ワークマネジメントのフィロソフィー

仕事の連絡はすべてメールで行い、記録に残し、即レスが基本だというワークスタイルがある。相当「できる」人なのだろうと思うけれど、今のように「たくさんの部署にまたがって指示を出す」「それぞれの部署が独立してプロジェクトを進め、統括者はいない」「複数のプロジェクトを束ねるコンセプトは自分の頭のなかにしかない」という環境だと、かえって「記録されていないこと」の質的な重要性が増すので、あまり使えるものではない。

言い換えるとこうしたメールベースの指示というのは、プロジェクトの全体についてイニシアチブを持っていて全員の情報を集約できるか、最終決定だけを行えばいい人、つまり部長クラスや経営者をモデルにしたものであって、プロジェクトマネージャーや課長クラスだと、致命的な見落としをやらかすリスクが高いように思う。というか割と頻発している気がする。

さらにこうしたワークスタイルは、基本的には相手も同じようなスタイルでなければ役に立たないので、その前提となるはずのワークスタイルの共有や、メールで話が済むほどの信頼関係の構築といったものが考慮に入れられていない。もっと言えば、信頼関係が構築できる相手と仕事ができるとは限らないという、社会の大前提を無視しているとも言える。

要するにこの問題を解決するためには、メールでぱぱっとプロジェクトが進むくらいのスモールチームで仕事をするか、非効率を承知で顔を突き合わせる時間を確保するかという話にしかならない。で、組織の規模を選べない以上、選択肢は後者に限られる。

本題。そんなわけで最近は、スケジュールとタスクの管理も二重、三重のチェックを入れるものになっている。口頭で指示した・されたタスクを付箋にメモ、週のスケジュールは別の付箋にメモ。朝の時間に一回は現在のタスク一覧をレビュー、週に一度は長期タスクをレビュー、といった具合に。なぜならとにかく物忘れがひどいのに、口頭での確認や指示がたくさんあるからなのだ。

本当なら新人と呼ばれるうちに身につけておけという話なのかもしれないけれど、先述したとおりこうしたマネジメントの技術というのは、何かを束ねる側にならない限り必要にならないし、身につくこともない。そんなわけで割と意識的に、この数年はそうしたことを実践していて、仕事は早くならないけど、抜け漏れだけは減らせているような気がする。いや、もしかすると適度に抜けたり漏れたりしていた方が楽できるのかもしれない。

『勉強の哲学』があれだけ売れるのだから「ワークマネジメントのフィロソフィー」とかいうタイトルで、現代思想と仕事術を組み合わせた自己啓発本とか書いたら売れるのだろうか。少なくとも現代の勤務環境が、ますます統一的な主体を前提としないポストモダン的なものになっていることに、強く反対する現代思想ってないと思うのだけれど。(転載)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする