昨日、今日と東京出張。六本木ヒルズで取材、乃木坂で会議、渋谷でご飯を食べて秋葉原で宿泊と、せわしないルートで動いたせいか、行き帰りの新幹線で録り溜めていたアニメを8時間分くらい一気に見たせいか、頭痛が酷いので今週のエントリは短め。
東京を離れてあらためて気付くのは、メディアの中に表象される「東京」のイメージの強度だ。特にここ数日は、ヒルズでもアキバ絡みでも事件が起きて、メディアを通してしかそれを知ることのない人にとって、とてもベタなステレオタイプを再確認し、強化する機会になったのだろうなと思う。
けれど、実際に歩いている街には、そうしたステレオタイプとも、あるいは「地元を知る」メディアの強調するイメージとも異なる、「けもの道」のような輪郭線が描かれている。時と共に街が変わっても、その輪郭線が失われない限り、道に迷うことはない。もともと火事や地震で「失われる」ことが多かったこの街では、何かを守ることより、どれだけ変わっても街を見失わないセンスの方が重視されるのだと思う。
どうにも寝付けなくて、久しぶりに終電間際の秋葉原を歩く。中央通りの灯火はすっかり消えているけれど、昭和通り側は昔からの歓楽街だったわけで、深夜でもそこそこ明るい。とはいえそれでもさすがに平日の夜だから、1時で閉店というところが多くて、ふらりと入ったバーでビール一本だけ飲んで退散。ちゃんと歩けば、アキバにだってレゲエ・ミックスを爆音で鳴らすお店にも出会えるのだ(趣味じゃないけど)。
たまたまそこにそれがあった、あるいは、それしかなかった、ということを、それを大事にしたり、楽しんだりすることの理由にはしたくないな、と思う。新しいものを作ったり、そういうものを生み出すために、古いものをあえて壊したり、それを繰り返してでも一番面白いものを創造しよう、というアティテュードを、僕は歓迎したい。たとえその大半が、ほとんどの人にとって見向きもされないようなものだったとしても、僕がそれを大事に思った、ということだけで、この街にはまた新しい輪郭線が生まれる。この街を離れて初めて、そういうことを意識した。