「日本の若者は政治に無関心だ」という言い方をよく聞く。選挙に行かない、社会問題に無頓着、自分たちの力で何かを変えようとしない。そういうイメージは、長いこと日本社会の「常識」として流通してきた。
ところが数字を見ると、その常識が揺らいでいる。2019年に日本財団が行った国際調査で、「自分の行動で国や社会を変えられると思うか」という問いに「はい」と答えた日本の18歳は18.3%であり、9カ国中、断トツの最下位だった。2026年の同じ調査では、その割合が52.7%になっているのである。
何が起きたのか。そして、この変化を僕たちはどう受け取ればよいのか。
劇的に上昇した割合

2019年の18.3%という数字は、比較対象9カ国の中で断トツの最下位だった。2位の韓国(39.6%)とすら20ポイント以上の差がある。2022年には26.9%と上昇したが、6カ国比較でもなお最下位。2024年に45.8%、2026年に52.7%と増加し、今回、はじめて半数を超えた。

確かに、6カ国中の最下位という位置は変わっていない。それでもこの7年間の動きには、それまで見えなかったものが見えてきた気がする、という感覚がある。こうした調査を扱う立場としては、この短い期間に3倍近い数字になるというのは通常は考えられないのだけど、もしもこれが本当なのだとしたら、いまの18歳は、20代なかばの若者と比べてもまったく異なる特徴をもっていることになる。
データの注意点
そんなわけで、この数字をそのまま受け取ることには慎重でありたい。こういう劇的な変化をするときには、だいたい調査設計に変化がある。
調査の詳細な内容を見ると、まず、質問文自体が4時点で微妙に変わっている。2019年は「自分で国や社会を変えられると思う」と聞いていたものが、2022年・2024年には「自分の行動で、国や社会を変えられると思う」と「行動で」という文言が加わった。2026年にはさらに「わたしの行動で国や社会を変えられると思う」と、主語が「自分」から「わたし」になっている。つまり、厳密には同一設問の経年比較ではない。
さらに大きいのが回答形式の変更だ。2019年と2022年は「はい/いいえ」の2択だったが、2024年と2026年は4択のスケールに変わった。2022年から2024年にかけての急増(+18.9ポイント)には、この形式変更の影響が含まれている可能性が高い。「どちらかといえば同意する」という中間的な選択肢が加わったことで、消極的な肯定が拾いやすくなったと考えるのは自然な推測だ。
これについては、重要な点をひとつ付け加えておかなければならない。日本財団自身の公式報告書も、測定方式をまたいだ経年比較を公式には行っていないのだ。2026年の報告書が比較対象とするのは、同じ4択形式の2024年調査だけだ。本稿で並べた「7年間の変化」は、その意味で厳密には比較できない。
それでも、測定方式が同じ期間内の変化は比較的信頼できる。2019年から2022年(いずれも2択)で+8.6ポイント、2024年から2026年(いずれも4択で、かつ日本のみ同一パネルでの再調査)で+6.9ポイント。つまり、調査方式の変化の影響を排除した範囲でも上昇は確認できるのである。
政治アレルギーの由来
この変化が何を意味するかを考えるには、日本の若者がなぜ「政治に無関心」とみなされてきたのかを、少し遡っておく必要がある。
1960年代から70年代にかけて盛んだった学生運動は、その後急速に下火になった。続く世代は「シラケ世代」などと呼ばれたが、それでもまだ政治の熱が高かった時代の記憶は、かろうじて引き継がれていた。
問題は、その記憶がどのような形で伝わったかだ。いまの50歳前後の世代にとって、政治運動のイメージは親世代から伝聞で届いたものだ。熱気よりも、内ゲバと呼ばれた暴力的な結末や、その後のアングラ文化への退潮の方が印象に残りやすかったのではないかと思う。そこへ、20代の頃に経験した「郵政選挙」が加わる。新自由主義的な構造改革への熱狂が、後々まで続く就職難として返ってきた体験だ。
自分の手元のデータを含め、各種調査が示すところでは、いわゆる氷河期世代と呼ばれる層は、政治への期待が薄く、自己責任を重視する傾向が他の世代に比べて顕著だ。「政治的であること」への距離感は、単なる無関心ではなく、特定の歴史的経験から形成されてきた部分がある。
政治学などでは、有権者が政治を動かせると思う感覚のことを「政治的有効性感覚」という。今回対象にしている質問はその中でも「内的有効性感覚」と呼ばれるが、こうした感覚が弱いのが日本の特徴だとされてきた。その要因についても多くの研究があるが、特に社会運動のようなアクティビズムに対する根強い忌避感があるとされてきた。
このバックグラウンドを前提とするなら、「わたしの行動で社会を変えられると思う」と半数を超える若者が答えるという状況は、明確な更新を意味する。蓄積されたアレルギーの外側で育った世代が、違う感覚を持ち始めているのかもしれない。
関心は行動に変わるか
ここで一つ、懸念として耳にすることがある。若者が政治に関心を持つと、過激な思想に感化されやすくなるのではないか、という見方だ。この懸念には、政治参加が選挙や党派的な運動といった文脈に限定されて語られてきた歴史が影響していると思う。
だが、市民が社会に関わる方法は、投票だけではない。署名、消費者としての選択、地域のボランティア、NPOへの参加、あるいはオンラインでの問題提起。その幅を広く取れば、「政治参加」よりも「社会参加」という言葉の方が実態に近い。
2026年の調査で「国や社会に役立つことをしたい」という項目に68.0%が同意している。「行動で社会を変えられると思う」(52.7%)と組み合わせて読むと、変えたいという意志と役立ちたいという意欲が、少なくとも意識の上では重なり始めていることがわかる。
一方で、投票率の推移を見ると、この変化がより立体的に見えてくる。18歳選挙権が導入された2016年の参院選では18歳の投票率は51.28%と高かったが、2019年参院選では35.62%まで大きく下がった。その後、2025年参院選では18・19歳の投票率が41.74%(総務省)と回復に転じ、2026年衆院選では18歳の投票率が51.47%と2016年以降の最高水準に達したと報じられている。意識調査の上昇と投票率の回復が同じ時期に重なっていることは、偶然ではないかもしれない。
それでも、社会に関わる方法は投票だけではない。「何ができるか」のレパートリーが広がれば、高まった意欲はさらに多様な形で結実するだろう。
従来とは違う感覚の芽生え
「日本の若者は政治に対して無関心だ」という見方は、2026年時点では成立しない。少なくとも、データが示す範囲ではそう言える。
ここで問い直されるべきことがあるとしたら、それは若者だけの話ではない気がしている。「政治的であること」への距離感が社会全体に広まったのは、ある時代の、ある世代の特定の経験に端を発している。もしそうなら、政治アレルギーというものは日本人の不変の特性ではなく、歴史的な条件の産物だということになる。
そして、その条件の外で育った世代が、違う感覚を持ち始めているとしたら。
この調査の数字が示しているのは、単なる意識の変化以上の何かかもしれない。大人がこの変化にどう呼応するか。その問いは、若者ではなく僕たちの側に向かっている。
参考資料
日本財団「18歳意識調査」第20回(2019年11月30日公表)
https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2019/20191130-38555.html
日本財団「18歳意識調査」第46回(2022年3月24日公表)
https://www.nippon-foundation.or.jp/wp-content/uploads/2022/03/new_pr_20220323_03.pdf
日本財団「18歳意識調査」第62回(2024年4月3日公表)
https://www.nippon-foundation.or.jp/wp-content/uploads/2024/03/new_pr_20240403_03.pdf
日本財団「18歳意識調査」第78回(2026年4月6日公表)
https://www.nippon-foundation.or.jp/wp-content/uploads/2026/04/new_inf_20260406_03.pdf
文部科学省「国政選挙における年齢別投票率の状況等」
https://www.mext.go.jp/content/20200819-mxt_kyoiku02-000009481_3.pdf
総務省「第27回参議院議員通常選挙 年齢別投票率」
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/sangiin27/index.html
日本経済新聞(2026年衆院選 18歳投票率に関する報道)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA138VB0T10C26A3000000/
