ニューゲームのない人生

「強くてニューゲーム」という言葉がある。もともとは大ヒット作となったゲームで、クリア後に表示されるエクストラ仕様で、クリアした際のステータスを引き継いだまま最初からプレイできるというものなのだけど、そこから転じて「今の記憶や経験を引き継いだままあの頃に戻れたら最強なんじゃね?」という妄想や憧れのことを指している。若い頃にそういう感情を抱いたこともあった気がするけど、さすがに42歳ともなると、積み重ねたもののあまりの多さに「どこに戻ればいいんだろう」と途方に暮れる気持ちのほうが強い。

やり直せるなら、やり直したいことは山ほどある。けれど、人は誰しも、そういう取り返しのつかないことや離れていってしまった人の記憶や、それを恥じたり悔いたりする感情の上に自己を形成している。もしもその瞬間に戻って、それをやり直すことができるのだとしても、やり直したいと思った自分の後悔はそれで消えたりしないし、消えてしまうのだとしたら、そこでやり直したいと思った理由すらも失うという矛盾をはらんでいる。実際、そうやって「やり直し」を経験した人生にも別の後悔はあるし、せっかくやり直した人生も「こんなものか」と思ってしまえば、途端に色あせて見えてしまうのじゃないか。

この数年、大好きなバンドのひとつがThe Cheseraseraだ。センチメンタルなメロディの中に一貫して漂うリグレット感が切なくて、とにかく胸に刺さる楽曲が多いのだけど、特に印象に残ったのが、昨年のライブで聴いた「Blues Driver」だ。

Blues DriverとはBOSSの大ヒットエフェクターの名称。Vo.宍戸のMCによると、この曲は音楽をやめてしまったかつての友人のことを歌ったものなのだという。そこで宍戸はBlues Driverの色にかけて、心の中の「青い炎」について話していた。目立たなくても、心の中の青い炎を絶やさないようにというようなことを聞いた記憶がある。

その辺の記憶が曖昧なのは、そのMCからの演奏で大号泣してしまったからだ。その頃、まったく別のきっかけで自分のゼミのロゴとして採用した「青い炎」について考えていて、まさかその場でそんなシンクロニシティが起きるとも思っていなかったので、油断した心を大きく揺さぶられた結果、MCの内容と自分の考えがうまく区別できなくなってしまった。

いまの勤め先での生活も10年目になるのだけど、生来の引っ込み思案が災いして、友人のような社会関係資本とは縁のない暮らしをしている。一方で教え子には恵まれていて、毎年のように泣いたり笑ったりしながら教員をできている。そんな彼らとああでもないこうでもないとミーティングを重ねていて思うのが、人間には「心に火が灯る瞬間」というのがあって、できるかぎりその心の灯を大事にしてほしいということだ。研究であれ、遊びであれ、友人との語らいであれ衝突であれ、「どうでもいい」と思っていたらそんなことをしなくて済むような経験をして初めて、もうどうでもよくなんかなかったこと、自分の心に火が灯っていたことに気づくのである。

ほとんどの学生は、卒業後は社会に出ていくし、僕自身も自分と同じ研究者を育成するということにあまり積極的ではない。軽音サークルのメンバーの大半が、就活や仕事を始めたら音楽をやめる前提で、一時の楽しみとしてバンド活動をするように、教え子たちも学問のプロになるためではなく、そこで得た経験を人生の糧にして次のステップに進むために大学に通っている。僕だけがそこで、ずっとサークルに残ってバンドを続ける留年した先輩のようなポジションで学生たちを送り出しながら、自分の演奏を続けている。宍戸のMCと歌に涙してしまったのは、あれだけ一緒に馬鹿をやった仲間が大人になっていく一方で、ひとりステージに立ちながらまだ歌っている自分とかつての仲間の間に、まだ心の灯が共有されているのなら、どうか届けという祈りを感じたからだと思う。

強くてニューゲームの状態で、もう一度やり直せるなら、という願いは、ある意味で教員という仕事をしているだけで叶っている。昨年はこうだった、だから今年はこうしようというPDCAを回しながら、まっさらな状態で入ってくる新入生たちと向き合っていれば、自動的に年々強くなってニューゲームができるのだから。でも、どうにもそういう工夫や効率化に対するモチベーションは湧かない。自分の仕事が高いクオリティで達成されることよりも、学生たちと同じまっさらな状態からスタートして、一緒にゼロから心に火が灯るような経験を重ねたいなと思う。そして、そうやって積み重ねた経験が、多くの失敗や後悔に彩られて、もう戻れないことを知りながらもそれらを引き受けてまた次の人たちと向き合えるような、そういうニューゲームのない人生がいいなと思う。

人生にやり直しはないし、永遠の祭りも、終わらない青春もない。それでも、青臭い若さを冷笑する成熟をどこかに忘れてきてしまったまま40代を迎えてなお、ゼロから心に火を灯す生き方をしたい。きっとまだ、いやそもそも、人生にクリアなんてないのだから。

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