民主主義不信

雑記

PCがクラッシュしてしまったおかげで、ほとんどの仕事がスタックしている。どうせ新年度までには買い換えるつもりだったし、ちょうどVAIO TYPE Zが日本でも発売になったのでタイミングはよかったのだけど、3週間近くモバイルマシンがないというのは痛い。こういう時期には読書や散歩をしながらいろいろと考えるのが定番だけど、ここのところあまりよくないフェーズに入っていて、碌なことが考えられない。それでも幸運なことに取材や講演の予定はたくさん入っているので、腐って家で寝ているというわけにもいかなず、なんとか社会に繋がっている感じ。

その中でぼんやりと考えたのが、いま、僕たちが直面している民主主義不信について。政治不信、と言ってもいい。一般にマスコミで言われる政治不信は、正確には「政治家不信」であって、トップをすげ替えれば政治というシステムが健全に機能することが期待されているという意味で、政治=民主主義というシステムはむしろ信頼されている。でも、実際に政権交代が起きて、でまあ予想通りいろんなところで迷走していて、行き着く先はいよいよ「待ったなし」という感覚なのではないかと思う。

ある取材で、極端な政治的主張・行動をする人たちについて聞かれた。僕はたいてい、そういう現象に対して、彼ら自身になりきったつもりで考える。インターネットで明らかにされる真実、待ったなしの現実、マスコミの偏向報道で隠蔽される事実。そうした要素の積み重なりの中で、彼らはこう考える。「いまこの国は危急存亡の事態に直面している。それなのに、腐敗したマスコミはそのことを報じようとしない。ゆえに、我々が直接行動で真実を示していくほかないのである」と。個別の11人が集い、怪気炎を上げるにはこの国のシステムはよくできすぎていて、集まった人間の数倍の規模で警備が入るのだという。この国の公共空間では「何も起きなかった」ことにする力が、つよくつよく働いている。そして僕たちも皆、そこで見たこと聞いたことを知らぬふりをして、昨日と同じ日常がやってくること、それが当たり前であることを期待するのだ。

けれどそれだけに、「真実」に気づいた人たちが、マスコミ不信を通り越して、民主主義不信にまで到達してしまう素地が固まっているという気がする。これまでは、民主主義は健全に機能するはずで、それを阻害しているのはマスコミだという話でよかった。でも、彼らにとってこの国が必要な変化に向けて動き出せないのは、もはやマスコミだけのせいではないのだ。既得権は、マスコミだけではない。いびつな世代構造や、それにもかかわらず一票の平等を守る民主主義のシステムそのものが限界に来ている、という発想まで、僕らが生きている場所からはそんなに遠くない。さらに困ったことに、イデオロギーの性質を問わず、こうした発想はニューメディアととても仲がいい。

もはや待ったなしだ、行動を起こすべきときだ、それを邪魔するやつらは、蒙が啓かれていないか、既得権者になりたい連中だ。こういうロジックは、かつてであれば若者に特権的に許されたものだった。だがそうして大人になれぬまま吹きだまった若者たちが一定のボリュームになり、その一番上がベビーブーマーの子ども世代に重なっていたことも含めて、時代は来るべき「大対決」へのステージを着々と準備するところにきているのかなと思う。その勝敗の行方は分からないし、科学者としての僕はそこにあまり興味を持っていない。むしろ「戦後」がどのように経験されるのかをつぶさに見られる位置にいられるかどうか、そのことの方が気になっている。

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