雑記20171110

人工知能と愛について

卒論ゼミでの発表と議論を行ったのだけれど、すごく刺激的だったのが「人工知能は愛を持てるか」というテーマ。近年のブームで言われているように、人工知能はいま、人間の思考を模倣することをではなく、大量のデータから学習を重ね、人間の能力を超えるデータ処理と判断を行うようになっている。これが進むと、データの分類や、分類されたデータを抽象化して「概念」を創り出すことができるようになると言われている。

では、AIはデータの無限学習を通じて、いつか「愛」という概念を獲得するのだろうか。

ひとつ確実に言えることは、AIやロボットはある種の「親密性」を獲得するだろうということだ。初代aiboのケースのように、もう動かなくなったロボットに「葬式」をあげるユーザーはいる。セラピーロボット「PALO」が示すように、僕たちは生き物がもたらすぬくもりや安心感と、人工的に作られたそれを感覚上区別することができない。命なきものに命を感じる宗教があらゆる文明に見られる以上、人工知能や「それ」が動かすロボットに、親密性を感じる人間は確実にいるだろうし、パターン学習の積み重ねによって、相手の親密性の感覚を高めるような振る舞いを予測して行動させることも、原理的には難しくないだろう。

では、その「親密性」は、「愛」とどう違うのだろうか。ひとつ考えられるのは、AIやロボットの提供する親密性には「献身=アガペー」としての愛がないということだ。なぜならAIはどれだけ相手のためにコミュニケーションの時間やリソースを割こうと、おそらく人間ひとりの相手であれば何一つすり減らすものがないからだ。機械は生命体ではないから、生命維持と献身との間にジレンマを持たない。もっといえば、自分を犠牲にして相手を助けるインセンティブを持たない。それは果たして「愛」と呼ぶべきものだろうか。

『鉄腕アトム』から『ベイマックス』に至るまで、自己犠牲によって人類を救うロボットの話は枚挙にいとまがない。それは言い換えれば僕たちが、ロボットに対する果てないロマンとして、そのような自己犠牲を期待している=愛を求めていることを示している。こういう観点から考えたときに、自ら進んで他者のために身を捧げるような愛を持つ人工知能が誕生したとき、「それ」は本当に、きっと、人間を超える存在になるのだと思う。

(Slackより転載)

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