ハーモニーについて考える。いわゆる「ハモる」というのは、現代においては平均律において12分割された音を、調和の取れる組み合わせで同時に鳴らすことを指す。平均律というのは、1オクターブを12等分した音階のことで、中世のヨーロッパで普及したことになっている。また社会学でもマックス・ヴェーバーのように、平均律を「正しい」音階とする考え方に批判的な向きもある。とはいえ、僕らが「ハモった」音を心地よいものと感じるのは、現代において一般的な傾向だろう。
ただ、この「ハモる」も実は割と奥が深い。そもそもこの平均律の発見は、弦楽器の発達と関係している。弦楽器を弾く人ならよく知っているように、ピンと張られた弦の中点では、その弦を鳴らした音の1オクターブ上の音が鳴る。4分の1の点では2オクターブ上が鳴る。ギターで言うと5フレット上のハーモニクスの音だ。弦楽器はこのように、音を数学的に分割するのに都合のいい楽器なのだけれど、それゆえに、「音」が空気の振動によって生じていることを直に感じることのできるところが多い。
チューニングをしていると、下の開放弦と上の5フレットで同じ音を出しながら合わせることになるのだけど、音が合わないと、文字通り空気の山の「ズレ」が、2つの音の微妙な波となって聴こえてくる。チューニングが合ってくるほど波の幅は小さくなり、完全に一致したところで波は消滅する。つまり音が合うというのは、空気の振動の幅が一致している状態であることが、体感的に分かるわけだ。
当然「ハモる」というのも、この幅がきちんと「合った」音が重なっている状態のはずなのだけど、実はそうとも言えないから面白い。まず、多くの楽器は、それぞれの音に複雑な倍音やノイズを含んでいる。キレイな波形を描く音は「サイン波」といって、「ポー」という感じの音になるのだけど、ギターにせよトランペットにせよ、あるいは打楽器でも、様々な形の波が重なり合って、複雑な波形になっている。さらには人間の声の場合、音程が一定であることはまずなくて、ボリュームやピッチが微妙に揺れている。つまり声でハモっても、数学的に完全なハーモニーにはならないのだ。
このことは、ハーモニーの考え方を人間関係に応用するときに、興味深い示唆を与えてくれる。つまり僕たちが心地よいと感じるハーモニーは、必ずしも数学的に完全な周波数の波の組み合わせではなく、揺らぎやズレを多少なりとも含みつつ、一定の流れの中で調和するようなものなのだということだ。ジャズの世界なんかでは「テンション」といって、ハーモニーから外れる音を和音の中に持ち込むことが多い。なぜか。その「テンション」つまり緊張関係は、ある種の不安定さを含むがゆえに、常にハーモニーへと向かう傾向にあるからだ。これを音楽理論では「テンションの解決」と呼ぶ。人間関係だって、そのようなズレがあるからこそ、解決に向けてそれぞれが自分の音を奏でるのだし、その解決された状態だって、常に何らかの揺らぎや数学上のズレを抱えている。
そもそも、ギターの調律をしたことのある人なら全員が知っていることだが、実はギターという楽器は、6つの弦が完全なハーモニーを奏でるように調律することが不可能な楽器で、必ず3限のGがズレることになっている。僕たちはそういう楽器の音を聴いて、綺麗だの美しいだのと言う。数学的にあるべき調和と、僕たち人間が生きている調和は、実は同じものではない。だからこそ、人間関係を音楽として捉えたとき、テンションの音が入ったり微妙な波の揺らぎがあったりしながら、ハーモニーになる瞬間があればそれでいいのじゃないかと、例えば作曲なんかをしているとよく思うのだった。