ギャル演歌の世界へようこそ

雑記

学生たちと話していると、「ギャル」と呼ばれることに抵抗感を示す子が多いことに気づく。この数年で急速に「ギャル=イタイ子扱い」が進行したけれど、彼女たちの反応は、ファッションとしてのギャルに対する忌避感だけでなく、ファッションやコミュニケーションスタイルは、かつてであればギャル扱いだった子でも、「あんなイタイ子とは違う」という形で否定する。いわばギャルはギャル的なものの極北の部分だけを指すマイナージャンルに落ち着いたというわけだ。

その話は別に本題じゃなくて、その「イタさ」みたいなものを直接的に感じた出来事の話。個人的にはあちゃーと思ったKyleeの日本語デビューシングル「キミがいるから」にまつわるあれやこれやのことだ。

先に断っておくと、カップリング曲はこれまでのNature Livingが担当していた路線を継承した「On My Own」、Evanescenceを思わせるミドルチューン「She Wishes」ともに満足のいく水準だ。でも、タイトル曲を聴いてCDを買った人は、両方とも刺さらないだろうなとも思う。歌詞が英語だからというのもあるけれど、そもそも音楽に期待しているものが違いすぎるのじゃないか。いまギャルっぽい曲というと、内向的でうじうじしていて、依存心が強く、本当は男に引っ張ってほしいけど、でもそれが叶わないからがんばって一人で生きるんだってパターン。こういう曲は家で一人聴くもので、ライブで暴れることで本領が発揮されるエモの世界とはずいぶん遠いのだ。

なんでそんな曲が受けてるのかについては、いろいろと仮説を立てることはできるけれど、このエントリで僕が示してみたいのは、むしろそんな「ギャル演歌」とでも呼ぶべき曲たちをざっくり並べてみることで、その世界観に浸ってみようよということだったりする。批評は、したい人がすればいい。

ギャル演歌の王道というと、やっぱミリヤ先生は外せない。日本語ラップや安室なんかのサンプリングをやめてからの彼女はほんとにいいと思う。ルックスにも年齢を遙かに超えた生々しいエロさがある。クラブの照明下なら美人に見えなくもないのに、ナンパしてみたら酒とたばこと汗の匂いしかしなそうなところに、ものすごい物語を感じる。

なにせ「SAYONARAベイベー」の主人公は、彼氏にケータイロックされてるわけだけれど、それって彼がいないときに盗み見ているってことで、やーもう「あるあるある!」とか叫びそう。で、盗み見るんだけど、根が卑屈だから、そんな彼を信じられない自分に自己嫌悪したりね。

その卑屈さの極地と言えば、YU-Aの「そばにいて、すぐ消えて。」だ。ミリヤの声を極端に絞ったような歌唱法といい、歌詞といい、演歌以外のなんだっていうんだくらいのレベル。

さて、加藤ミリヤといえば、清水翔太とのコラボレーションシングル「LOVE FOREVER」と、アンサーソングである「FOREVER LOVE」がヒットしたけれど、同じ手法でラッパーのWISEとコラボレーションして、「遠くても」と、アンサーソング「会えなくても」がヒットした西野カナ。動画は埋め込み禁止だったのでリンクだけ。この2曲とNERDHEADのおかげでようやく評価されるようになったGiorgio13ことGiorgio Cancemiのかねてからのファンとしてはとても嬉しい限り。特に歌詞の世界観で言うと、Giorgioとの共作詞「MAYBE」が絶妙。

知りたいけど 見たくないよ
君のケータイに Ex-girlfriend’s name
「今はもう友達だよ」って簡単に言わないでよ
ねぇそれならアルバムも手紙も
捨てられるでしょ?
私が一番のGirlfrindだったら…

うーざーいー。重てーえ。これはほんとによくマーケティングされているという気がする。普段こういう唄をバカにしている子が、自分の彼氏にはぽろっとこういうことを言ってしまいそうな、そんなある種のエクストリームさがあるよね。

基本的にギャル演歌はハッピーさから遠ざかるベクトルにどう向き合うかっていうテーマを課せられていることが多いので、いわゆる恋愛の終わりとしての別れだけではなく、進学や就職にまつわる別れというのもある。前向きなはずの別れも、ベースに負けそうな自分、泣きそうな自分がいるから、応援歌にどこか突き抜けない湿っぽさが出る。代表格はJulietの「ハルラブ」「ハルラブ2」だろう。

こちらは女の子が旅立つ唄だけど、旅立った男に対していつまでも待ってるよーと歌うも、男から返ってくるのは「ちゃんと飯食ってるか」ってドリフ並みの不器用な台詞、といえば青山テルマとSoulJaの「そばにいるよ」。似たような曲を使い回してアンサーソングをリリースする元祖ですが、最新シングル「帰る場所」もお別れの唄。

同じくお別れの唄としては、BENIの「bye bye」も捨てがたい。ユーミンのサンプリングは決して新味はないけど、いい意味で原曲の雰囲気を引きずっていない。

こうした別れの曲がさすがに飽和状態なせいか、次にターゲットになっているテーマは、女同士の友情もの。西野カナの「Best Friend」なんか、よく狙ってきてるという感じがする。こういうものは基本が季節商売なので、春のお別れにはこういう唄を持ってきて、秋には失恋を慰める唄とか持ってくる展開で持って行けるからね。

本当はこの流れでAYUSE KOZUEやJUJUをどう扱うかとか、湿っぽい別れソング問題として、ギャル演歌と、たとえば一青窈や柴田淳との違いについて紹介することもできるのだろうけど、冒頭に書いたとおり批評が目的ではなくて、「そうそうこういう感じ!」を提案するのが目的なので、エントリとしてはここまで。注目はこの夏をどう乗り切るかだろうね、このジャンル。

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