トランプか物語か

08年は僕の中で、一昨年に続いて激しいゲーム年だった気がする。大きかったのは、ケータイ→DSと続いてとうとうPSPに移行したことか。『神のみぞ知るセカイ』を読んで「俺も落とし神様になりてえ!」と謎の動機を駆動させてしまったのがいけなかった。といっても実はそれだけじゃなくて、真面目な方の理由として、08年の前半からPSPがDSに対してハード売り上げで勝利し続けていて、その背景にモンスターハンターのヒットがあり、これはプレイしておくべきかなというのもあったのだけど。

DSとPSPでゲームを比較してみると分かるのは、ゲームに関する容量の差。そして対象年齢の違い。DSに関して言うと、たとえばテイルズシリーズ初のCERO B(12歳以上対象)だった『テイルズ オブ イノセンス』にしたって、いのまた絵に笹本優子と宍戸留美で主人公を取り合いってどんだけ昭和生まれに優しいんですか、とは思ったものの、やっぱり物語としては食い足りない感が強かった。ただその分バカみたいに忙しくても、移動中の電車でちょこちょこプレイしていれば数日でクリアできるサイズというのは嬉しい。逆に『タイムホロウ』のように土日で終えられてしまうサイズだと、期待していた分だけずっこけ度も大きかった。

他方でPSPの場合、おそらくプレイしているゲームの質にもよるのだけど、物語性が強いこともあってなかなか10分、15分のサイズではプレイしにくい。モンハンやファンタシースターだと、どうしても1ミッションの時間が読めないことも多いので、下手をすると電車を乗り過ごしたりする(去年の前半は3回ほどそれをやって反省した)。録り溜めたテレビ番組を転送して見ていることもあって、意外に「面白い」と思いつつも進められていないゲームばかりだ。『空の軌跡』はいつになったら終えられるのかなあ。

とはいえ、こうしたタイトルの違い、容量の違い、対象年齢の違いといった要因が、今後それぞれのハード、そしてゲームのあり方にどう影響してくるかは未確定だ。ゲームをあまりやらないライトユーザーやOL層から、小学生へとメインユーザー層が移りつつあるように思えるDS(あるいはDSi)と、中高生男子の遊びとしてデファクト化しているPSPでは、当然あらゆる戦略の立て方が違ってくる。ゲームはハードに刺さるモノなのだ。それはWiiとPS3、XBOX360にしたって同じだろう。

ゲーム業界の詳しいことは分からないので、遊戯論の方から考えてみる。カイヨワによる有名な遊戯の分類は、「競争(スポーツなど)」、「偶然(賭け事など)」、「模擬(ごっこ遊びなど)」、「めまい(スピード競技など)」といったものだった。井上俊は、ゲームの定義を「ルールに支配される競争の遊び」と広く定義し、そうした性質が見られる出来事は、どんな出来事であってもゲーム化されうるとした。そのときゲームの特徴は、日常の文脈から主体を切り離すものということになる(『遊びの社会学』)。

知的関与、戦略性、偶然性という、ゲーム一般に見られる要素は、僕らの知るいわゆる「ゲーム」にもばっちり流れ込んでいる。モンハンなんかは完全にそうだろう。こうしたゲームは要するに古典的な「トランプのゲーム」と似た性格を持っていると言える。またそれだけでなく、通信対戦などを通じて、パーティーが協力してNPCと戦うという点で、よりプレイヤー同士の文脈共有を強化し、逆に言えば周囲からの切り離しを加速することもある(アキバの喫茶店で、無言で向かい合ってモンハンしてる男子たちを見よ)。この辺り、モンハンを「オンラインゲームのアドホック・ネットワーク化」と見なすのは、分析上も正しいと言っていいだろう。

だが、その一方でノベルゲームや大作RPGのように、物語性が高く、上記のようなゲーム的要素が低いものも、近年では目立つ。こうしたゲームも、最終的には「やりこみ」や「最速クリア」のような形で「ゲーム化」することがあるとはいえ、基本的にはひとつのストーリーを完結させればそこでゲームが終了する。複数の「ルート」や「マルチエンディング」をうたうギャルゲーなどでも、最終到達点であるところの「トゥルーエンド」が存在していたりするわけだ。

おそらく、コンピューターゲームの世界も、こうした「トランプ」と「物語」の方向性を持っていて、ふたつの異なるベクトルのバランスでソフト・ハードの戦略が決まってくるのだと思う。DSやWiiはまさに任天堂のお家芸で「トランプ」に強かった、逆を言えば物語に弱かった(たぶんゼルダを除く)ので対象年齢を下げたり、「家族みんなで」を標榜せざるを得ないのだけれど、モンハンのヒットは、「すげえ高度なトランプ」がPSPでも可能であることを証明している。

トランプと物語の最大の違いは、それをゲームとして考える限り、「終わり」の機能を持つかどうかということなのだ。トランプがそうであるように、ゲームのルールには、ゲームをプレイしている時間(何ゲーム目でゲームを降りるか)の終わりが含まれていない。「カラスが鳴くから帰ろう」という外在的な要因が、ゲームの終わりを示す指標なのだ。しかし物語ゲームには、ゲーム内在的に「終わり」が示されている(セーブポイントのような形で「中断」の点が示される場合もある)。この違いは、ソフトのプレイ時間や買い換えサイクルを定義する要因になる。だからモンハンのヒットは、逆の見方をすれば、すげえ高度なトランプを手に入れてしまったことによって、ソフトの買い換え需要を低下させてしまっているとも言えるのだ。

ともあれ、物語ゲームのゲーム性ってなんなのかとか、通信ネットワークの外部で、トランプを巡るコミュニケーションが物語を立ち上げていくときに、孤独にプレイするほかない物語ゲームに未来はあるのかとか、ここから派生して考えるべきことは山ほどある(ので誰かやってくれ)。僕個人としては、ゲームのトランプ性と物語性は分けて考えるべきだと思うし、物語ゲームをゲームのひな形として語ることによって成立した「批評」とは異なる語り口、それはたぶん社会学的なものであり、マーケティング的なものなんだけど、そうした語り方が、もう少し必要な部分ってあるんじゃないかなという風に思っている。

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