答えはいつも今だけ

先の見通し難い時代になっている、と誰もが言う。実際に予測できるかどうかはともかく、そのように思えるかどうかに注目したとき、確かに僕らの日々の生活では「先を見越して動く」ということは考えにくい。仕事術のような本を読むと、ごく短期的にはタスクマネジメントを通じて計画を立てることが大事だと言われるし、それが自己啓発までいくと、人生の目標を見据えて日々の行動を決定すべきだと書かれている。もちろんそれとは真逆に、先のことは分からないのだから、いま自分の感性で選んだものが大事と書かれていることもある。昔話してた人が「先のことは決められないけれど、いまの段階では先のことをこうしたいって思うのは大事」って言ってたのを思い出す。テンポラルなものとパーマネントなものが交錯した「未来」が、当たり前のように目の前に転がっている。

そんなわけで、40歳になったと言われても不惑の実感はない。というよりそもそもあれは、人が生きる環境の変化が相対的に小さかった時代に自己が成長したり衰えたりするという一生の曲線を描いたものなのであって、環境の方も変数になってしまうと成立条件から変わってしまう。たとえば自分くらいの歳の大学教員って段々と大学行政の仕事の比率が高くなるから、人によっては教育指導の方はなおざりになってしまってたのかもしれないけれど、いま「毎年同じ講義ノート」で授業ができる人なんていないし、そんなことをしていたら18歳人口の減少や大学再編の波の中で、仕事を失うことがないとしても相当にしんどい壮年期を迎えることになるのは明白だ。大学教員は確かにつぶしのきく仕事ではないけれど、良い条件を求めて大学を移ったり職を変えたりすることも見越した「40歳からのキャリアパス」を念頭に置かずに働くとか、ちょっとあり得ないと思う。

30歳になる直前に書き上げ、今に至るまでのキャリアのきっかけとなった『カーニヴァル化する社会』からして、そういうものだったのかなと思う。先日、この本の内容をゼミで発表するという学生さんに質問をされてあらためて振り返ったのだけど、そこに書かれているのは、「流動化した後期近代においてすべての確からしさが不安定なものになる中で、確からしさの根拠となるものが一瞬の盛り上がりからしか調達できなくなっている」ということであり、「自己やコミュニケーションが電子的に監視されることで構築されるデータベースへの問い合わせを通じて発生するカーニヴァルが、他者との関係性を経ずに自己意識を形成する」ことを問題視していたのだなと気付かされる。当時からいまに至るまで、「確かなもの」を回復するために伝統や諸制度が本質化されてしまうことに対する警戒感と、テンポラルなものが事実として積み上がっていく中で、それがいずれ「確かなもの」になればいいという期待が、一貫して自分の中にある。

実際に30代の10年間は、そうやって「確かなもの」を築くために、目の前の課題に立ち向かっていた時間だなと思う。30歳の夏に始めたラジオ番組がいまも続いているとは予想も期待もしていなかったし、33歳になる年に就職した大学も気づけば今年で8年目になり、たぶん生涯で一番長く勤めた職場になった。その過程で出会った人もいなくなった人もたくさんいるけれど、関わってくれた人たちどうしが別の関係を築き、テンポラルな場だったものが、それなりに形のあるネットワークになりつつある。これでゴールとか将来は安泰とか考えたこともないけれど、「確からしさ」のような感覚をもつ人が周囲にいるだけで、それを大事にするモチベーションにはなる。キャリアという面で見れば、相当にラッキーで幸せな30代だったと言うべきだろう。

ラッキー、というのは、それが自分の力で成し遂げたものというより偶然生じた巡り合わせでしかないという意味だ。40代もラッキーであればいいなと願うことはできるけれど、何かの努力や将来設計の積み重ねが、次の幸せな10年を保証してくれるとは思っていない。それほど意識したことはないものの、そもそもここから先は心身ともに下り坂をどのくらいゆっくり降りられるかの勝負でもあるはずなので、さすがに脳天気な想定もしていられない。

だから、ひとまず、とか、とりあえず、とか、さしあたり、という言葉で色々なことを決めていて、今年も今年しかできないかもしれないことに精を出そうとしている。ラジオでも話しているけれど、今年のテーマが「体感消費」であることもあって、なんとか月に一本はライブを見に行くことにした。大きな理由は、単純にインディーズの世界でいよいよ4つ打ちJ-ROCKの次のトレンドが見えつつあるんじゃないかという直感と、以前からストレスで不調気味だった右耳の聴力が落ちてきたことで、いつまでもこれまでと同じように音楽を聴き続けることはできないかもしれないなという予感があったからだ。そこで感じたことは年末にでも書ければいいと思うけれど、10数年ぶりに小さなライブハウスのイベントライブに行って、CDやグッズを手売りしているバンドメンバーを眺めるという経験は、なかなか面白いものがある。

元々がそんなに明るい人間ではないので、誕生日といえば自分の死について考える日、といった捻くれたタイプだった。しかしこうやって実際に壮年期にさしかかってみると、どこが悪いだの先は長くないだの愚痴ってるだけなのも格好悪いなと思う。なので、今年という「今」の時点では、30代の幸せなキャリアで築いた資産を活かしながら、より大きな仕事や、よりたくさんの人が乗れる船をつくることを目指して、今まで以上にエネルギッシュに好きなことに手を出し続けていこうと思っている。答えはいつも、今にしかない。けれど「今」の積み重ねが辿り着いた場所がこの現在であるのなら、いいことも悪いことも含めて、今を折り重ねて次を目指すことにも、ほのかな希望はあるんじゃないかと思う。願わくばもう少しだけ、周囲の人の幸福に資することのできる次の10年でありますように。

20160417

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