教科書を読もう

こないだの放送で説明しようと思っててできなかった話に、「教科書」の話題があったことを思い出したので書き付けておきたい。多くの大学生にとって、講義を受けるに当たっての教科書のコストというのは割と半端なくて、例えば甲南大学では平均すると3万円から4万円の教科書代がかかるのだという。このコストは事前に明示されることは(特に文系の場合)ほとんどなく、いざ講義を受けようと思ったところで示される場合が多い。保護者の経済状況の変化から学費を払えずに中退する学生が増えているという話は注目されても、カネがなくて教科書を買えないという話は、学生の怠慢扱いされてしまうので、あまり取り上げられることがない。

そもそも教科書代が高いのはなぜか。そこには構造的な問題があって、まず指摘しておかなければならないのは、教材の開発、つまり教科書を書くことが、研究者の業績の一部として認められているということ。教科書執筆は、研究論文を書くよりは骨の折れる作業だけど、査読されるわけでもないし、普段喋っていることを書けばいいだけという人もいる。また大学出版会を持っているところであれば、商業流通には載らないような内容のもの、とても薄いパンフレット的なものでも書籍化してくれるので、相対的にハードルの低い仕事になる。さらに、単著を刊行するには実績の足りない院生なんかを集めて編まれたアンソロジーは、彼らの業績になるというところもある。若手研究者にとっては「師匠筋の編集による教科書」が、実質的なデビューの場になることも多いのだ。

出版社の側からすると、「教科書指定」というのは、おいしい仕事というわけではないけれども、確実に部数が見込めるために、歓迎したい仕事ということになる。上記のような条件でも出版社が引き受けるのは、このことがあるからだ(逆に、教科書指定がなければ出版は見送るというケースも少なくない)。とはいえ、どんな大講義でも数百を超えて教科書になることはないから、その貢献度は決して高くない。結果的にこれらの教科書の諸版部数は1000、2000といったロットになり、そのことがコストを下げられない要因になる。おまけに、いかにもお手軽な教科書然としたものではハクがつかないと思うのか、上製、ハードカバーの仕様だったりすると、平気で4000円オーバーの本になったりするわけだ。

まとめると、(1)定番のものを一冊作るよりは、他と差異化した、ハクの付いた業績を作りたい研究者、(2)体系的な内容にするよりは、自分の業績をより多く盛り込んでもらいたい若手、(3)教科書指定を条件に出版に踏み切る版元という三者の関係が、「コストの高い教科書」を生んでいるわけだ。ほんとはここに生協とかも絡むのだけど、めんどくさいのでそれはパスする。ともあれこうした環境下では、教科書の古書としての値引き販売や、先輩から代々と受け継がれる教科書、なんていう抜け道はうまく機能しない。ましてや全面的な電子化なんて夢のまた夢だろう。

それでも、定番の一冊、経済学で言えばマンキュー本のようなものがあればいいのだ。生きていかなきゃならないのは誰も同じなのだし。しかしそうした本がない場合、大学指定の教科書というのは、担当教員の業績のために編まれたもの、書かれたものばかりになり、結果的に「碌に使いもしないのに高い金を払わされる本」が量産されることになってしまう。このことがもたらす弊害はかなり大きくて、たとえば学生に読んで欲しい本というものは、いくら挙げてもきりがないのだけど、そうした本を(文庫ですら)買わせるのが難しくなる。図書館を利用するにせよ、全ての人が借りられるわけでもないし。本題のためにバイトを増やせば、それだけ勉強できる時間も減る。教科書コストというのは、そこまで関係する話なのだ。

で、文句ばかり言ってても仕方がないので、じゃあどういう教科書がいいのかを挙げてみる。まず社会学である意味での定番になっているのが、アンソニー・ギデンズの『社会学』だ。

社会学
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アンソニー ギデンズ
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何度も改訂を重ね、そのたびにどんどん厚くなっていく同書だが、正直、読みやすくなっているとは言い難い。内容的にも、あまり体系だった印象は受けないかもしれない。なんじゃこりゃ、と思った人には、ぜひ原著を一読することをお勧めする。『Sociology』の原著は、翻訳とはまったく印象が異なり、フルカラー、写真やグラフたっぷり、レイアウトもきれい、と、味気なさこそが教科書の神髄だとでも思っているかのような翻訳本と同じ本とは思えない出来だ。

Sociology
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Anthony Giddens
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似たような話で言えば、グローバル社会学の教科書として名高い、コーエンとケネディの『グローバル・ソシオロジー』も。こちらはグローバル化を題材に、社会学の古典から現代的な理論までを紹介する教科書。第一回目は講師が解説するつくりになっていて、また毎回の検討課題や参考文献なども載っており、自主的なグループ学習にも最適だ。内容の汎用性も高く、一度読んでおくと、レポートなんかで使えること請け合いだ(と去年読ませた学生が言ってた)。

グローバル・ソシオロジー〈1〉格差と亀裂
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グローバル・ソシオロジー〈2〉ダイナミクスと挑戦
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ただ、翻訳された版は前世紀に書かれたもので、グローバル化について語る際に避けて通れない、今世紀に入ってから生じたいくつかの出来事をフォローしていない。2007年に2nd Editionが出ており、また改訂も部分的なので、英語が得意な人は原著でも読んでおくといい。こちらはモノクロだけど、ギデンズ本と同じくヴィジュアルな要素も満載だ。

Global Sociology
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視覚的な要素は、グローバル化のように「いまここ」ではない話を扱う際にはとても大事な素材なのだけれど、翻訳される際には著作権の関係もあってたいがい落とされてしまう。でも、たとえば何の変哲もない写真であったとしても、それは学生たちの理解にはとても大事なものになっている。フルカラー教科書でいえば、ジョン・マシオニスの『Sociology』なんかがすごい。各章の要約がチャート的にまとめられていて、ここまで親切に作った上で「お前ら勉強せえよ」と言うなら納得、と思う。考えてみれば、高校の世界史の資料集なんか、あんなにちゃんと作り込んであるのに、どうして大学教育では、その辺のエディトリアルをまともにできる奴がいないのだろうね。

Sociology (13th Edition) (MySocLab Series)
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などと言ってもまた愚痴になるので、日本人向けの教科書だと、やはり有斐閣の『社会学』はかなりよくできている。などと僕が言うのも偉そうだけど、21世紀の標準的な社会学として妥当な目次立てになっていると思う。まあ実は、世界標準の教科書と比較した場合に、「宗教」の章がないことが個人的には不満なのだけど。あと、二色刷とはいえ、図版はちょっと素っ気ないかもしれない。コーエン&ケネディ本と同じくらいかな。

社会学 (New Liberal Arts Selection)
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図版でよくわかる、と言えば『考える力が身につく社会学入門』。グラフ以外にも、僕が自分の本でずっとやってきたプレゼン風のチャートが充実していて、高校生が受験対策に読むにも分かりやすいものになっている。内容的には、有斐閣本と同じく「再帰性」や「個人化」という、現代社会の社会学的理解の基礎となる概念を背骨にしていて、ああここがいまの社会学の立ち位置なのだなと実感する。

考える力が身につく社会学入門
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ただ、やはり社会学というのは体系的に読んでいくのが難しい。背骨になる理論はあっても、それが逆に水戸黄門の印籠になってしまう危険性もある。個別の領域の深い部分に入り込みたければ、専門書を読む方がいいのだけど、あまり関心のない領域だと辛い。そういう場合には、各分野の細かな命題を集めた本がお勧めだ。これまでも有斐閣の『社会学の基礎知識』や、筑摩書房の『命題コレクション 社会学』のような、いまでも十分使える本が出ていたけれど、やはり日本社会学会プロデュースの『社会学事典』は圧巻。2ページに全ての命題を収めるのでいろいろと無理をしている部分はあるけど、これだけあれば漏れも少なかろう。

社会学事典
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しかしここまで挙げて思うけど、基礎理論を背景にした練習問題の繰り返しみたいなディシプリンを持たない社会学の教科書って、どうしても分厚く、高価になる傾向にある。その幅の広さを持たない限り競争力を発揮できないのだとしたら、やっぱりこの高コスト体質って変わらないのかもしれない。

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