「誰が」陰謀論にハマるのかという問い

雑記

鹿児島大の大薗博記先生たちの研究が話題だ。

論理的思考が高い人ほど「斎藤氏は陥れられた」と考える傾向…鹿大・大薗博記准教授らが捉えた〝異変〟 兵庫県知事選〈末尾に出典元リンク〉 | 鹿児島のニュース | 南日本新聞

記事では研究の概要が紹介されているのみだが、リンクされているnoteの記事では詳細な結果と、生データも公開されている。こうしたオープンデータな研究は、専門家が再検証する余地を残すという点で非常に有益なもので、ぜひ勉強させていただきたいと思った。

一方で、社会心理学の専門家ではない一般のネットの反応では、懐疑的な意見も多いように思う。ひどいものになると、社会学と社会心理学の区別もついていないようで、これは風評被害も甚だしいという気になる。もちろんそういう人は研究の中身には興味がなく、文字通り「もともとの自分の考え(専門的には先有傾向という)に近いかどうか」でニュースの価値を判断しているだけなので、来週には忘れているだろうと思えばいいのだけれど、社会学と社会心理学が相乗りしている研究科で院生を指導している身としては、「よくある質問」に関わる部分もあるので、少しだけ掘り下げてみたいと思う。

この研究では何をしているのか

この研究の内容を一言で表すと「ある人の考えや思考法が、別の考えと関係する度合いを検証した」というものになる。具体的には「マスコミやSNSを信頼するかどうかと、斎藤知事再選に対する評価の関係」および「論理的思考力と、マスコミやSNSを信頼するかどうかの関係」について、ピアソンの積率相関係数を用いて示したものだ。

その結果として、

  • マスコミを信頼する人は斎藤氏をネガティブに評価し、Xやまとめサイトを信頼する人は斎藤氏をポジティブに評価する傾向が見られた
  • 兵庫県では、科学的推論能力の高い人ほどマスメディアを信頼せず、熟慮傾向のある人ほどネットメディアを信頼する傾向が、ごくわずかに見られた

といった結果が統計的に有意なものとして得られている。総じて「論理的に考える力のない人がネットのデマに踊らされたのだ」といったストーリーを否定する結果になったということだ。

この結果は意義のあるものなのか

まず押さえておきたいのは、今回の結果が回答者の回答間の「相関」を検証しているものであって「因果関係」ではないということだ。たとえば、マスメディアばかり見ていたから斎藤氏に対してネガティブな評価をするようになったのかもしれないが、逆に斎藤氏に対してネガティブな評価をしていたからこそ、今回の選挙結果を受けてXは信用できないと判断した可能性もあるということだ。

ただ、論理的思考力とメディア信頼の関係性については、前者が後者に対して論理的に先行するということは言えると思う。とはいえそれも、論理的に思考できるからこそひとつのメディアソースに頼らずにネットの評価も参考にするということなのか、論理的に思考するからこそ、マスメディアの情報に対して「意外なウラの事実」を提示するネットに信頼を置くのか、はたまた両者をつなぐ第三の要因(交絡因子という)があるのかは分からない。

一応、この分野の研究者でもある立場から見ると、この結果は意外なものではないと思う。たとえば以前も紹介した政治学者の秦正樹先生の著書では、ツイッターの利用頻度が高いほど「自分は陰謀論の影響を受けないが、他の人は陰謀論の影響を受けている」と考える「第三者効果」を強く感じていると指摘している。また同書では、政治的関心が高く、政治的知識が多い人の方が「それらしい」陰謀論を受容しやすいという実験結果も紹介されている。

近年では、ネットが世論に与える影響について「感情を揺さぶるような情報が世論に影響を及ぼす」というものと並んで、「自分なりに思考するタイプの人がネットの影響を受ける」という研究結果が蓄積されつつある。そういう点で今回の研究結果は、世界的にも蓄積されつつある研究の流れに沿ったものだと言えそうだ。

ネット調査で何が分かるのか

ところで今回の調査は、「Yahoo!クラウドソーシングサイトからエントリーした登録者」を対象に「Googleフォームで作成されたアンケートに回答」させて得られた結果だ。ネットで集めたような人は偏っているのであり、世の中の実態を反映しているわけがない、という意見に対してはどうだろうか。

まず今回の調査では、報酬目的にアンケートに回答しており、真面目に質問文を読んでいない回答者(サティスファイサー)を省くための「ひっかけ問題」を入れている。その結果、質問文をしっかり読まなかった回答が140件ほど分析から除かれることになったようだ。ネット調査では「よくある」レベルの割合だが、ともあれ今回の回答者がいい加減な態度で回答したわけでないことは確かだろう。

一方で、今回の調査が回答間の相関を見るだけになっているのはやや惜しい気もする。先程の秦先生の本もそうだけれど、近年では政治学でも経済学でも、ランダム化比較試験の手法を応用した実験による因果推論の手法が主流となっている。メディアに関する情報の提示方法をランダムに変えた2群の間の態度を比較するといった手法によっても分かることはあったかもしれない(このあたりは時間や予算の制約があるので仕方ない部分はある)。

また、社会科学の専門家でなくとも「ネット調査はサンプルが偏っているので無意味だ」という風に思うかもしれない。これについてはやや専門的だが、社会心理学と社会学における「調査」に対する考え方の違いを説明する必要がありそうだ。

心理学では一般に、「人間一般」に当てはまる心理を研究対象とする。言い換えると「学歴も年齢も異なるにも関わらず、同じように観察される心理」を扱うので、ランダムサンプリングという手法を取らない。むしろ、大学教員がゼミの学生十数人を対象にした実験でも、手法がしっかりしていれば結果として認められたりもする。

そんなわけないじゃん、と思うかもしれない。実際、近年の心理学界隈で言われる「再現性問題」は、この点を問題視している。ある実験で得られた結果が別の条件下では再現されないということなのだけど、要するに大学生という若いエリート層を対象にした実験って、そこまで一般性を持つんですかということだ。

他方、社会学の量的調査では、対象者をランダムサンプリングすることの重要性がたびたび強調される。なぜなら、その人がどんな学歴で、どのような仕事をしている何歳の人かといった変数が、被説明変数に与える影響を測定しようとするからだ。だから、サンプルが高学歴の男性に偏っていたりすると、社会全体の実勢を反映していない、ということになる。

もちろんこの場合も「人によって態度や認知能力が異なるのに、学歴が同じなら同じ集団として扱うなんてナンセンスだ」という突っ込みがありうる。今回のようにメディアの情報をどう受け取るかといったテーマであれば、「大学を出ていればどんな人でも高卒の人より賢い」という前提で考えるべきかどうかと言われれば、やっぱり微妙なところだろう。

新たな仮説―熟慮をハックする

ともあれこの問題、自分なりに色々と研究デザインを考えている最中ではあるので、大薗先生のご研究もかなり刺激になるものだった。ちょっとだけいま考えていることを書いておくと、「熟慮する力」と「マスコミ不信・ネット信頼」を結びつける、なんらかの説明図式が必要である気がしている。

具体的には「ネットの極端な議論が、熟慮をハックする」という可能性が挙げられる。熟慮するというのは、手元にある情報をできるだけ広く保持しておいて、それらに対して予断や先入観を挟まずに価値判断し、行動を決定するということだ。だが、熟慮しようとすればするほど、熟慮の対象となる情報の幅が広がることが、結果の判断を歪めるケースもあり得るのではないか。

たとえば「日本の社会保障をどうするか」という問題に対して「現役世代と高齢世代の受益負担のバランスをどうするか」と考えるのが通常の思考だとすると、そこに「そんなもの高齢世代を全員抹殺すれば問題は解決する」という極論が挟まれるとする。すると、熟慮すべき話の「中立」の部分がスライドして、「現役世代を犠牲にして高齢者を生かすか、高齢者を殺して現役世代を生かすか」という極端な二分法の対立になってしまう。

もしも、ネットあるいはマスメディアの世論への影響というものが、陰謀論を含む真偽不確かな情報を信じる・信じないといったレベルのものではなく「極端かもしれないけど、これも熟慮の対象に入れなければ」といったレベルで起きるものであるとしたら、そしてそれこそが、熟慮の結果として人々の態度や行動に影響を及ぼすとすれば、問題はより複雑になってしまう。そしていま実際に起きているのは、そういうことかもしれないのだ。

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