孤立を恐れず、孤独を恐れ

雑記

初めて「お初天神」なる場所で酒を飲んだのは、確か学会で関大に行ったときだからもう6、7年前の話だと思う。今日は仕事の後で大阪に用事があって出てきたのだけれど、せっかくの週末の夜だし、フィールドワーク(笑)というか、土地勘育成ゲームのつもりでそん時以来のキタの街を歩いてみた。と書くと簡単そうだけれど、表は飲み屋と締めのラーメン屋、一本道をそれると立ち飲み屋と寿司屋とガールズバーの建ち並ぶ界隈を、一人で食事して酒も飲んで帰ろうと思うと、ほぼ初見の人間にはかなり厳しい。夜のマンハッタンをぶらついたときの微妙な緊張感を思い出しながら、まずは一軒目のお店へ。

梅田の暮れ

いわゆるダイニングバーといった風情の店でカウンターに陣取り、20代の頃そうしていたようにビールを頼む。フロアの席ではどこかの会社の懇親会らしい集団がわいわいと話している。スポーツバーのようにプロジェクターがスクリーンに試合経過を投影する。もちろん阪神戦だ。どうやら地上波の放送らしく、ところどころにローカルなCMが挟まる。フィッシュ&チップスをつまみつつ、ときどき横目で阪神戦を見やりつつ、聞くともなしにリーマンたちの会話に耳を傾ける。

長いことこんな風に酒を飲んでいなかったので忘れていたのだけど、僕は週末の夜のリーマンの飲み会の声をバックに酒を飲むのが、嫌いじゃないけど不愉快だった。あの頃は意識して平日の夜に店に行くようにしてたんだっけ。彼らの会話ときたら、やれ会社の誰それの態度が悪い、あんなんじゃ出世しないだの、同期の女の子が取引先で自分より先に名刺を渡しただの、思いやりの皮を被った狭隘な価値観を共有できる仲間との同族感覚の確認か、久しぶりに会った友人同士の、あいつは最近誰と付き合ってるとか、あの子はああいう男が好みなんだとか、この話題ならあいつは反応するよねとか、後ろ向きな人間関係を方位磁針ごと前向きにひっくり返したような話題ばかり。でもなぜか今夜は、リーマンたちのそんな宴席トークも許せるような気になっていた。言葉が違うからなのかな。

こうして一人でお酒を飲みながら、一言も口をきかずに済む時間には、ああ、孤立することって心地いいな、と思う。今よりずっと年若い頃、先輩たちに飲み会の世話が上手だと褒められていて、そのおかげで色んな人たちと知り合うことができたのだけれど、それも裏を返せば、「仕事」をしていれば、宴に参加しなくても居場所があったからなのだと気づく。誰かと誰かの知り合いの話は、その誰かを知っている人がすればいい。孤独のうちに部屋の隅で膝を抱えるのは辛いときもあるけれど、孤立することは僕にとってちっとも苦痛じゃなかったのだ。

2杯目のビールを頼んだところで、カウンターの向こうで酒を作ってた兄ちゃんが話しかけてきた。今日は誰かと待ち合わせですか。いや、そういうんじゃないです。こっちに来たばかりなもんで、店とかもわかんないし、と返す。東京ですか、こないだ行ったんですけど、大都会ですよね、と彼が返す。ここで働いてる以上、アンチ東京みたいな気持ちはあるんですけど、こっち帰ってきたらやっぱショボいなーって思いましたよ大阪も、と。

ビールを飲み終えて、次の店に移動しようと席を立つ。またいつでも来てください、と兄ちゃんが笑う。ういっす、じゃまた、と答えて店を出る。帽子を被ってきたのは正解だった、と思う。とりあえず帰るタイミングが見た目に分かるし。話しかけられるのは悪い気はしないけど、東京よりはちょっとタイミング早いかなと思った。それがこの街の距離なのだと思う。繰り返すけど、悪い気はしない。

お初天神の境内をするっと抜けて、2軒目の飲み屋へ。隣の店ではおっさんが深いエコーとビブラートに包まれつつムード歌謡を歌う。ウイスキーをダブルで。これも久しぶりに喉に染みてくる味。誰と話すともなく、ちびちびとグラスを傾けながら、右耳で隣の店のムード歌謡、左耳でBGMのジャズを聴く。「Take Five」が流れてきたあたりで2杯目。他には馴染みらしいお姉ちゃんが一人、マスターと藤沢周平の『蝉しぐれ』について感想を言い合う。これ以上長居すると、会話が始まりそうだと思って席を立つ。馴染みを作るために僕は生きている訳じゃない。

ここんとこ若い連中と酒を飲む機会が増えて、酔っぱらっちゃいけないなと自制することが多かったから、Lifeやポ・ナイトの飲み会ではっちゃけるのが楽しかったり後悔したりって感じだったのだけれど、梅田の駅に向かってある来ながら思ってたことは、ああ、僕はむしろ、こうやって酔えない酒を飲みながら街を歩く夜が、鼻腔の奥に吸い込んだ生ぬるい風で酔いを覚ます時間が大好きだったんだと思い出した。大阪発新宿行きの深夜バスが、出発の時間を待ちかまえていた。遅れかけたサングラスのギャル二人が小走りで駆けていくのを見ながら、僕はいつの間にか僕らの夜が、あの頃より短くなったことに気づいたのだった。

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