心温まる「ローカルニュース」

雑記

大型連休、という言葉は、僕にとってほとんど意味をなさないものだった。会社に行かない時間は休みの時間なんてライフスタイルには縁がなかったし、何日も仕事もせずに家でのんびりとか、不安が募らないんだろうかと思ってしまう。昔、風俗嬢に食わせてもらってた友人が「毎朝女が置いてった金でパチンコして帰って寝るだけの生活を続けてるとさ、3ヶ月くらいで、人間がダメになっていくのがよく分かるんだよ」って言ってた。遅えよ、と思ったけど、僕の場合は少しせっかちすぎるのかもしれない。

そんなわけで、人生で初めてかもしれない「大人の大型連休」を手にした今年は、見事に目標のアノミーの状態に陥り、とりあえず積みゲー消化が我がベルーフなのだとか意気込んだり(結局進まなかった)、TSUTAYAで名画を借りてくるなんていう正しい休日の過ごし方を実践してみたりしたのだけど、それでも時間は余るわけで、夕食時にはNHKのニュースとかドキュメンタリーとかを真面目に見ちゃったりしていたのだった。

東京を離れてあらためて意識するのは、ニュースのローカル枠だ。もちろん東京にだってローカル枠はあるのだけれど、この土地のローカルニュースは、実家にいた頃に見ていた情報番組と同じで、基本的にハートウォーミング。亡くなったおじいちゃんが大事にしていた藤の花とか、地元の警察官の真摯な取り組みとか、客寄せのために副業を始めたSSの店長とか。ありとあらゆる出来事が「温かい絆に支えられる地域社会」を表象するものになり、そして実際にそれが地域の現実を構成していくのだ。

そのことを強く感じたのは、6日に放送されたNHKスペシャル「“35歳”を救え あすの日本 未来からの提言」だ。翌日の「日本の、これから」の「未婚社会」もたいがい酷かったけど、NHKの悪い面がばっちり出ていたという点では、前者の方が溜息ものだった。

まず語られるのは、35歳の団塊ジュニア世代が置かれた、親世代の理想に裏切られた姿。雇用は流動化、結婚も出産も出来ないのがいまの30代のリアルであり、彼らは苦しい状況に置かれていることが描かれる。「自分はもう結婚は出来ないんだな」と諦める男性が登場し、「私たちの時代とは違うんですね」と、年配アナウンサーが繰り返す。

翌日の未婚社会でも、63歳の男性が「結婚にとらわれる必要はない」という意見に対して「誰が自分を生んで育ててくれたと思っているんだ」と批判していたのだが、何を言うか、未来のない田舎を出て、都会でサラリーマンの収入に支えられた核家族を築いたのは、まさにこの世代ではないか、と思ったのだけど、それに近い感想だ。「私たちの時代」の生き方は、世界的にもごく短い期間にだけ、一部の先進諸国で広がった「標準モデル」に過ぎない。全体の約3分の1がそうした生活を享受できたことを多いと見るか少ないと見るかは微妙だが(僕はすごい率だと思う)、その輝きが現実として息づいている様は、はっきりと見て取れる。

そこでイギリスの積極的雇用政策が紹介され、ギデンズ先生が登場。お元気そうで何より。僕の記憶では彼は「これまでの技術蓄積が陳腐化していく時代には、職ではなく人への投資が必要」ということを述べていた。だが番組ではその後、前段の部分についてはアナウンサーが一瞬だけ触れるのみで、「人への投資」の事例を紹介していく。オバマ政権においても、環境やITへの投資を通じた雇用創出が掲げられているにもかかわらず、新産業の可能性や必要性は完全スルーというわけだ。

代わりに出てくるのは、町工場での職業訓練や、住宅提供を行った自治体の政策。要するに、「人への投資とは、視聴者の皆さんが住んでいる田舎町に、若者が帰ってくるということです」という意味でしかなかった。むろん、日本の中小企業の競争力は今でも健在だし、支出を圧迫する高い家賃は問題だろう。でもこうした形で雇用政策が論じられると、日本の未来とは「ネジを作らせたら世界一」の国として、中国やベトナムの下請け仕事をやることなのじゃないかと思えてくる。ある人々にとって誇りある仕事を貶めるつもりはないし、そういう未来もあり得るのかもしれないが、それが「視聴者の皆さん」の子どもたちの何を奪うことになるのかについての想像力は、NHKでなければ誰が涵養できるというのか。

「地方のおじいちゃん・おばあちゃんでも分かるように」、と、NHKで仕事をするとたまに言われる。そんな人はどこにいるのだろうと思っていたけれど、きっと一定数いるのだ。そもそもテレビはもう中年以上のものだし、どれだけ広くとっても昭和生まれの想像力を再生産することしかできていない。そこにNHKという変数が介在すると、あのローカルニュースと同じく、「ありうるはずの温かい地域社会」が、理想の投影ではなく、失われゆく、守られるべき現実として立ち上がることになる。しかしながら、それが人の善意によって支えられるべきものだと表象される限り、実際には若い世代に負担がのしかかり、彼らの可能性を剥奪することに繋がるということは、意識されようがない。

ある環境や制度が選択され、保持されるべきだと考えられるとき、僕たちは往々にしてそれを可能にした条件のことを忘れがちだ。特に世代の再生産が絡むと、話が厄介になる。ロスジェネ(笑)問題の一番面倒な部分は、欧州の15年遅れでやって来た社会の構造変動の影響が、いわゆる「黄金時代」を生きた世代の子ども世代を直撃したということだ。彼らは、彼らの親が歴史上初めて「当たり前」のものとして享受することのできたライフコースを内面化した後、現実の構造変動に直面したため、親世代の夢に「裏切られた」感覚を保持しながら、新しい環境に適応することを求められている。

親子の価値コンフリクトと社会の構造変動というテーマで思い出されるのは、デビッド・リースマンの『孤独な群衆』だろう。あの本では、いわばベンチャーの時代から会社人間の時代への変化と、そこで生じる親子の価値観のズレが主題になっていた。いま生じているのは、それと逆の変動だろう。さらに言えば、リースマンの頃の「お父さんの時代とは違うんだ」という言い返しが、自分たちこそ安定的で恵まれた環境を生きられるという期待に支えられていたのに対して、団塊ジュニアは、我々は父母たちのように恵まれてはいないんだという意味で、この言葉を使うのである。

新しい時代は、放っておいても勝手にやってくる。だから革命に参加しないことは別に罪じゃない。その代わり後悔を残すなよ、と呟いたのはBoss The MCだ。参加しないというリアリティを僕は尊重するし、その中で生きていこうとする人々はまぶしいと思う。けれどテレビで心温まるローカルニュースを見る度、僕はこの温かさの中にカウントされはしないだろうし、だからこそ参加する道を選ぶしかないのかな、と思うのだ。

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