大きな区切りと道の途中

1年の区切りというものが、どんどん曖昧になっているように思う。のんびりと我が身を振り返る時間も意識しなければ作れないし、何かが終わるときには次のプロジェクトが始まっているわけで、文字通り「区切り」として生活の時間の中に意図して線を引く作業でしかないような気がする。

そもそも、なぜ僕たちはそうやっていろんなことに区切りを付けたがるのだろう。そんなことをしなくても、学校という場所に努めていれば、一緒に活動するメンツは半年ごとにごっそり入れ替わる。振り返ってみればあれがたった一年前のことだったのかと思うほどに、環境も関係も、そして自分自身の考えも変化している。区切りと区切りの間に存在するように見える何かの期間が、実はすべて移行期でしかなかったことに気づくのは、戻ることもできないほどの区切りが生まれた後のことだ。

アナログな周波数のように連続した波としての日々を、デジタルに階調化された区切りの集まりとして捉える感覚は、僕たちが時間を支配し、過去から未来に向けて管理・制御・予測可能なものとして人生を生きたいという欲望から発している。しかし誰もが気づいているように、そうやってスケジュールだのタスクだのを可視化して管理しているように見えて、実のところは年末の押し迫った時期まで終わらない仕事を抱えて悲鳴を上げている。区切ることで生まれた隙間に、僕たちはいろんなものを詰め込みすぎている。

40歳という年齢を節目だと捉える考え方もそうだ。誰もが切りの良い年齢でキャリアやプライベートに転換期を迎えられるわけではない。高齢化が進み、ミクロにもマクロにも人生の最盛期が長く続くようになってしまった昨今、かつてのように圧縮されたドラマティックな人生ではなく、複数の関連した出来事が何年にも渡って積み重なり、大きな区切りを形成するようになっている。たった1年で人生は変わるというCMがあったけれど、その次の1年が過ぎた頃にはもっと状況が変わっていることだってままある。1年という単位は、そのくらい意味のないものになっている。

だから今年成し遂げてきた様々に新しい試みが、何かの「点」として意味を持つものなのかは正直分からない。今年打った点が来年の何かや去年の何かとつながって大きな転換点や区切りを形成するかもしれないし、その後に起きることに比べれば大したことではないのかもしれない。でも、そういう留保を付けた上でも、今年は色んなことに区切りの生まれた年だった。

自分の出演するラジオ番組が10周年と言われたのもそうだ。記念パーティーの場でも言われたのだけど、やってきた方からすると毎回の積み重ねであり、そもそも僕ではない人たちが「やめない」という決断をしたから続いてきたのであって、僕自身はその時間の流れの中に棒のように突き刺さっていただけに過ぎない。でも、区切ることで何かこれまでとは別の、新しいことを始めようという気になれるのも確かだ。

あるいは、学部の広報を担当したこと。基本的には持ち回りで担当する仕事であり、メンバーの一人としてはこれまでも会議に出席していたものの、今年は初めて責任者という立場になり、また自分から手を上げて、広報誌作成のような新規事業を立ち上げたりもした。企業とは異なり、全てが予算ベースで回る学校の事業だから、たとえば売上のような目に見える成果は存在しないけれど、それでもオープンキャンパスで過去最大規模の動員を達成したり、関連して関わってきた教員、職員、学生たちの間に新たな関係が生まれたり、きっと何かにつながるだろうと信じられる「ナイス」な成果がたくさんあったように思う。これはきっと、この数年の種まきの成果。

研究面でも、なぜか「副所長」や「研究班代表」などという肩書をもって活動することになったおかげで、普段はやらないようなことをたくさん経験できたし、仕事という面でも新しい場所を訪れる機会が随分増えた。こちらは今後数年をかけてなんとかしないといけないものではあるのだけれど、そのチャンスがあるだけありがたい。

こうやって最低でも3年、4年はかかるよなあという仕事が増えてくると、それこそが年齢に応じた立場のようなものなのかなあと思う。一方で、今年も同世代や若い頃に憧れた人、お仕事をご一緒した人とのお別れがたくさん訪れた。自分の健康にはびっくりするほど不安がないのだけど、それでもいつ強制終了のタイミングがやってくるとも限らない。少し前の僕なら、その何事も過ぎ去ってしまうことに対する無常観が強かったけれど、いまはどちらかと言えば、どうせどこで区切ってもプロジェクトは途上でしかなく、やりきって終わることなどあり得ないのだから、手元の取りこぼしだけはしないようにしようと思えるようになった。いつまでたっても完成しないのだから、いつ終わっても同じなのだ。

そういったわけで、今年も毎年恒例の締めの言葉を。新しい年を迎えるにあたってやっている「七味五悦三会」のお話。毎年の終わりに、除夜の鐘を聞きながら、その年に食べた美味しいものを7つ、楽しかったことを5つ、会えてよかった人を3人挙げられたら、その年をいい年だったねと感謝して締めくくるという、江戸の昔の風習です。本当にありがたいことに、毎年数え上げるのに苦労したことがありませんが、みなさんにとっての今年と、来年が、願わくばそういう年でありますように。

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