ランキングから降りる

雑記

大学教員になってから、年の暮れというものの感覚がずいぶん変わった。確かに学生たちの卒業論文・修士論文が大詰めの時期だからあまり気の休まることはないのだけど、一方でレギュラーの授業がない時期だというだけで、あるいは事務職員との打ち合わせや会議が入らないということだけで、普段よりものんびりできるようにも思える。考えごとをする時間が増えるから、1年を振り返りながら、余計なことばかり考えてしまうのは若い頃と変わらないのだけれど。

ただ今年に関しては、振り返っても「辛かった」「苦しかった」という思いがフラッシュバックするばかりで、あまり有意義なところはないかもしれない。たしかに昨年のように多くのものが止まってしまうという状態ではなくなった。だけど、「どの程度まで動くかは各自の判断に任せる」という世の中全体の方針が、昨年以上に僕たちをバラバラにしたように感じる。どのくらいリモートワークを続けるのか。いただいている対価に見合う仕事とはなにか。社会全体はもちろん、同業者の間でも、あるいは学生たちとの間でも、意思の統一などできるはずもなかった。

ちょうど夏頃をピークに、心身のバランスを大きく崩してしまったのもある。春から秋にかけての緊急事態宣言下で、社会も、自分の身の回りの感覚も大きく引き裂かれた。確かに様々な制約はあるものの、たとえばゼミのような少人数授業は対面での開講「も」許されていた。だが大学全体では登校する学生はわずかだったし、リモート授業を続ける教員が大半だったように思う。自分自身はなんとか教育環境を維持しようとあれこれ奔走したのだけど、それが結果的にダメージになった。

また、様々な制限を「緊急事態だからダメ」と考える人もいれば、「守ってれば別に何しても大丈夫なんでしょ」と捉える人もいて、たとえばSNSなどでは後者の人しか投稿しないから、見ているだけで心が軋んだ。どれだけのことをしても、結局のところ自分の仕事には思い出以上の価値はなく、すべては徒労でしかないのだという邪念を振り払いながらふだん以上の働きを続けるのには限界があった。夏以降は、ネット全般はおろかメールも見られなくなり、仕事の連絡も大きく滞って各方面に迷惑をかけたはずだ。この頃は会う人すべてに「なんか疲れてる」と言われていた。

ランキングから降りた活動

一方で、そんな状況だったけれど活動は多かった。昨年執筆した原稿がようやく出版されたこともあって、今年だけで分担執筆の本が4冊。また緊急事態宣言中には、テレビ出演でもレギュラー以外にスポットというか代打での出演が多かった。人の目に止まりやすい時間だったので、色んなところで「見てますよ」と言われる機会も増えた。

ただ自分の中で大きかったのは、やっぱり楽曲配信を始めたことだと思う。もともと、自作曲がスマホで聴けたら便利だ、という程度の気持ちで始めたものだし、毎週テレビ局に向かう途中に聴くのにちょうどいい長さだったので、たくさんの人に聴かれようという思いもなかったのだけれど、意外に簡単に登録、配信ができてしまうということを知って、それなら新曲だけのEPを配信しようと思った。年末のリリースに向けて夏頃からずっと曲作りをしていたので、今年一番聴いた曲は、と訊かれたら、間違いなく「自分の曲」と答えるくらいには音楽活動に没頭していた。

その他にもひっそりと弾き語り動画なんかを作成したりもしていて、よく考えてみたら、自分が社会的に貢献できるスキルではなく、ほぼ需要のない活動に多くのリソースを振り向けていたことになる。最初に書いたように心身ともに疲れ切っていたので、リハビリとしてはそれでいいのかもしれないけど、「お前のやるべきことはそういうのじゃないだろう」と言われると返す言葉もない。

じゃあどうして、そんな「無駄な活動」に真剣になっていたのか。それは、自分のしていることの意味を取り戻すために、どうしても「ランキングから降りた活動」が必要だったからだ。配信した楽曲も動画も、ほぼ再生数はゼロだ。だからその活動には社会的な意義、あるいは収益というものは発生していない。でもそれは言い換えると、「純粋にやりたいからというだけで行う活動」でもあったのだ。

ランキングがもたらす労働疎外

いまは、どんな個人的な活動でも、ひょんなことでバズってしまう時代だ。友達に向けて公開したはずの動画が芸能事務所の目に止まってスカウトされたり、ちょっとした弾き語り曲からデビューのきっかけが生まれたりする。SNSでは、そうしたバズを狙ってたくさんの人が表現活動を行っている。その中にはクオリティの高いものも低いものもあるけれど、すべての人に門戸が開かれているという点で、表現活動の民主化が進んだことを感じる。ニコニコ動画の時代からそうだったとは思うけれど、いまやその門戸はスマホ一台あれば開ける程度にまで広がったのだ。

ただし、そこで「バズ」を狙ったり、そのために毎日動画を更新するとか、アクセス解析をして効果的な表現を追求するといったところまでいくと、とたんに活動そのものが苦しくなる。面白いからという理由で行っていた表現活動が、「やらなければいけないもの」になり、楽しむことではなく、「ランキングの上位に入ること」が目標になる。やりたいことではなく、「バズること」が表現の選択肢を形成するようになる。

こうしたジレンマは、古典的な労働疎外の問題だとも言える。マルクスによれば資本主義社会とは、まず生産手段を独占する資本家が労働者を雇用し、搾取するという構造に特徴がある。資本家は労働者の労働力を搾取して生産した商品を独占し、自らの利潤のために販売する。つまり労働者にとっては、自分が苦労して作った商品は、最初から自分のものにはならない。これを「商品からの疎外」という。

また、労働そのものも、やりたいからやっているのではなく、資本家に雇われ、命じられているからやるものになる。つまり、労働が自分の内発的な動機で行われるものではなく、命令と給料という外在的な動機で行われるものになって、自分から切り離されてしまう。これを「労働からの疎外」という。

結果的に、資本主義という仕組みそのものが、人間を巻き込み、人間によって成り立っているにもかかわらず、人々にとってよそよそしいものに感じられるようになる。人々は人間らしい心を失って、歯車のように働かされることになる。これを「類的存在からの疎外」という。

マルクスの理論は、機械制大規模工業が発達する産業革命以後の社会、端的に言うとフォーディズムの社会におけるリアリティを伴った議論だった。だから現代のようなポスト・フォーディズム、つまり製造業ではなくサービス業や、クリエイティブ産業が中心になる社会では、あまりリアリティを感じられないところもあるかもしれない。でも、そうではないのだ。

プラットフォーム産業の暗黒面

たとえばプラットフォーム産業。多くのプラットフォーム産業では、自らが価値を生み出すのではなく、価値を生み出す誰かと、その価値を消費する誰かの間を「つなぐ」ことだけをビジネスにしている。そしてその「つなぐ」方法の巧妙さによって、多くの利用者を集めている。具体的には、多くの人に人気になるような価値提供者を大きく取り上げ、たくさんの人とつなぐことによって、「ここを見れば面白いものがある」と思わせるのである。そして価値提供者は、そのような利用者がたくさんいる場所にこそ、価値を提供したいと考える。こうして利用者と価値提供者の相互作用によるシナジーを生み出していくことを「市場の二面性」という。

つまり、プラットフォーム産業はその本質として、価値提供者をランク付けし、彼らを競わせることによって、そこに集まる価値の質を高めるというビジネスモデルを内包している。価値提供者は、あたかもそれが自分の内発的動機に駆動されたものであるかのように、ランキング上位を目指して日々価値提供活動を続けるのだが、それは実際には、プラットフォームの提供する競争環境によって促されているものでしかない。しかも、そのランキングの方式じたいもブラックボックスであり、日常的にチューニングされている。以前の「バズるメソッド」は次の日にはもう通用しないかもしれない。昨日の1位が今日はランク外かもしれない。

そういう権限をプラットフォームに握られた状態で行うクリエイティブな活動は、どこかマルクスの言う「疎外」そのものであるように見える。作った作品はプラットフォームのものであり、自分のもののようには感じられない。ランキング上位を目指すための活動は、プラットフォームから「やらされている」ものでしかない。最初は楽しくてやっていた創作活動は、いつの間にか「バズるためにやらなければいけない活動」へと堕してしまうのである。

価値のある仕事なんてない

もちろん、そうした仕組みを納得した上でランキング上位を目指して活動することそのものを僕は否定しない。というより、すべての経済活動はそういうものだろう。だからこそ、同じプラットフォームで表現活動を行う際に「ランキングから降りる」という意識をもつことが重要なのだ。

近年では、エッセンシャルワークだとかブルシットジョブだとか、仕事の価値に線を引く議論が盛んだ。確かに、給与という面で見れば「あの仕事よりもこの仕事の給料が高いなんて」と思うものは多々ある。そこで近代経済学者ならば「給与水準を決めるのは仕事の内容ではなく需給のバランス」というのだろうけど、僕はそれとは違う観点から、この線引きに反対したい。

仕事の価値を決めるのは、社会的な必要性であるべきだという主張は、直感的には納得のいくところもある。でも、その「必要」は、なぜ生じるのだろう。たとえば現代の先進国において福祉や介護の仕事は、欠くべからざる本質的な必要を有している。でもそれが「必要」になったのは、たとえば高齢化が進んだからであり、あるいはQOLに対する感覚が成熟したからでもある。つまり、あらゆる人類、あらゆる社会に共通の「必要」は存在しない。

そこで「この仕事には価値がある・ない」という線を引いてしまうことは、言い換えると「価値のある仕事であるようにしなければ、この社会から消えても構わない」と判定される危険性に、自らの身を晒すことになる。価値がある・ないというランキングを離れても「あり得る」仕事を目指すほうが、多くの人が不幸にならずに済むように思う。

そのままを肯定する一年を

そんなわけで、あまり「いい年」と言い切るには苦しいことの多い一年だったけれど、一方で(様々な社会性を犠牲にしつつも)ランキングから降りた表現活動に邁進できたことで、どうにか転ばすに走りきった2021年も終わり。今後ももう少し、人の言うことに耳を貸さずに好きなことをする場面が増えそうだけれど、来年はせめてそれが形として残せるようにしたいものだ。

というところで、毎年、年末のブログの最後に書いているお話。「七味五悦三会(しちみごえつさんえ)」という、江戸時代の風習について。これは大晦日の夜、除夜の鐘が鳴っている間に「その年に食べて美味しかったものを七つ」「その年に起きた嬉しいことを五つ」「その年に出会えてよかった人を三人」数え上げることができたら、その年はいい年だったねといって年明けを迎えるというもの。

ほんとうはこの風習、振り返りの時間よりも、そういう年の終わりがあることを意識しながら日々を過ごすことの方に本質があるように思う。みなさんの一年が、振り返るに足る、曇るところのない、美しさに満ちた一年であればと願います。

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