パフォーマンスとマネージメント

雑記

ようやくプレイし始めた『戦場のヴァルキュリア2』がものすごくおもしろい。PS3だとダメだったろうなとは思うけれど、戦略ゲームとしてはとてもよくできている。評価を高めるためには短いターンでの目標達成が求められるので、敵殲滅ではなく拠点の占拠を最優先にユニットを配置しなければいけないとか、近代戦争の合理性をよく表現できていると思う。それだけに気になるのが、落ちこぼれクラスとしてのG組のパフォーマンスがよすぎることだ。

主人公アバンは、王立士官学校に志願で入学したものの、モチベーションの低い「最低の生徒」の集まりであるG組に配属になる。クラスの中では人種差別や、自己中心的な行動、低い自己評価などから来るモチベーションの低下が著しく、校内対抗戦でも5分で全滅という記録を残している。と聞くと、アバンに課せられるのは、チームとしてのミッションをクリアするためにメンバーのモチベーションを高めていく作業のはずなのだが、ゲームシステム上、キャラクターたちはプレイヤーの操作通りに動くので、モチベーションの低さ故のデメリットをほとんど感じることなくゲームが進行してしまう。

また、アバンのリーダーシップにも、それはそれで問題があって、少なくとも序盤においては「がんばればなんとかなる」式の根性論でたまたま勝ち得た成功体験を元手に、チームの信頼を獲得していくというもの。これはチームのモチベーション管理としては最低の部類。理由はふたつある。ひとつは、クラスメートたちのモチベーションが低い理由はそれぞれにあって、彼らの事情を斟酌した成功ではないということ。そしてもうひとつは、自己評価の低さを成功体験によってカバーするためには、その人がチームに対して行った貢献を正当に評価する必要があるのだが、「みんなで勝ち取った勝利だ!」式の盛り上がりは、「どうせボクなんかいなくてもよかったんだ」という自己評価の根拠を生んでしまう可能性があるということだ。

マネージメントってものすごく難しいなと思うのは、チームメンバーのモチベーションのありようが多様であり、また「そこにいる理由」が別にないというケースが、決して少なくないからだ。というか学校なんか、その典型だ。好きこのんで配置されたクラスでもなく、また集団としての目標も明確ではない。合唱コンクールや運動会での一位を目指すという目標を立てても、それに逆らったところでなにかデメリットがあるわけじゃない。そして何より困るのは、そんな中でもやる気のある子はいて、集団のモチベーションのムラが激しい場合がほとんどだということだ。

全員のモチベーションが同じくらいの高さで、同じ目標を共有できているとき、チームのパフォーマンスは最大になる。ひとりのパフォーマンスが全体にフィードバックされ、「あいつがここまでやるなら自分も」とがんばるメンバーが増える。モチベーションにムラがあると、「あいつなんでそんな必死なんだよ(笑)」で終わりだ。そして悲しいことに、現実には、モチベーションの低いメンバーをよりチームに貢献する意志のあるメンバーに入れ替えるという選択肢は、その時点では存在しない。マネージメントとは、意識の高いメンバーによるチームの牽引ではなく、全体としてモチベーションにムラのある集団を、同じペースで行進させる能力のことを言うのだ。

昨今の「パフォーマンスを上げるために流動性を高めろ」式の雇用論にいまいち賛成できないのは、そういう人が実際に流動性が上がったときに才能のある人材を集められそうに見えないことだけでなく、そうやって集まった「ドリームチーム」が、必ずしもパフォーマンスが高いとは限らないという現実に鈍感だからだ。ドリームチームは、短期的にはすごくいい成績を残すかもしれないけれど、長続きしないので、中長期的な戦略に組み込んだり、人材を再生産するのには向かない。ドリームチームとして始まった組織でも、業績が安定し、メンバーが増えてくると、再生産や組織維持に特化した部署や人材が必要になるはずだ。

ひるがえって『戦ヴァル2』の話。近代戦、とりわけ陸軍による歩兵線には、ドリームチームが評価される空軍と異なり、強い集団行動の規律が求められてきた。直接の歩兵線のウエイトが下がった現在でも、それは変わらない。だからこそ「モチベーションの低い、目標がばらばらのチームをリーダーとして任される」という設定は、戦略マネージメントゲームとしておもしろいものになる可能性を持っているのだけれど、さて、この先進めていくとどう変わるのか。楽しみだ。

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