先週の土曜日は、勤務先の研究所主催のシンポジウム。明確なテーマは現場を持っている他のパネリストの方たちに囲まれて何を話したものか当日まで悩んでいたのだけど、結局話の流れ上、持ち出したのはだいたい二つのネタ。ひとつは「戦争」というキーワードについて。「見えない戦争」というときそこにはどうしても、ストリートにおける排除、体感治安の悪化に基づく取り締まりの強化といった出来事が想起されるし、それは結局「排除しているのは私たちだ(もっと反省しよう)」という帰結を導くのだけど、もう少し、構造問題で語れる部分があるんじゃないかということ。
具体的には、「戦争」が国家によって集約された「力」の間の争いだとするならば、19世紀から20世紀の前半は「軍事戦争」が主体の時代であり、20世紀の後半、とくに最後の30年で「経済戦争」のレイヤーがそこに加わり、21世紀には「文化戦争」、すなわちコンテンツや都市の魅力が争われるという様相が付け加わったと見ることができる、ということ。具体的にはクール・ジャパンなどのコンテンツ政策や、「クリエイティブ・シティ」などの取り組みがそれに当たる。僕はその全てを否定するものではないけど、それが「クリーンな公共空間」を生み出すために、ある種の人々を排除する動きを推し進める要因になっていることは事実だろう。何より、「価値の戦争」である文化戦争は、軍事・経済戦争と異なり「資源の集約性」を問題にしないから、総動員体制を採用しない。才能のある人間が優遇され、創意工夫の出来ない人間が下働きをさせられる、そういう非対称な社会へと向けられていくのだ。これがひとつめ。
もうひとつの論点は、「敵対する」とはどういうことか、という話だ。当日の話を補足しながら書くと、まず、エヴァンゲリオン(20世紀版)に代表されるように「敵は誰なのか?敵はどこから来るのか?」といった問いに対して「敵は自分の内面」「最後の敵はやはり同じ人間」と答えるような、再帰的、あるいはより直接的な言い方として「自家中毒的」と言うべきモードが、「敵対」ということの意味を見えにくくしているということがある。結局は敵を敵だと思う僕らの中にこそ本当の敵がいるのだ、的な。
こういう再帰的な敵対性について考えるとき、「敵について」という詩はほんとうによくできていると思う。この詩が『亡念のザムド』の中で繰り返し使われていたことはとても象徴的で、「考えろ、考えないと、石になっちまうぞ」という、全体のテーマでもある警句の持つ両義性を、よく表現していたのではないか。
私の敵はどこにいるの?
君の敵はそれです
君の敵はあれです
君の敵は間違いなくこれです
ぼくら皆の敵はあなたの敵でもあるのですああその答えのさわやかさ 明快さ
あなたはまだわからないのですか
あなたはまだ本当の生活者じゃない
あなたは見れども見えずの口ですよあるいはそうかもしれない敵は……
敵は昔のように鎧かぶとで一騎
おどり出てくるものじゃない
現代では計算尺や高等数学やデータを
駆使して算出されるものなのですでもなんだかその敵は
私をふるいたたせない
組み付いたらまたただのオトリだったりして
味方だったりして……そんな心配がなまけもの
なまけもの
なまけもの
君は生涯敵に会えない
君は生涯生きることがないいいえ私は探しているの 私の敵を
敵は探すものじゃない
ひしひしとぼくらを取りかこんでいるものいいえ私は待っているの 私の敵を
敵は待つものじゃない
日々にぼくらを侵すものいいえ邂逅の瞬間がある!
私の爪も歯も耳も手足も髪も逆だって
敵! 叫ぶことのできる
私の敵! と叫ぶことのできる
ひとつの出会いがきっと ある(茨木のり子「敵について」)
敵を明確に名指すことができない苛立ち。敵にもひとつの命があり、生活があり、事情があるということを知ってしまうことの怖さ。それを踏み越えてまで敵と出会えたとき、それはまさに邂逅と呼ばれるべき生の充溢する瞬間であり、だからこそ待ち望まれているものだ。しかし、現在、僕たちが直面している敵とは何か?それは、「ネオリベ」であったり、「既得権」であったり、「権力」であったり、まさにデータやメディアの中で作られるものじゃないのか。
政治家にプライバシーがあるかないか、という話の政治的な理屈はさておき、彼らにプライバシーを求めるべきではないと僕たちが同意するとき、そこには彼らから「生活」や「事情」を剥奪し、彼らをまったき「敵」として名指したい、という欲望が見え隠れしている。麻生邸デモなんか、そういうイベントだったのかもしれない。
そこで、安易な敵探しはいけない、と言うだけでは、茨木の描く逡巡に逆戻りするだけだろう。考えないと石になるけど、考えすぎても石になる。奮い立つような明確な敵対関係を名指せない状況で、どうやって「敵対する」ことが可能になるのか?ひとつのヒントとして僕が挙げたのは、吉本隆明の「マチウ書試論」における次の一節だ。
現代のキリスト教は、貧民と疎外者にたいし、われわれは諸君に同情をよせ、救済をこころざし、且つそれを実践している。われわれは諸君の味方であると称することは自由である。何となれば、かれらは自由な意志によってそれを撰択することが出来るから。しかしかれらの意志にかかわらず、現実における関係の絶対性のなかで、かれらが秩序の擁護者であり、貧民と疎外者の敵に荷担していることを、どうすることもできない。荷担の意味は、関係の絶対性のなかで、人間の心情から自由に離れ、総体のメカニスムのなかに移されてしまう(『マチウ書試論』139P、強調は原文傍点)。
敵対する、という関係の絶対性こそが、自由意志によるはずの振る舞いを、システムの中に埋没させてしまう。というより、人が自由意志で敵対するときにこそ、そこにシステムの作動が介在している。僕は吉本のこの言葉から、むしろ「敵対」の重要性を感じ取った。つまり、明確な敵と相対するときにこそ、僕らはシステムの存在を意識できるのではないかと。
たとえば、取材する側とされる側。ネット的には、取材する側は「マスゴミ」だし、無垢な僕らを犯す横暴な権力だ。しかし一皮むけば、取材する彼自身も、不安定な雇用の中、とにかくデスクに気に入ってもらえる記事や写真を持っていかないことには、明日の生活の保証がない、という生活の事情が横たわっている。こうした個別の事情を覆い隠してしまい、勢いだけで強者と弱者が分かたれ、「弱者が強者を叩く正義」が立ち上がることを批判する向きには、ネットの暴走は様々な意味で問題を抱えていると映じるだろう。
しかし、『ウェブ社会の思想』の最後に書いたことにも通じるのだけど、私たちが憎しみの感情をも含めて、他者関係へと開かれることは、どうにも止めようのない出来事である。むしろ僕たちは、そういった対立関係の中でこそ、どうしようもなく「歯車」たる自分を意識するのである。そのことを忘れてしまうことこそが、自らを無垢な「被害者」と名指し、自分はシステムに対する罪も責任も持たないのだという主張を通させてしまうということなのだ。いったい、「強者」だったことのない人間など存在するだろうか?
00年代の新自由主義と、新自由主義批判、両方に共通したのは、「システムを敵として見える化する」振る舞いが、メディアを通じて安易に行われたことだと思う。個別の人ではない。そうした事情の向こう側にある、僕たちを奮い立たせない「算出された敵」を、あたかも顔を持った存在として「叩く」ことができるように戯画化する。そういう時代だったんだと思う。論壇と称する場所では、「ロスジェネ」だの「リフレ派」だの、複数の論者の細かな差異を捨象し、批判者(賛同者も!)にとって都合のいい主張をミックスさせてできあがった「怪物」叩きが横行し、「誰がそんなアホなことを本気で主張しているのか?」ってことがよく分からないまま、「叩く元気」だけが重んじられていたのじゃないか。
現実に殴りに行ってすっきりするような敵は、たぶんもういない。暴力がなくなった訳じゃないけど、殴った奴を殴り返せば済むと思えるほどには、僕らは愚かではなくなってしまったのだ。でもだからこそ僕たちは、「見えない敵」のことを考える前に、「見える敵」と、奮い立つような対立をすることが求められるのじゃないか、そんな風に思った。そんなわけで「見える敵」と「見えない敵」の間で揺れ動く雨宮さんの飯田対談は素敵だったなと、まあそんな話。
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