寒すぎた冬がまだ尾を引いているせいで桜も例年より遅め。震災の影響を直接には被っていないとはいえ、一部の商品はスーパーでも売り切れる状況では、「入学おめでとう」などとのんきなことは言えないのかもしれない。まして、長いスパンで考えれば景気停滞、雇用不安、グローバル化への対応など、あと4年もたてば社会人として自らも取り組んでいくことを期待されるお題が山積み。これなんて無理ゲー?となるのも致し方ないと思う。でも、大学に入れたということは、それだけで他にはないアドバンテージを手にしているということだったりする。基本的には昨年のエントリで言いたいことは尽きているのだけど、今年も少しだけ「大学生活の使い方」について。
1.ともあれ図書館は財産だ
学生であるうちにしか許されないことのひとつに、大学図書館の利用がある。もちろん大学によって規模は違うし、卒業しても多少は利用できるケースも多いんだけれど、ともあれ大学図書館というところは、町の公共図書館には入っていないような専門書や学術書、そして古い本が置いてあることが多い。
大学に入って指導されることのひとつに、ネットで知った情報をコピー&ペーストしてレポートを仕上げるのは剽窃(パクリ、どろぼう)だというのがある。時代遅れの考えだと思うかもしれない。でも、こういう風に考えることもできないだろうか。検索して調べられる内容なんて、他の人も知りえる程度のこと。そこに差を付けようと思えば、ネットに載っていない情報をどのくらいストックしているかが大事になる。
そういう情報は、図書館にならタダで転がっている。検索したら一日かかることが、もう本にまとまってたりする。どう探していいか分からないことでも、司書の人に聞けばいろいろ教えてくれたりする。そして図書館を使いこなせているだけで、ネットでの調べ物の効率もずいぶんと上昇する。いなばさんの卒業生へのメッセージでも書かれてるけど、大学図書館こそ最大の財産だ。「知らないことは図書館にある」を合言葉に、図書館探検してみよう。
2.お金はうまく使おう
タダで手に入る情報、という話に関して言うと、とりあえずお金が足りなくなると思う。景気の影響で仕送りが減った学生も多いし、生活スタイルが変わって何をするにもお金がかかるようにもなる。なんだ飲み会の会費ってみたいな。
こういうときに大事なのは、限られた予算をどう振り分けるかだ。個人的には、欲しいものができたからバイトするという考え方も嫌いじゃないけど、できれば固定費や交際費をうまくコントロールできるようになって欲しい。それでも問題は、本を買うお金が一番の後回しになってしまうことだ。
活字離れと言うけど、実際は学生だってそこそこ本を読んでいる。もちろん話題の新書だとか背伸びしてビジネス系自己啓発だとか、その辺が多いだろうけど。注意して欲しいのは、この手の本には、よいものもあるけれど、より専門的な本の内容を薄めたものや、偉い人の話のまとめだったりするものも多いってことだ。
どの本がよくてどの本がダメか。そういう情報はネットにたくさんある。ただ、そうしたキュレーションされた情報源をうまく使いこなすことと、自分がキュレーションできる能力を育てることは、まったく違うものだと僕は思っている。キュレーションする能力は、いいものとダメなものをたくさん読んで、その幅について知るしかない。
でも自分にとっていいものって、実際は少数なわけだから、どう探せばいいのか分からない。というか買って確かめるお金がない。さてどうする、となったとき、やりがちなのが、「手元の予算で買える一番いいものを買う」ことだ。でも、こういうやり方は要するに、使える予算の限度額が自分にとっての「よいもの」の限界を決めてしまうことになる。
ある程度は仕方ないのだけど、でもできれば「一番いいものを一番安く手に入れる方法を考える」という発想で臨んで欲しいなと思う。まとめ本を読むくらいなら、元ネタの難しい本を古本で買うとか、CDだってゲームだって友達と貸し借りできたりもするはずだ。お金は使う奴が偉いのでも貯める奴が偉いのでもないのだ。
3.みんな同じなんて幻想だ
ところで、大学生っていうと「いまどきの若者」って扱いをされるわけだけれど、我こそは典型的ないまどきの若者である、と思っている人は、あまりいないかもしれない。まあそういう話は、若者じゃない人がどこかの本やテレビで言ってることだものね。でも、偉そうな人たちに十把一絡げに「若者」呼ばわりされるのにも、それなりの理由がある。
もっとも大きな理由は、学生でいる時期の年齢の偏り具合だ。周囲を見回しても、同じ学年の子たちはせいぜい1、2歳しか変わらないし、人生経験にだってたいした差はないように見える。こういう状況では、お互いの違いってせいぜい性格とかファッションくらいになっちゃうし、空気を読んでヨコナラビで「やー全然試験勉強してないわー単位やばいわー」とか言ってる方が楽かもしれない。
まずはその幻想をぶち壊す、じゃないけど、本当はヨコナラビでみんな同じ、ではないのだ。社会に出て何年かして、同窓会で集まってみよう。仕事も年収も人生設計も、ぜんぜんヨコナラビなんてことはない。というよりヨコナラビじゃなくなったもんだから、もっともヨコナラビに見えた学生の時期の思い出話が盛り上がっちゃう場合だって少なくない。
本当は、たまたま同じ年代の人間しかいないから気づかないけど、君の周囲の人たちは、君とは全く違う人生を歩んできて、いまはたまたま同じ環境を共有しているけど、また全然違うルートへと別れていくのだ。大学生のヨコナラビに合わせることが、学生という身分にクラスチェンジできた証で、そうでない奴はぼっちだなんてことは気にしなくていい。
4.意味わかんない奴とつるめ
といっても不安なんです寂しいんですって人もいると思う。情緒不安定だった高校までの自分とはバイバイ、大学からはうまいこと仮面をかぶって適切な距離をとって揉め事だけは起こさないように、そんな人になりたいです、っていうのも、別に間違いってわけじゃない。
ただ繰り返しになるけれど、そうして仲良くやってる連中も、後々振り返ってみれば実は全然別ルートの人生を歩んでいくのだ。そして、大人になってからの人間関係における財産は、この「別ルート」の人とどのくらいつながっているかで決まると思っていい。仲良しを増やせという意味じゃない。卒業してからも連絡をとっても気まずくない程度の「別ルート」の友達を確保しておくってことだ。
こういう友達は、たとえばサークルに入れば他学部の連中とつるめるし、大学間の交流を持っているところならさらに広がりもあるだろう。イベントを打ったりして学生以外の人と関わるのもいいし、インドア派な君にだってコミケだの文学フリマだのと、年に2回くらいなら奮発して東京に集合してもいいぜ、みたいな機会は用意されている。
こういうところで「意味わかんない」奴と関わることだ。意味わかんないっていうのは、要するに相手が自分と別ルートにいるってことがはっきりしてるってこと。別に意味の分かる人だけでもそれなりにルートの多様性はあるんだけど、学生の有利なところは、いろんな人と関わるのに対してコストがかからないことだ。ファーストフードで夜明けまでだべるとか、大人にはけっこうつらい、というか、大人はすぐそういう退屈をお金で解決しようとする。
お金がないとか若いって条件が共通していれば、相手がどんなルートの人だろうと、てゆうかぶっちゃけ何国の何人だろうと、意外と話すことはあったりするのだ。お金をかけずに得られる財産は、お金で買えないからこそ、大人になってお金ができてからじゃ絶対に築くことができない。そういうポイントを貯められる時期がいまなんだってことは、スタート時だけでも意識しておくといいと思う。