「みんなで盛り上がる」音楽

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始まる前にはいろいろと議論のあったサッカーW杯。蓋を開けてみれば、学生たちは寝不足になりつつも試合に見入っていたようだし、内容的にもポジティブな話題が多かったように思う。僕に関して言えば今回、開会前後に複数のメディアから「また若者は渋谷で盛り上がりますか」という内容の取材依頼をいただいたのだけれど、ごく初期のものと、知人の番組を除いてすべての取材をお断りした。理由のほとんどは「スケジュールが合わないから」ということだけれど、そもそも東京に住んでいるわけでもなく、またサッカーの専門家というわけでもないので、よほど自分の専門に寄せた話ができるのでなければ、的はずれなことしか言わないだろうと思ったのもある。あとテレビに関しては、発言の内容と自分の見た目が重ね合わせられて誤解を生みそうだなあと思ったとかも。

それなりに考えていることはあった。大きな動向としては、「ゼロからイチの物語」としての「世界に挑戦する日本」という段階が過ぎ、圧倒的な強さで一位を守る人の方が注目をされる昨今。少なくともスポーツに関しては「よくわからないけどみんなで盛り上がろう!」という人たちだけでなく、日頃から選手に寄り添って、「選手と同じ気持ちで応援する」というスタイルが定着するのと並行して進んだ「ファンとの交流」の深まりや、逆に「世界レベルの戦略・戦術」を分析するハイコンテクストなファンの登場によって、一枚岩の高揚感を期待するのがそもそも変だろうというくらいに観客は成熟している。「誰でも同じ気持ちで参加できるように」敷居を下げて報道するのが視聴者への配慮だというのがマスメディアの基本姿勢なのだろうけれど、アングルも視聴者層も多様化する時代には、それぞれに角度をつけて掘り下げる視点の方が、人々の熱を集めやすいのではないかとも感じる。

それはまあそれとして、W杯関連で面白かったのが以下の記事。

日本代表の活躍のウラでモヤモヤが残るNHKのW杯テーマソングの話(覆面ミュージシャン) | 現代ビジネス | 講談社

要約すると、NHKのW杯テーマソングである、Suchmosの『VOLT-AGE』が、これまで採用された楽曲と比べて異質であり、盛り上がりに欠けるものだったこと。それを提供したアーティストサイド、起用したNHKサイドに対して疑問を呈する、という内容だ。

楽曲が制作・起用された背景など知りようもないし、好みの問題を言い出せばキリがない。けれど今回のSuchmosの楽曲が従来と比較して異質であることは、楽曲批評としては間違いないだろう。記事中に挙げられているものでいえば、サッカーならば『タマシイレボリューション』のように高揚感のあるメロディやヴォーカル、そして何より「サビ」や「キメのフレーズの切り出しやすさは素晴らしい仕事だと思うし、『栄光の架橋』や『Hero』も、様々な競技が映像として紹介される番組において、オリンピックの格式の高さや番組の締めを飾るのにふさわしい、心に残る作品だと思う。

だがそれゆえに、こうした楽曲こそ、現代の日本における「大衆のメディアとしてのテレビ」にマッチする楽曲の完成形だとも思うのだ。

印象的に切り出された試合の場面、受賞のシーン。そうしたものに重ね合わせられ、繰り返される楽曲。アナウンサーや司会のタレントが熱を込めて「みんなで応援しましょう!」と語り、カット終わりやエンドロールでは、サビのキャッチフレーズでカットしてショートディレイのエフェクトをかけて締める(「たーましいれぼりゅーしょんっ…!」)。こうしたスポーツ報道の定番的な演出・編集が完成したのが21世紀初頭のことで、それゆえ「スポーツ大会のテーマソング」というタイアップの形式も、商業音楽を考える上で避けて通ることのできないものになっている。おそらくは楽曲の制作サイドにも、「コンペを通すためのノウハウ」は蓄積されているはずだ。

だからこそ、今回のSuchmosの起用に対して「制作サイドの意図」を問う記事が、当事者の中から出てくるのは不思議ではない。大手サービスがデザインを変更したことでウェブデザインのトレンドが変わることにデザイナーが敏感になるのと同じで、これがイレギュラーな事態であるのか否かというのは、業界の人々にとっては重要な関心事であるからだ。

ここからは、個人的な感想だ。大きな流れとしてこの数年、J-POPの世界ではシティポップ回帰が起きている。Suchmosをはじめ、Nulbarich、cero、Yogee New Waves、雨のパレード、そしてAwesome City Clubなど、いわゆるテンポの早いロックではなく、BPMにして95〜120くらいのミドルテンポの、やや複雑なコード進行や楽曲展開を特徴とするバンドが注目を集めている。それにともなって、80年代〜90年代のアーティストも再注目されているようだ。その点で今回の起用は現在の「流行」に寄せたものだったと言えるかもしれない。

ただ、当たり前だけれど、あえて一括りにして言えば彼らの楽曲は、既存のスポーツ映像編集の文脈に合うものではない。音の広がりが大きい一方で、それらをクリアにミックスするために、特定のパートが際立つのではなく全体のハーモニーが美しく響くように調整されているから、印象的なフレーズを切り出すことも難しいし、なによりスポーツの高揚感とは異なる、じわじわと盛り上がる感情を掻き立てられるようなものが目立つ。感覚的な表現で言うならば、かつての楽曲が「うぉーうぉーうぉー」という、拳を振り上げて盛り上がるようなものだったのに対して、彼らの楽曲は、「〜〜〜〜〜っ!!!」という、内省的で、胸を抱えながらひとり盛り上がるようなものなのだ。

もちろん、拳を振り上げるような音楽だって流行している。EDMのフェスにおける「シンガロング」なんかはその典型だろうし、僕がこの数年追いかけているJ-ROCKのインディーズバンドなんかも、「バンプやラッドの劣化コピー」と揶揄されることも多いけれど、観客は曲に合わせて手拍子をして、サビでは手を上げてアーティストの演奏に応えるのが定番になっている。制作側もそれを意識して、2ヴァースの頭8小節はキックとハイハットだけのリズムにするなど、オーディエンスとの相互作用が生まれるような楽曲を、ライブに必ず数曲は配置するようになっている。

そういう音楽を追いかけつつ、シティポップも聴きつつという昨今思うのは、これって東京とそれ以外の地域のノリの差になりつつあるんじゃないかということ。東京の街のBPMは明らかに他の日本の都市より遅く感じる(あくまで主観)し、聴きながら街なかを歩いていて自然に入ってくるのも、BPM120前後の楽曲。J-ROCKのタテノリに対して、ヨコノリのシティポップのグルーブが広がりつつあるのがいまの東京で、それが心地良い人ばかりではないのだろうけれど、少なくとも音楽と街の呼吸のリズムは、そういうものになりつつあるんじゃないかと思っている。

一方で、僕の大好きなJ-ROCKのように、BPMが早く、循環コードを基礎とした(というかテンポが早いからコードを複雑にしにくい)シンプルなメロディを、リズム隊に変化をつけることで複雑にしていくスタイルの、いわゆる「圧縮率の高い」楽曲には、そういう特定の「街」性を感じない。むしろ00年代の初音ミクの楽曲が進化する中で生まれた複雑なアレンジと、同時期のロックバンドのテイストの合流点にあるのが現在のインディーズJ-ROCKだと思う。以前tofubeatsと対談したときに、彼はそういう楽曲を「日本でしか流行していない音楽」って言ってたのだけど、郊外化した、日本のどこにでもある風景にマッチするのが、そういう楽曲ということなのかもしれない。

今回の起用が正解だったのか否かも、またこれが今後のトレンドの端緒になるのかも、現時点ではわからない。ただどれだけノウハウがあっても楽曲の制作側が常にテレビの求めるニュアンスのものを提供できるとは限らないし、こうしたものへの起用にはある程度の知名度や話題性が必要になるから、器用に合わせることさえできればいいというわけでもない。でも、今回メディアとしてはほぼ関わることのなかったW杯に対する自分の距離感と重なることも含めて、今回のSuchmosの起用は、とても興味深いものだなあと思うのだった。

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