職住混交社会について

「働き方改革」という政策指針が話題だ。要するに、収益は増大しても消費にお金が向かないのでは困るから、ワーク・ライフ・バランスを確保すべく残業を減らし、一方で働き方の多様性を拡大するべく、民間企業の経営者の皆さん知恵を絞りなさいということらしい。他方で「家族の問題は家族の責任で」と、家族のあり方について法制化しようとしていることとの整合性はどうなるんだろうという声もあるけど、まあ働き方改革そのもは、「大きな方向として必要だよね」というところで受け容れられているようだ。

もちろん「そんなことをしたら売上が落ちる」と危惧する声もあるのだけど、たとえば残業を減らし、私生活に割く時間が増え、それが消費にかける資源が増えることを意味するのだとしたら、市場の拡大によって企業業績はむしろ上昇する。その辺はきっと経済学者の仕事だと思うので詳しく書けないけれど、でもひとつ気になることがある。「ワークとライフって、そんなに綺麗に切り替えできるものですっけ」という問題だ。

ロバート・ケリーさんという政治学者の動画が話題だ。海外のニュースを見ていると、Skypeなどのネット通信を利用した識者コメントや野外ロケが多いことに気付く。もちろん画質などの通信品質が良くないときもあるのだけど、そういうことは気にしないらしい。この動画でコメントするケリーさんも同様に、自宅のPCのウェブカメラでスタジオからのインタビューに答えていたようだ。そして子どもの乱入というハプニングがあって、その慌てた様子も含めて、笑える珍事として拡散されることになった。

僕も「微笑ましいなあ」とは思ったものの、それほど笑えなかった。それはこの動画が、働き方改革だとかテレワーク(通信を使った自宅勤務)だとかを進めた未来にある「職住混交社会」の姿を映し出していると思ったからだ。

実はテレビ中継でなくても、自宅と勤務先をSkypeで繋いで会議というのは割と日常の光景になっている。そういうことが状態化している人は、もしかすると「会議で映されてもいい部屋の片付け方」について詳しいのかもしれないけれど、まあこういう場ではリラックスした自宅の環境が勤め先の会議室に大写しになる可能性が高い。そしてSkype会議に参加しているくらいだから、その人は会議で重要な役割を担っており、また自宅にいなければならない何らかの事情、たとえば育児や介護といった課題を抱えているものと思われる。ケリーさんの動画がどういう状況でセッティングされたものなのかは分からないけれど、「重要な会議でのプレゼン中に子どもが乱入」なんていうのは、テレワークを進めた先では日常茶飯事になるのかもしれない。

今回の件はおおむね好意的に受け容れられているし、それ自体はいいことだと思う。でも「どうしても仕事の場に行くことができない=自宅にいなければならない」という状況には、もっとシビアなものだってある。もしも認知症を抱えた親の自宅介護や、高熱を出した子どもの看病がその退っ引きならない事情だったとしたら、僕たちはそれをどう受け止めるのか。もしも会議の最中に、トイレに入っていた介護中の親のエマージェンシーコールが入ったら。おもちゃをひっくり返した子どもの鳴き声が聞こえてきたら。そのとき僕たちはどういう選択をするのか。

重要なのは、職住混交社会においてこうした「文脈の混在」をどうするかが、働く人自身の責任の問題になるということだ。きょうだいで喧嘩して泣いているくらいなら、あと5分で終わる会議を優先して、子どもたちを放っておくかもしれない。でも実は大きな事故が起きていて、すぐ駆けつけなければいけない状況だったら。そのときに助けが遅れたことの責任は、働く人自身が問われることになる。

アンソニー・ギデンズという社会学者は、もう20年近く前から、オンライン環境を通じたテレワークが一般化することで、僕たちの働き方の意識も変わっていくのだと主張していた。確かにオンライン会議の向こう側にいるメンバーがみな、「ご自宅で御用があるときにすみません」という意識でいてくれたら、それこそ働き方は変わるだろう。でも実際に起きるのは、「テレワークでも参加できるアットホームなミーティング」以外には参加させてもらえなくなるという事態だろうし、そういうことを危惧していたら、結局はテレワークできる役職や立場も限られることになる。可能性としては、産休・育休中の母親の補助的な業務(引き継ぎや担当案件の確認など)で主に用いられることになるのではないか。

そのように予測する理由として、最近話題になった「就職活動の際の非通知電話」がある。携帯電話がなかった頃は、普段は電話を引いていない学生もその時期だけ電話加入権(!)をレンタルして電話を持ち、採用内定通知の電話を待っていたというけれど、今では授業に出ながら「非通知電話=人事からの採用通知」をそわそわしながら待っているのが普通だ。記事の中では「就活生には電話1本かけるにも事前のアポイントメントが必要なのか」と書かれているけれど、その背後にあるのは、「仕事の電話には、どのような状況であれ最優先で出なければならない」という踏み絵を迫るということだ。そこで授業中の教授に謝りながら退席したり、その他の事情を排して電話に出ることの責任は、当の学生自身に課せられている。

僕自身は、授業に出ていればスマホを見ることすらできないし、自宅では家事をしていることが多いのでやはり電話に出られない。多くの場合「メールのほうが都合がいいので」と返しているが、たとえば新聞やテレビのように「今日の夜中までにコメントが取れないと明日の記事に間に合わないんで!」という人もいる。自分が夜中まで働いていたら、仕事の電話にはみな同じように出てくれるという価値観に合わせる義務はないので、そういう場合はお仕事じたいをお断りするけど、それは僕に昼間の定職があるからできることであって、フリーランス的な働き方をしている人には難しいだろう。

繰り返すけど、今回のケリーさんの騒動が微笑ましい放送事故として受け止められることに違和感はない(なにせ動画もBBCオフィシャルだ)。強調したいのは、通信環境の整備によって「どこでも仕事」というスタイルが実現すると、そこで生じる「職住混交」の状況における優先順位の決定が、働く人の責任として浮上してくるということだ。できることなら「多様な働き方」が広がる中で、仕事が優先されないことによって生じるトラブルも「まあそういうこともあるよね(自分だってあるし)」くらいの気持ちで受け止められる職場が増えるといいのだけどな、と思う。

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