ボートのように流される

雑記

この数年、誕生日のたびに書いてきたことを振り返って思うのは、昨年になってようやく読んだクリステンセンの『イノベーション・オブ・ライフ』と似たようなことを言ってたのだなあということ。この本に書かれているのは、人生には目的が必要であること、その目的に向かって迷わず進んでいくよりも、環境の変化に応じて柔軟に目標設定ができるようになることが、幸せへの近道だということ。書いてしまうと凡庸だけど、こういう人生訓は、何を言うかではなくて誰が言うかが大事だし、実際に説得力も強いので、とてもいい本だなと思った。

それに屋上屋を架すようにつまらないことを書いてしまうようだけど、この2年くらい考えていたのは、教員という仕事がひとつのループの中に生きているということであり、その中で自分なりの成長やステップアップを考えられなかったら、本当にただ呪われた椅子に縛り付けられるおとぎ話の王様みたいになってしまうということだった。

もちろんステップアップといっても、具体的な道筋が見えているわけではない。ただ、近いうちに自分の人生がまた大きく変化するんじゃないかという天啓のような予感はあって、それに直面した時に慌てなくて済むように、常に身構えて生きていたいなとは思う。自分のやっている仕事をきちんと事業化して自前で研究費を稼いでやろうなんて野心もないし、社内ベンチャー的な感じで好きなことをやらせてもらえてる今の環境が自分に合っていることも、恵まれていることも間違いないとは自覚してるけどね。

ただそうではなくて、変化とか成長とか、そういうことを可能性として自分の中に否定せずにとっておきたいということであって、そのためのしなやかさを失いたくないということ。気がつけば大学教員として着任してもう6年目。会社員なら自分の仕事ができて部下もつき、マネジメント業務も増えてくる頃だろうか。実際そういう仕事が増えて、現場への関わり方に距離感も生まれているし、それでいいとも思っている。

ただそれは常に惰性で仕事をする危険性と隣合わせでもあるし、8割の力でパフォーマンスを維持できるように、というつもりで始めた手抜きが、いつのまにか6割の力で8割のパフォーマンスでいいや、となっていくかもしれない。そうならないための刺激として、周囲の環境にある程度流されることも時には必要なのだ。

実際、ジョブズの点と線の話じゃないけど、この数年で何度か、「ああ、あのときのことはいまのこの瞬間のためにあったのだな」と思うような、長い時間をかけて辻褄が合っていく瞬間に出くわして、いま目の前に見えているものにこだわることや、思い通りにならない事柄を排除していくことの危険性に気がついた。決して嬉しいこと、幸せなことばかりでなくても、その状況に流され、しなやかに流れていくことが結果として、ものごとをたどり着くべきところに連れて行くのだと、いまならそう思える。

その感覚を比喩的に言うなら、ボートなのだと思う。自分でオールを漕いで動いていけるところは、水面の上ではごくわずかで、大きな流れに逆らうことはとてもむずかしい。だけどただその流れに乗ってしまうだけでなく、微力であってもどこかに漕ぎだしていくことができる。流されるのではなく、自分の力で向かうべきところを見据えながら流れていくことができれば、30代の残りの2年間くらいは、何があっても自分の環境を、今より面白くしていけるんじゃないかと思うし、ようやく、そういうエネルギーが自分に還ってきたのだなと思う。

運命の船を漕ぎ 波は次から次へと私たちを襲うけど
それも素敵な旅ね どれも素敵な旅ね
Rie fu「Life is Like a Boat」

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