていることがいいとも思わないけれど、地理感覚を失うような変化、たとえば街区だとか、駅前のような特徴的な風景が変化するとき、その前後を同じ場所だと認識するためには、どんなことができるのかを考えたりしている。もちろん、そうやって僕が見知っている渋谷も、これから開発される渋谷も、東急電鉄というインフラ企業の地域開発戦略の一環で生まれるものでしかないので、まっさらに更新してしまうのならそれも仕方ないのじゃない、という話はあるんだけど。

そんなことをぼんやり考えながら東急プラザを出て駅に向かってたら、去年辺りから復活しているというルーズソックスの女子高生を見かけた。ルーズソックスの流行のピークは90年代後半から00年代の頭までだったか。ちょうど僕が渋谷を中心に生活していた時期であり、いまの女子高生が生まれた頃だ。80年代ブームの次は90年代ブーム。そんな風にして、展示されていたサーファーディスコのように、一見すると滑稽なものがリバイバルを繰り返しながら、まったく風景の変わった同じ街を徘徊する。それがひとつのアイデンティティを作るのかな、なんて思ったのだった。

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