儲からないバス路線は撤退すべきなのか――反流動性の意識

この数日、岡山県の両備グループが、運営する78路線のうち31路線を廃止すると発表した件が物議をかもしている。両備グループのリリースによると、岡山市内の黒字路線において従来よりも3〜5割安い料金で運行する循環線が参入を認められたことに対して、「敢えて問題提起として」今回の措置に踏み切ったということのようだ。

この問題は、あとでも説明するように経済学で「クリーム・スキミング」と呼ばれる基本的な問題であり、またインフラ産業の規制の妥当性を考える上でも、教科書の導入になりそうな事例である。だがそれより興味深いのは、この問題に対する世論のほうだろう。21世紀に入って「規制緩和」「新規参入」「既得権打破」といった目標に基づいて種々の改革が進められてきたことの背景には、そのような規制緩和と競争、そしてその背後にある独占企業や既得権への反発があったのだと思うし、そのような研究も社会学の中にはいくつか存在する。ところが、どうも今回のケースではそうした「既得権への反発」より、「規制緩和による競争が、結果的に生活の質を悪化させる」というイメージによる反応が多いように(現時点では)見える。

僕自身は両備グループの経営状況も、黒字・赤字路線がどのような生活圏を運行しているのかも知らないから、その点について社会学的なコメントをすることはできない。ただ、一段視点を高くして俯瞰したとき、この問題とそれに対する反応は、一昨年あたりからの「反グローバリゼーション」の流れとも通底する、「どんなものでも流動性を高めて交換可能にすれば便利になるわけではない」という「反流動性」の意識があるように思う。そこでこのエントリでは、前半部分で経済学におけるインフラ産業の規制についての説明を(素人ながらに)概観し、その上で現在の「反流動性」というモメントについて、社会学的にコメントしてみたいと思う。

1.市場の失敗と自然独占

要約:経済学で規制が正当化されるのは、市場が失敗するから。インフラ産業は自然独占を招くので、政府が公共料金を設定し、価格が釣り上がらないようにするとともに、埋没費用が発生しないように参入を制限する必要がある。

言葉の定義から確認しておくと、規制緩和を巡って論じられる「効率性」というのは経済学独自の用語だ。一般的な語感とはやや異なり、経済学では効率性を、「他の誰の利益を損なうこともなしに、誰かの利益を増やすことができない状態」に近づくかどうかということで判断する。いわゆる「パレート効率的」というやつだ。そして市場が完全競争の状態にあるときには、売り手と買い手の間に他の力が介入しないことによって、このパレート最適が達成されると言われる。

ただ、実際には完全競争の状態が成り立つことはなく、あくまで理念型としての市場でしかない。実際には「市場の失敗」と呼ばれる様々な問題が発生する。この中でバス会社のようなインフラ企業が担う産業を、「費用低減産業」という。簡単に言うと、莫大な初期投資が必要で固定費の割合が大きいため、生産を独占するほど利益が上がるのがインフラ産業の特徴というわけで、これを「自然独占」という。独占企業は規模の経済によって競合を市場から排除する一方、人々の生活に必要なインフラを提供する=他に選択肢がないという条件を悪用して価格を不当に釣り上げることになるので、政府が価格を統制する必要がある、というのが、インフラ企業の規制を正当化する根拠となっている。

あるいはインフラを提供する企業から見ると、インフラの維持には莫大な初期投資と維持費が必要であるため、儲からないとなるとそれがそのまま埋没費用(サンク・コスト)になってしまう。費用が埋没する恐れが高いと誰もインフラを提供しないため、こうした産業は参入を規制して、価格を統制する代わりに独占を認める必要がある。以上のように、価格面、費用面での問題を避けるために、インフラ産業には規制が必要だというのが、高校の政経レベルの知識から導かれる理屈だった。

2.規制緩和と市場の縮小

要約:70年代末ごろから、保護産業の非効率化が指摘され、規制緩和が進められてきた。インフラ産業についていえば、分離分割、新規参入によるクリーム・スキミングが発生する一方で、安全性やユニバーサル・サービスの面で問題があるという批判も挙がった。

ところが70〜80年代の英米を中心として、この前提に対する批判が噴出する。まず価格面に関しては、規制が存在することによってサービスの質が相対的に低下するということが指摘されるようになる。同じ価格でよりよいサービスを提供する可能性があるにも関わらず、既得権益にあぐらをかいた独占企業にそうした改善を行うインセンティブは発生せず、またより効率的なサービスを提供できる事業者の参入もできない。官民癒着の天下りや、規制維持のためのロビー活動がさらなる非効率をもたらす。こうした問題を改善すべきだというのである。

費用面で言えば、インフラ産業の初期投資を相対的に小さくすることが、調達や技術の革新によって可能になったという指摘もある。航空会社であれば飛行機をリースできるようになるとか、運輸・通信などであれば既存のインフラ維持に関わる部分だけを国有化して、それを利用する産業については参入規制を緩和することで、費用埋没の可能性が低い状態でより効率的なサービスを可能にする競争が行われるようになるというのだ。

「独占の恩恵を受けて質の悪いサービスしか提供できない既得権が、より質の良いサービスを提供できる民間事業者を排除している」という批判は、70年代から80年代にかけての規制緩和の根拠となっただけでなく、いわば「世の空気」として人々に共有されていった。日本で言えば80年代の電電公社、国鉄などの民営化の時期より、90年代末〜2000年代の各種規制緩和の際に、こうした世論はより支持されていたように思う。

規制緩和とその効果については、産業によっても時期によっても評価が異なるのでここでは言及しない。ただ運輸・交通インフラに関して言うと、独占企業を解体した結果、インフラ投資に見合うだけの収益を挙げられる市場とそうでない市場の格差が広がった一方で、前者のようなうまみのある市場に偏って新規参入のインセンティブが発生するという問題が生じた。田舎の赤字路線を支えられないインフラ企業はもちろん、収益性の見込める路線には格安路線をうたう事業者が参入し、「クリーム・スキミング(いいとこ取り)」が横行した。あるいは既存企業と新規参入の事業者が価格競争の果てに共倒れになったケースもある。もちろん、その結果として不利益を被るのは消費者だ。

また同じく運輸・交通の分野では「安全」や「ユニバーサル・サービス」という面からも批判がある。相対的に経験の浅い企業が新規参入したり、収益を重視して安全性に関する取り組みを「無駄なコスト」と見なすようなインフラが普及することで、結果的に安全が犠牲になるとか、儲からないならバスを走らせないというのは、過疎地域に住まう人の利便性を損なうというのである。今回の両備グループのケースでも、問題提起の対象となっているのは「クリーム・スキミングを可能にする新規参入を認めることで、ユニバーサル・サービスを担う事業者が撤退を余儀なくされてもいいのか」ということであると考えられる。

3.効率性と行動経済学的利得

要約:経済学の前提は資源配分を経済効率の観点から測定・評価できるようにすること。だが近年の行動経済学の発達は、人の利得意識が必ずしも効率性と関連しないことを明らかにする。例えば交通の不便な場所に住み続けることの長期的なコストよりも、引っ越しや新しい土地に馴染む短期的なコストを避ける。

ただこうした経済学批判(人の命や生活は効率性で測れない!)に対する経済学からの反論もある。安全や生活を経済効率で測るのは、人によって異なる価値観をひとつのモノサシで把握することで、限られた資源をどのように配分すべきかを検討するためだ。昨年大きく話題になった経産省のレポートがそうであったように、使えるお金が限られているときに「全員の生活が大事だ」と言っても仕方がなくて、効率性という点で考えたときに、ほんとうにそこにそれだけの費用をかける必要があるのかどうかを、個々人の「情」と切り離して計算できなければ、全体の支出が無限に膨らんでいくか、悪くすると声の大きい人たちの利益が最優先されることになる。だからこそ、経済効率という指標が重要になるのであると。

そのように考えると今回の問題は、「ほとんどが赤字路線となっているバス事業を、現在のような非効率な形で維持し続けるべきかどうか」という問いかけになっているとも言える。問題は、赤字路線を支える事業者が適切に保護されていないことなのか、そうした地域にまで人が拡散して居住していることなのか。確かに僕の済む兵庫県でも、神戸市から離れた地域を走るバス会社のバスでは、窓枠が傷んでいたり椅子が破れていたりする車両に出くわすことがある。怖いな、と思うけれど、バスの安全性を確保するための補助金を税金から支出するべきなのか、もっと儲かる地域に人が移住すべきなのかと言われると悩ましい。

現在の国策としては、国土交通省の「コンパクトシティ+ネットワーク」構想のように、長期的に集住を目指していくという方針がある。僕自身も、大枠としてはその方向しかないだろうと思う。だが重要なのはそこで「どのくらいの時間が想定されているのか」ということではないか。行動経済学の成果が明らかにするように、人は長期的な不利益よりも、短期的な利益の方を重視して判断する傾向にある。どこかのタイミングで不便な場所からは移住しないといけないと分かっていても、引っ越しや新しい生活に馴染むためのコストを避けたいという気持ちのほうが勝ってしまうのだ。こうした傾向を無視して「非効率なのだから廃線、嫌ならさっさと引っ越せ」というのが広く受け入れられることはないだろう。

4.反流動性とは何か

要約:ポイントは、効率化が達成される時間の長さ。変化が遅れることによって機会損失が発生するのは確かだが、人の生活は金融資産のように流動的ではないので、あまりにも時間が短いと心理的な抵抗の対象になる。一昨年からの反グローバリゼーションの背景には、何にでも流動的に適合できるAnywhereな人と、変化に対する抵抗感の強いSomewhereな人との対立があるというのがGoodhartの見立て。
⇒結論として、行動経済学的な心理傾向に見合う変化の速度がどの程度のものなのかを検討する必要がある

以上のような現状のレビューを踏まえた上で、社会学的に重要な点はどこか。ひとつは、経済的な効率性に関する論点が、「どのような状態がパレート効率的なのか」というものから「どのくらいの期間をかけてパレート効率を目指すのか」というものにシフトしているのではないかということ。経済学が重視するのはパレート効率性からの現状の距離だから、変化の遅れはそのまま、効率化された状態と比較した場合の機会損失を生むものと見なされる。一方で、人の生活の変化には一定程度の時間が必要であることも間違いないのだ。オンラインバンキングでお金を振り込んだり、機械の部品を取り替えるように、人の生活を動かしたり組み替えたりすることはできない。正確には、できるとしても強い心理的抵抗を伴うので、経済学的なインセンティブを用意するだけで人がそのように行動するとは想定できない。

最初に書いた通り、一昨年あたりからのBrexit、トランプ現象などの背景にある「反グローバリゼーション」の流れや、それを受けた世論の風潮が、「規制による非効率と不利益」から「規制緩和による生活の流動化への不安」へと変化しているのではないか、というのがここ最近の僕の見立てだ。そのことについて書かれた象徴的な本が、2017年に出版されたDavid Goodhartの”The Road to Somewhere”である。この本の中で彼は近年のポピュリズムの背後に、彼の言う「Anywhere」な人々の台頭があるのだという。

Anywhereな人とは、多様性に対して寛容で、どのような人とでも付き合うことができ、自分の能力を認めてくれる場所であればどこでも働けるといった人々。イメージ的には金融トレーダーやグーグルのエンジニアのようなグローバル・エリートだろうか。それに対して、変化に対して消極的で、昨日あったように今日があるという慣れ親しみに生活の基盤を置いているのが「Somewhere」な人々だとされる。Anywhereな人々にとっては、タクシーがUberに変わり、より低価格で目的地に到着できるようになることは「よい変化」だが、Somewhereな人々にとっては、一言も会話せずにスマホの地図だけを見ながら目的地まで自分を「運ぶ」ドライバーの登場によって、野球の試合結果について世話話をするタクシー運転手が駆逐されることは「悪い変化」ということになる。

ここで大事なのは、僕たちは必ずしもタクシー運転手と世話話をしたいと思っているわけではないということだ。都市化が進展する過程で、僕たちはだんだん見知らぬ人と話をすることが少なくなってきたし、野球の話題を振られても別に興味ないなあと思うことも多いだろう。そうではなくて、より利便性を高めるために、昨日あったものが次々と入れ替わってしまうことに対して、僕たちの気持ちが追いつかないために、あるいは自分すらもそのような交換対象として見なされることに対する不安があるために、そのような変化に対して抵抗感が生まれてしまうのだ。

高齢者の多い地域のスーパーのレジに並ぶと、そこには「効率性」とはまったく違うサービス基準があることに気付かされる。店員(客と同じく高齢者だ)と客は支払いの小銭が間違っていないか、ポイントの利用をどうするかについて少しでも多く会話しようとする。ゲームセンターでは、メダルコーナーや自販機横のベンチにたむろする高齢者の姿が目立つ。要するに彼らは、少しでも非効率に過ごせる場所に集まるようになっている。社会全体が若く、効率化のためにスピードを上げていくことが目指されるのとは真逆の、「停滞した社会の固定費用」が徐々に上昇しているのを肌で感じるとともに、中年期に差し掛かり、自分自身もいずれそのコスト側に回ってしまうことのリアリティが芽生える中で、「なんでも入れ替え可能にする」ことへの抵抗感を見落としてはいけないと思うようになった。

こうした抵抗感のことを僕は「反流動性」と呼んでいる。流動化して、ヒト・モノ・カネをもっとも効率化された状態に向けて自由に移動できるようにすることが人間の幸福を高めるという理念に対して、特に先進国や停滞社会の人々は、次第に疑念を抱くようになっている。一方でこれらの社会においては、急速な成長のためではなく、安定的な成長と限られた資源の効率的な分配を両立するための変化が求められていることも間違いない。だとすると検討しなければならないのは、どのように変化した状態が最適であるかということだけでなく、「どのくらいの速度の変化であれば人々に受け入れられるのか」ということではないか。そして政府の責任とは、そのようなソフトランディングを可能にするための規制(緩和)のあり方を検討することではないのか。

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