9月23日、立憲民主党の代表に野田佳彦氏が選ばれ、27日には自民党の総裁に石破茂氏が選出された。2024年は米大統領選をはじめ先進各国で選挙イヤーなのだけれど、ここにきて日本でも年内に衆議院の総選挙が行われる可能性が高まっている。
そんな中で注目のキーワードとして挙がっているのが「中道」ないし「中道保守」という言葉だ。いくつか新聞記事を見てみよう。
社説:野田立民新代表 中道路線で挙党態勢築けるか : 読売新聞
立憲民主党・野田佳彦新体制「中道保守」にカジ 自民党離れの層狙う – 日本経済新聞
(時時刻刻)「政権取りにいく」 立憲新代表に野田氏 中道保守路線、党内で好感:朝日新聞デジタル
いずれの記事でも共通しているのは、野田氏が安全保障・防衛政策において立民の従来の主張から距離をとっていることを根拠に「中道」だと評価している点だ。また、それを「現実主義」と呼ぶか「保守的」と呼ぶかは若干の違いがあるとはいえ、裏金問題などを受けて自民党支持から離反しつつある「穏健な保守層」を取り込むねらいがあると見ている点も共通している。
この説明は選挙戦略としては理解できるが、有権者を主語にして考えてみると、いまいち筋が通っていない。与野党の政策的なスタンスの違いは安全保障政策だけでなく、年金・社会保障、それと密接に関連する税制や金融政策、少子化対策、夫婦別姓など多方面にわたるのであり、「防衛に関して自民党に歩み寄ってくれれば立民を支持できる」と考える有権者が「穏健な保守」の中核であるとは限らないからだ。
一方、僕自身も7月に掲載された朝日新聞の談話記事で次のようにコメントしていた。
左右の位置づけは異論もあるでしょうが、自民党自体、党全体のバランスでいえば戦後一貫して中道政党でした。「中道少し左寄り」ぐらいが日本の民意ではないでしょうか。ところが「中道右寄り」の自公政権に対する選択肢が、現状では立憲民主党と共産党が組む「左」しかない。だから、やむを得ず「中道右寄り」の自民党が選ばれてきた。
ここで中道右よりと想定されているのは岸田政権のスタンスなので、政権によってはより右寄りだと解釈することもできるだろうが、ここでも「右・左」の定義を明確にしているわけではない。僕が念頭に置いていたのは選択的夫婦別姓の是非をめぐる世論調査の結果なのだけれど、他の政策においても同じことが言えるのかはっきりしない。
そこでこの記事では、僕が関わっている研究チームのデータを参照しつつ、自民党支持者、立憲民主党支持者、無党派層の3者の政策スタンスを比較し、「民意」のバランスがどのようになっているのかを探る。そのうえで、「右派・中道・左派」の対立軸を整理し、民意を位置づけることを目指す。
政党支持者と無党派層の政策スタンス
今回用いるのは、2023年10月から11月にかけて行われたアンケート調査の結果だ(注1)。まだ継続調査を行っている最中なので詳細な数字は省略するのだけれど、ここでは自民党支持者、立憲民主党支持者、無党派層の3者を対象に、個々の政策や、目指すべき社会像がどのようなものになっているのかを見ていこう。
表1は、個別の政策についてそれぞれ賛成する人の割合の違いをもとに整理したものだ。これを見ると「自民党支持者と立憲民主党の支持者の間に違いがなく、両者と無党派層の間に差がある」政策と「自民党支持者と立憲民主党の支持者の間に差があるものの、後者と無党派層の間には差が見られない」政策、そして「自民党支持者と立憲民主党の支持者の間に差があり、その中間に無党派層がいる」政策がある。
表1の通り、自民党支持者と立憲民主党の支持者、そして無党派層の関係は、政策ごとに異なっている。たとえば「自衛隊の明記」「緊急事態条項の設置」「財政再建優先」といった項目では、自民・立民の支持者の間に差は見られず、むしろ無党派層の方が反対する傾向が強い。つまり無党派層の方が左派的な立場を取っていると言える。
一方、憲法改正や原発再稼働については自民党支持者が賛成、同性婚については自民党支持者が反対しているが、立民の支持者と無党派層はともに前者に反対、後者に賛成と左派寄りの傾向にある。つまりこれらの政策において無党派層は、立民支持者と近い立場にある。
ただ、夫婦別姓については、無党派層が自民党支持者と立憲民主党支持者の間に位置しており、常に無党派層が左派寄りというわけではない。また「望ましい社会のあり方」について聞いた質問では、「働いた成果とあまり関係なく、貧富の差が少ない平等な社会」「税負担は大きいが、福祉などの行政サービスが充実した社会」「生活に困っている人たちに手厚く福祉を提供する社会」のいずれにおいても、やや立憲民主党支持者が賛成する傾向があるものの、無党派層においては税負担を嫌う傾向が見られる以外に目立った差はなかった。
右派・左派対立の変化
ところで、ここで「左派寄り」と言ったときに、どのような基準が想定されているのだろうか。直感的には夫婦別姓や同性婚を支持する人は左派寄りだと見なされているけれど、たとえば福祉よりも財政再建を優先するのは右なのだろうか、左なのだろうか。
大嶽秀夫は、外交・安全保障問題に関するスタンスが日本における右派・左派のイデオロギーの基準になっていることを指摘している(注2)。確かに20世紀の常識では「保守(右派)=安全保障優先、改憲」であり「革新(左派)=平和憲法護持」だと見なされていたし、いわゆる55年体制や1960年以降の経済成長優先政策の下での、明確な争点がそこにあったことは疑いようもない。
ところが現代においては、右派・左派の争点となるものは安全保障以外にも多岐にわたるし、新たな軸と呼べるものも登場している。大井赤亥は、「親社会主義と憲法9条を旗印とした『革新』と規制緩和や民営化と日米同盟を基軸とする『改革』は似て非なるもの」とし、55年体制における革新と保守の左右対立に対して、1993年以降、より右の「改革」の立場が保守に対立するようになったと述べている(注3)。何をもって「右」とするかは明確ではないが、安全保障を巡る左右対立とは別に「高負担・高福祉」の従来型福祉国家か「低負担・規制緩和」の新自由主義型国家かという対立が生まれているとは言えるだろう。
また池田裕によると、革新と保守の間に、福祉支出や雇用対策に関する差は見られないのだという(注4)むしろ重要なのは、「市場制度を信頼する保守と市場制度を信頼しない保守の対立」であるというのだ。すなわち、市場制度に対する信頼が高いとき、福祉や雇用対策に対する支出は支持されず、市場制度を信頼する度合いが低いと、これらへの支出は支持されるのである。ここでも「市場に任せるか、国家が市場の欠陥をカバーするべきか」という新自由主義へのスタンスが対立軸になっていると言えそうだ。
自由と平等という対立軸
以上のことから、現代日本の政治における重要な対立軸として、市場メカニズムへの関わり方が浮上していることが見えてくる。ただここで注意しなければならないのは、イデオロギー上の対立ではなく、現実の政治における対立軸だ。というのも、たとえば有権者の多数が「低負担・規制緩和」の政策を求めているときに、「高負担・規制緩和」の政党と「高負担・規制維持」の政党しか選択肢がなければ、有権者は「支持する政党はない」という状態にならざるを得ないからだ。
そこでここでは、複雑な対立軸をあえて「自由と平等」のジレンマに一本化して考えてみたい。ここで「自由」とは、社会的規範や制度に縛られることなく、個々人が自分のしたいことをできる状態を意味する。いわゆる「リバタリアン」の思想では、人は様々な拘束から解き放たれることで、自分のしたいことをそのまま実行できるようになると考えるのだが、そこで想定されている「自由」に近いイメージだ。
これに対して「ただ規制を撤廃しても、自己責任に任せるだけでは自由に振る舞うことができない」という考え方も存在する。これがいわゆる「リベラリズム(リベラル)」と呼ばれる思想に見られる傾向だ。家が裕福で高い教育を受けられた人と、貧しくて教育を受けられなかった人をまったく同じ条件で努力させても、結果に差が出ることは明らかなのだから、両者を平等な状態に置くためには、貧しい人への特別のサポートが必要であるというわけだ。
こうした対立は、現実にも存在する。吉弘憲介によると、大阪維新の会の政策には「財政ポピュリズム」の特徴が見られるのだという(注5)。つまり、「既得権」となった様々な福祉政策の対象に対する支出を切り下げ、ないし撤廃する一方で、高校無償化など多くの人に同じように行き渡る政策に支出する傾向があるというのだ。これは言い換えると「一部の恵まれない人だけに分配するよりも、全員に同じように分配する方がよい」という考え方で、前出の「自由」を重視する立場に近い。
管理・制限という争点
全員に同じ条件を課すか、不利な立場の人を特別扱いするかという「自由と平等のジレンマ」は、現代日本の主要な争点であり、新自由主義イデオロギーのもとでのもっとも重要な対立軸であるとも言えよう。しかしながら現実の政治を見たときには、そこにもうひとつ別の争点があることにも注意が必要だ。
たとえば、すべての規制を撤廃し、自己責任の名のもとに国民を放置する政治はあり得ない。安全保障の問題にせよ、災害対策の問題にせよ、そこでは「国家の効率的な運営のために国民の私権を制限する」必要が出てくる。税金を徴収することすら、財産権に対する強い干渉だし、対外防衛の意識を高めるために愛国心を高める教育をすべきだというのも、内心の自由に対する侵害になる。
逆に、平等を追求しすぎるときにも、人々の行動や権利を制限する必要が出てくる。典型的なのが差別的発言と「表現の自由」の問題だ。不利な立場に置かれた人々を、その属性によって差別することが許されないという原則を徹底すれば「差別発言をする自由はない」ということになるのだが、なぜ一方が「有利な側」、他方が「不利な側」と区別され、後者だけが守られるのか、という不満を持つ層にとって、平等を実現するための自由の制限は「行き過ぎ」に見えるのである。
このような対立ないしジレンマを図式化したのが図1だ。ここでは「自由と平等」のジレンマの中で生じている差を「中道左派」と「中道右派」の対立として描いている。ただ、両者の間の差は程度問題であり、妥協不能なものではないと考えられる。つまり「中道の中の右寄り、左寄り」という風に整理可能だろう。
一方で、右派の「管理」的な発想や、左派の「制限」という考え方は、むしろ中道とは妥協し得ない対立点を含んでいる。経済的には規制緩和、自由と言いつつ、思想や行動を制限しようとする右派、平等の実現のために私権の制限を肯定する左派はともに、中道からすると妥協できないものなのである。
今後の政治的争点
実際の政党に当てはめるなら、自民党は右派から中道右派に属する立場の議員が大多数を占めているものの、部分的には中道左派に妥協可能な人も一定数存在している。他方の立憲民主党には左派から中道右派まで多様な立場の議員が存在しており、これが党をまとめる上でのネックになっていたわけだ。
新聞報道に従えば、共産党との選挙協力によって左派に接近したことで、中道左派の支持を失った立憲民主党が、裏金問題で自民支持から離脱した中道右派を取り込むために左派を切り離したというのが現在の見立てということになる。では、このような政党間の差がある中で、有権者はどのような選択をすると考えられるだろうか。
既に見た通り、いわゆる無党派層は憲法改正や財政再建などの「管理」に近い政策には反対の立場である一方、同性婚や夫婦別姓などの「平等」に近い政策においては自民党支持者よりも左寄りの立場を取っている。ただ、望ましい社会において税負担を嫌っていることからも、中道右派的なスタンスも見られるところであり、全体として中道左派〜中道右派に位置していると推定される。
現在、自民、立民、あるいはそれ以外の政党の政策や主張を見る限り、右派や中道右派、あるいは左派的な主張をする党や議員は目立つものの、中道左派を足場に中道右派と妥協するスタンスを取る党や党首はいないものと思われる。もしも立憲民主党ないし野田代表がそのような立場を取るならば、自民党支持者の切り崩しだけでなく、立民支持から離脱していた中道左派の取り込みに成功する可能性もあるが、逆に石破総裁と中道右派的なスタンスの中での争いになれば、政策担当能力において実績のある自民党が有利になるだろう。
世界的に見ても、今回の記事とは意味が異なるが、「極右」や「極左」と呼ばれる政党・政治家の台頭した2010年代を経て、昨年から今年にかけては中道寄りの選択をする傾向が目立つようになっている。日本の政治、国政選挙においてもそのような傾向が見られるようになるなら、やはりそれは世界的な動向も踏まえたうえで分析する必要のある現象と呼べるかもしれない。
注
- 日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(A) 「ネット社会における〈民主主義デバイド〉の実証研究」(研究代表者:辻大介)による、2023年10月から11月にかけての調査。訪問留置法による全国調査で、有効回答数は1769件。
- 大嶽秀夫, 1999, 『日本政治の対立軸―93年以降の政界再編の中で』, 中央公論新社
- 大井赤亥, 2020, 「ポスト冷戦期における日本政治の対立軸―「革新」・「保守」・「改革」をめぐって」, 『年報政治学』 71巻1号, p. 1_106-1_127
- 池田裕, 2017, 「葛藤する保守―市場制度への信頼と政府支出への支持―」, 『フォーラム現代社会学』16巻, p. 43-58
- 吉弘憲介, 2024, 『検証 大阪維新の会 —「財政ポピュリズム」の正体』, ちくま新書