奪い合いと分かち合い

雑記

2024年は僕にとって、この数年続いたスランプを抜け出す光が見えた年だったと思う。スランプと言っても別に仕事ができなかったとかではない。自分にとって納得のいく活動ができず、自分でも納得がいかないから、悪口や文句を言われることに耐えられず、結果的に人との関わりを最小限に減らして精神的に閉じこもっていたのだ。

それに対して、「なぜそうなったのか」「何がきっかけで抜け出せると思ったのか」を整理すると、個人的な問題というより、もう少し大きな話になるように思える。せっかく年末恒例の振り返りブログなのだし、ちょっと踏み込んだ予測(妄想)も含めて書いておきたい。

コロナ禍で感じた「批判」の限界

自分にとって大きなきっかけになったのは、やはりコロナ禍だ。スランプとか言ってるけど、コロナ以後の自分の仕事量は決して少なくない。雑誌の連載、メディア出演、学会発表に共著数冊の出版。怠けていたわけではないけれど、それらよりも熱を入れていたのは、勤めている大学のオンライン授業環境の構築や広報活動といった「目的と目標、アウトカム指標が明確に存在する」類の仕事だった。

そちらに力を入れた理由は、何度か書いているけれど「自分では手を動かさないのに文句だけは言う」人々に対する怒りと反感だ。そういう人はどんな職場にもいるし、なんならネットで文字を通じて自説を主張している人の大半はそういう人かもしれない。自分はそうならないぞ、という意地のような意思だけが、膨大なタスクを捌いていくモチベーションになっていたと思う。

ただそれは「目標が明確だからそれに向けて動いているだけ」でもある。自分がしたいこと、主張したいことについては脇に置くか、むしろ、「もう何も言いたくない」くらいのつもりでいた(参考:2022年の年末ブログ

というのも、僕のこれまでの仕事の多くは「従来とは異なるものの見方を提案することで、社会のあり方に批判を投げかける」というものだったからだ。批判というのは単純な文句というよりは「このままでいいのでしょうか」という感じの、受け手に考えることを促すような主張のことなのだけれど、それこそまさに、「自分では手を動かさないのに勝手なことを言う」振る舞いでしかないように思えた。批判だけしたって世界は変わらないのに、小賢しい屁理屈を捏ねてどうしようというのかと。

一方で、むしろ近年の人文系の言論は、「それでいいのでしょうか」という批判のほうが主流だ。とりわけ、これまで抑圧されてきたマイノリティとされる人々の視点をフィーチャーしたり、当事者自身が語ったりすることで、僕たちが当たり前に生きているこの世界に疑問を投げかけるような著作、論者が多く登場し、また受け入れられるようになった。まだ不十分なところも多いけれど、それでも以前よりは随分ましになったはずだ。そして、それなら自分がわざわざ批判などしなくてもいいのではないかとも思えた。

リベラルによる「弱者を使った抑圧」

でも、僕以外の人にとってはそうではなかったようだ。いわゆる従来の枠組みで「マジョリティ側」と決めつけられる側にいる人々は、こうした批判の高まりを受けて、おおむね2つの戦略を取ることになる。

ひとつは「懺悔」だ。私たちにも責任の一端があったかもしれないとか、知らず知らずのうちに抑圧する側に回っていたかもしれないとか、そういう告解をすることで、あたかも自分が批判される側から批判する側に回れるかのような、そういう態度が前提とされるようになった。とりわけメディアではその傾向が強かった。以前なら放言が当たり前だったタイプの出演者が「こういうことは許されない」とか「あなたからも反省はないのか」とか言い出した。現場スタッフからも「こういう受け手もいるので一言配慮のある発言を」などと促されたりした。

醜悪だな、と思ったのは、その人たちが本心から反省したとか改心したというのではなく、「いまはこういうのがウケるから・ウケないから」という理由でそのような態度を取っていることが見え見えだったところだ。

なぜそう思うのか。先ほど「決めつけられる側」と書いたけれど、そもそもマジョリティ・マイノリティというのは属性の問題だけではなく精神やアイデンティティの問題でもあり、外形的に切り分けることなどできないからだ。むしろそのような外形的な切り分けが隠蔽する抑圧を可視化するためにこそ、インターセクショナリティといった概念も提唱されているはずだ。なのに、「受け手の空気」だけを基準に「あなたは謝る側・反省する側」と決めつけることの暴力性が置き去りになることに対して、強い違和感があった。

こうしたことが言語化できるようになるのに、ものすごく長い時間がかかった。ひとつのきっかけは、関西でのメディア出演が増える中で、維新の会の支持者のタレントさんたちとの付き合いができたことだ。彼らには共通の価値観がある。それは、「自分は幼い頃から差別されたり虐げられたりする立場にいた。だからこそ自助努力によって現在の地位を得た。なのに関西には、あたかも自分が弱者であると主張すれば、誰からも支援してもらえると思っている奴らがいる。許せない」というものだ。その考えには決して同意しないけれど、彼らが「反リベラル」の立場を採るモチベーションは理解できる気がした。誰にも、自分こそがマイノリティだと感じるようなきっかけはあるのだ。

もうひとつ、学問のレベルで言うと「このままでいいのでしょうか」という批判の矛先が「資本主義」や「合理主義」に向けられるようになったことも、僕にとっては悩ましかった。確かに合理主義を突き詰めて資本の拡大を目指すことに問題はある。しかしながらそれをどう修正するかを考える手前のところで「お金のことばかりでいいのでしょうか」「私たちにはもっと大事なことがあるのではないでしょうか」と言われても、そりゃあそうですけどね、としか返せない。

これは抽象的な話というより、僕にとって仕事の価値の話でもある。大学院生も多く研究室に在籍するようになってくると、少なからぬ院生や学部生が合理主義・資本主義批判に関心を持つようになる。学問に関心を持つのはありがたいことだけれど、一方で僕には、彼らから学費や実習費を徴収し、それに見合うだけの実績やスキルを提供する義務がある。そこで「確かに合理主義の追求には問題がある、張り切って研究したまえ」とか指導しても、就職先が近づくわけではない。そもそも資本主義と合理主義に乗っかって給料をもらいながら、学費を払う側の学生に「資本主義はよくないよね」とか、どんな面をして言えるのか。

これも結局は、「何かを批判できる立場にいれば断罪されずに済む」という安直な態度の表れでしかない。マジョリティや合理性や資本主義に抑圧される側に連帯し、共感を示してさえいれば自分も批判側に立てるという態度で仕事を続けるのは、僕には無理だった。

学者の価値自由と責任倫理

率直に言えば、こうした状況の変化の中で「こう思う」「このままではよくない」「こうしなければならない」といった主張をするのが億劫になっていた。でも、それがかえってよかったのかもしれない。

早朝のニュースのコメンテーターを務めるようになって4年以上たつ。制作局と報道局が相乗りの番組なので、殺人や虐待などの事件報道も生活密着系の季節ネタも扱うけれど、政局や経済政策、国際情勢などのニュースを取り上げることも少なくない。こうしたニュースに対して解説を加えるわけだけれど、強く意識しているのは「こういう政治を目指すのであれば、この点は評価できる」「今回講じられた対策は、この観点からすると問題がある」といった「if〜then〜」形式で話すようにするということだ。

こうした態度を社会科学全般において「価値自由」と呼ぶ。この概念を提唱したマックス・ヴェーバーに従うなら価値自由とは、どのような主張も価値を帯びており、中立というものはありえないことを前提にしつつ、客観的事実と価値判断が別物であることを意識し、両者の緊張関係のもとで学問的実践を行うということになる。より平易な例を挙げるなら、「少子化が進行している」という事実と、「少子化対策が必要だ」という価値判断を区別した上で、現在の少子化はこのような形で進行しているので、少子化対策を行うならばこういう施策が必要ではないか、と提案するというものになる。

できるだけこうした態度を貫徹しようとすると、とにかく基礎の勉強が大事になる。経済学、政治学、社会保障論、法律学、行政学など、教養レベルで知っておくべきことを前提にすれば、少なくとも「子を持つ親としてこういう事件は不安になるので、早くなんとかしてもらいたいですね」といった、タレントがすればいいようなコメントはせずに済む。さらに「海外ではこういうケースもあるので、この点については参考になるのではないか」といった、自分でもあまり考えたことのなかった実践的なアイディアも生まれたりする。いわゆる「批判」を軸にしていた頃の自分とはまったく異なる知的刺激を受けているのが今の現場だ。

自分の中で生じた価値観の変化を的確に言い表してくれたのが、先に挙げたヴェーバーの『職業としての政治』という本だ。この本(というか熱のこもった講演)でヴェーバーは「心情倫理」と「責任倫理」を区別して論じている。心情倫理とは、自分自身の信ずるところに依って判断する倫理で、たとえば「殺すなと命じる神に背くことはできないので、たとえ命令でも一切の殺生を拒否する」といった態度を指す。これに対して責任倫理とは、自らの行動の前提や帰結を把握したうえで、「それにもかかわらず」自らの責任で決断しようとする態度を指す。

要するにこの数年の「スランプ」とは、僕自身の心情倫理に従えば到底許すことのできない、自分ならそんなことはしないという状況が周囲に広がる中で、その倫理と現実の板挟みになって身動きが取れずにいたということなのだ。他方で、社会的な発信をしたり、文字通り責任をもつべき教え子が増えたりしたことで、僕の中で徐々に責任倫理に依った行動が増えていった。もちろん批判されることも悪口を言われることもあるけれど、「それにもかかわらず」行動することができるくらいには、言われていることが事実に基づく批判なのか、ただの悪口や難癖なのかを区別できるようになったと思う。

奪い合いの世界へ

さて、以上がこの数年の自分の頭の中の整理なのだけれど、その派生で、2025年以降の世界を見通す軸のようなものも浮かんできたように思う。最後にその点も整理しておこう。

巷では第2次トランプ政権の外交・通商政策が世界と米国に与える影響だとか、ハング・パーラメント状態になった国会での参院選に向けた駆け引きだとかが話題になっている。そうしたトピックに対する具体的な分析や解説も可能なのだけれど、ここでは多くの問題を貫いている「気分」について言及しておきたい。その「気分」の名は「剥奪感」だ。

剥奪感とは、自分自身の持ち物が他人に奪われたり、あるいは他人が自分より恵まれていることで、自分が損をしているような気になることを指す。後者は「相対的剥奪」と呼ばれ、社会学や社会心理学で長年研究されているテーマなのだけれど、アメリカであれEUであれ、そして日本であれ、政治や政府に対する不満のあらゆるところに見いだせる感情ではないかと思う。

いわく、エスニック・マイノリティは白人より優遇されている、ウクライナへの支援がEU市民に負担を強いている、弱者男性は女性支援の背後で無視され続けているといった言説は、事実とは別のレベルで「そうだそうだ」と思う人々を生み出し、反政府、反リベラルな政策への支持基盤となりつつある。日本において、多くの専門家が「物価上昇によって苦しむ庶民が得をするのは減税ではなくて給付」という意見で一致しているにも関わらず、富裕層にこそ恩恵の多い減税が支持されるのも、自分たちの手取りが「奪われている」という感情の反映だろう(税金がすべて為政者の懐に入っていたり、社会保障費が負担者のもとに一円も入らないというのであればそれも納得できるけれど)。

自分たちは奪われているという感情は、リベラルな世界において最強のカードだ。なんとなればリベラルは、そうした「奪われていても声を上げられない当事者の声に耳を傾ける」べきだと言ってきたのだから、話を聞くべき人とそうでない人を、耳を傾ける側の理屈で選別していいということになれば、その欺瞞性が指摘されるのも当然のことだろう。

困るのは、この問題の解決が「自分にもよこせ」というものであることだ。経済が拡大している状況ならば、増えた取り分を足りていない人に回す「プラスサムの分配」も可能だろう。しかしながら現在は景気拡大が足踏みすると予想され、また物価の上昇によって生活が苦しくなっている状態なのだ。こうした状況で誰かの取り分を増やすためには、誰かの持ち分を減らすしかない。つまり、限られた資源の奪い合いが生じるのである。

奪い合いの中で資源を確保するために必要なのは「力」だ。2025年以降しばらくは、「力」を持つ人や組織のもとに「取り分」を求める人々が身を寄せることになるだろう。場合によっては、その「力」を巡る揉め事や紛争が生じるかもしれない。力と力でぶつかり合うというより、より「取り分」を確保できる力のもとに人を集めるための競争が起きるイメージだ。それはおそらく、「我こそがもっとも虐げられたものの味方である」という、弱者救済を名乗るポピュリズムの形を取るはずだ。

いずれにしても、限られた取り分を自分(たち)のもとに確保するための争いは、社会をあらゆるところでギスギスしたものにしていくだろう。「自分たちの声も聞け、自分たちに取り分をよこせ」という声があらゆるところから高まれば、僕がそうだったように、「持てる側」と名指された人は、目を閉じ耳をふさぎ、黙って嵐が通り過ぎるまで誰からも見つからない場所に逃げていくはずだ。

ほんとうに必要とされているのは「あいつらの持ち分を取ってくる」力ではなく、「みんなの取り分を増やす」方の力なのだ。そういうタイプの力が登場するのか、それとも奪い合いの世界が続くのかは、きっと政治家や企業家に限らない、多くの人の責任倫理にかかっている。

美しかったものたちへ

それにしても、よく立ち直ったものだなと思う。立ち直ることがいいことだとも思わないけれど、昨年の年末ブログとか読むとどん底感はあるので、よくこの世から落っこちなかったものだ。

昨年がそうだったように今年も、自分のためにずっと「美しいもの」を求めて動いていた。アートの展覧会だけで16〜17本くらい行ったし、ライブハウスにもだいぶ足を運んだ。単純に人との関わりが増えたり広がったりして、美味しいものをいただく機会も増えた。そのままにあるだけで美しいものに触れることが、振り回されがちな世の中では唯一の凪なのかもしれない。

そんなわけで、毎年のブログに書いている一年の振り返りの話。「七味五悦三会」という江戸時代の風習についてだ。大晦日の夜、除夜の鐘が鳴っている間に、その年の「美味しかったものを七つ、楽しかったことを五つ、出会えてよかった人を三人」挙げることができたら、その年はいい年だったねと笑って終える、終いの儀式。僕にとってはもう何十年も続けていることではあるのだけど、今日出会ったあなたにとって初めての話なら、ぜひそんな風に今年を締めることができたら素敵だなと思う。来年も、一年の締めくくりを振り返る平和がありますように。

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