公開初日には用事があって並べず、日曜の朝イチで見てきました『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』。ラジオや著書の印象が強いのか、何でも批評的・メタ視点で見ていると思われることも多い僕だけど、基本的に好きなものはすべて面白いと思って素直に見る派です。今回も途中でニヨニヨしたりはらはらしたり目を覆ったり涙を流したりわくわくしたり、これでもかというほど演出意図に乗せられてきたので、変に斜めな目線での感想はなし。歌謡曲のセレクションについては賛否両論あるだろうけど、僕としては15点。楽しめたけど評価はできない。居酒屋のシーンで思い出したのは、『めぞん一刻』の居酒屋のシーンで梅沢富美男が流れていたなあという古い話。『今日の日はさようなら』は、確か窪塚君主演でドラマ化された『漂流教室』で、突然この曲を歌い出すというシュールなシーンがあったなあと記憶を発掘。『翼をください』は以前も庵野作品のどこかで聴いた気が・・・勘違いかな。
ともあれ次回『Q』も期待しているのだけど、今回は『序』と比しても、より「2周目感」が強まったなという印象。個別のセリフ云々ではなく、見ている僕らにとっての「2周目」。ああ、あのときこうしていれば、ああ、あのことが起きなかったら、きっと違った人生や結末が待っていたはずだと。例えば今回の一番の変更点である「テストパイロット」にしたって、テレビ版では一番使命感に駆られていたトウジの決意は、妹が怪我から回復していないということから生まれていたわけで、その前提が揺らげばルートが変わるのも仕方ない。もう、今回は何度上映中に「フラグ」という言葉が頭をよぎったか分からない。あそこでこの人がこの人にフラグを立て、別の人がその人にフラグを立て、そのことでさらに別の人は死亡フラグを立ててしまう、と言った具合に、あたかも「仕組まれた」かのように、「誰か」にとってのトゥルーエンドへと、物語は差し向けられているようだ。
でも、ちょっと考えてみれば、それはやっぱり変なのだと思う。なぜなら、誰もそうした少年少女たちのフラグを操作したわけじゃないからだ。むしろ個々人は相変わらず自分のエゴのために動いている。ではなぜ、今回の作品では「このルート」が進行しているのか?
誰もが、いまの記憶を保持したまま過去に帰りたいと一度は望む。じゃあ、全員で過去の記憶を(うっすらとでも)保持したまま「やり直し」ができるとしたら?誰もが、もうあの人を傷つけたくないとか、あのとき失敗した一言とは違うことを言おうと思うだろう。でもそこでは互いが過去の記憶を保持していることが開示されていない以上、あるところまではうまくいくように思えても、やっぱり「1回目の2周目」でしかありえない。それは結局はどこかで破綻してしまうのじゃないか。ゼーレがたとえどんなに新しい「シナリオ」を見つけたとしても、シナリオを演じるのは「人」であるわけで、何度やり直しても僕らは、やり直しの前に望んでいたような「大人」になんか、なれっこないのだ。
登場人物ひとりひとりの物語は気になるけれど、結局「作品」としては、もう一度シンジ君だけの「やり直し」が描かれるのだと思う。それはそれでどうな(る)のかな、と思う。そんなとき、帰り道でiPodをシャッフルして再生したらいきなり流れてきたL’arc~en~Cielの『虹』の歌詞に、ちょっとしたシンクロを発見して驚いてしまった。
本当はとても心はもろく
誰もがひびわれている
降り出した雨に濡れて
君はまた立ち止まってしまうけど
信じてくれるから
「少年は人の影に歪んだ憎しみを見た」
そんな世界なんてもう何も見たくないよ
何も!何も!何も!
記憶の天秤にかけた
一つの傷がつりあうには
百の愛を要する
けれど 心は海岸の石のように
波にもまれ たくさんの傷を得る事により
愛は形成される
Hydeはこの歌詞については「何も語りたくない」と言っていた記憶があるけど、いまあらためて聴くと、なんだかとても、新劇場版に僕が見出しているものにマッチする。繰り返しの中で傷つくことで見出される愛。そこに向けて歩き出す力。脆い心と世界の否定。それを「今度こそ」という希望として読むことは可能だろう。けど(おそらく)繰り返しゆえに「大人」として誰もが振る舞わざるを得ない新劇場版の世界では、その「大人たろうとすること」そのものが悲劇の源泉である。シンジ君がかっこよくなってて、レイやアスカが気遣いのできる優しい子になってて、ミサトさんが精一杯シンジ君の「保護者」たろうとしているのを見て、多くの人は「ああ、やりなおせてよかった、成長できてよかった」と思うのかもしれない。でもそれは僕には「新しい悲劇」にしか見えないのだ。
本当に僕らは「傷つくことで愛を得る」のだろうか?だとしたらなぜ僕らはあんなにも、奔放で素直で、相手のことさえあれば誰を傷付けても構わない愛に向い、それを叶えた人に対して嫉妬の感情を覚えるのだろう。「オレはこんなに優しくしたのに、結局は顔とカネとコミュニケーション能力かよ」という憤りの背後には、「みんながやさしければいいのに」という思いと、「結局はエゴを通した奴の勝ちでしょ?」という諦念とが、裏表になって存在している。それこそがきっと、いまの「14歳」にとっての一番の悩みなのだと思う
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