今月もいくつかご本を頂戴しました。どうもありがとうございます。まだざっとしか目を通せていないものもありますが、簡単にご紹介。
―格闘技からのメディア社会論
(ポップカルチュア選書「レッセーの荒野」)
売り上げランキング: 213739
格闘技、レスリングといった分野の事象を題材に読み解かれる身体論でありメディア論。プロレスやボクシングから相撲まで、幅広い素材が扱われているが、こうしたテーマを横断的に集めた論文集はなかなかないので、興味を持っている学生がいれば勧めてみたい。
春風社
売り上げランキング: 31136
タイトルとはあまり関係がなく、現代社会の諸事象を経済現象や交換といったところにまで立ち返って考察している。ひとつひとつの文章は短く、文献引用もさほど多くはない。実践としての経済学的思考は注目されても、こうしたアプローチというのは最近は少なめなので、そのスタイルに触れておきたい人にはお勧めできるかも。
ポスト・エヴァのオタク史 (ソフトバンク新書)
ソフトバンククリエイティブ
売り上げランキング: 570
前島君初の評論単著。確かに文章は荒削りだし、後でも書くとおり最終章なんかはあちこち日本語が崩壊していたり、読点からの改行があったりと、仕事に厳しいKさんの編集であることを考えれば、そうとうにタイトなスケジュールで入校したのであろうことは推察できるのだが、そうしたことを差し引いても、こうした評論に関心を持つ若い世代にとってとても読みやすい入門書になっていると思う。挙げられる固有名は、セカイ系について語るならこのくらいは押さえておけ!という作品/媒体ばかりだし、その文体も、「いま」後追いでセカイ系について知りたい人が好きそうな――こういうと語弊があるが――ウェブのコラムやブログの文体に近い。
本書で著者がセカイ系と呼んでいるのは、Wikipediaなどでも流通しいているような「きみとぼくとセカイの運命がダイレクトにつながっているお話」というものではなく、エヴァンゲリオンの影響下で生まれた、自己言及の形式を採用したお話をルーツにもつ作品群のことだ。ただ、セカイ系という用語そのものが後に評論などの分野で用いられ、拡大解釈され、また独自の意味が付与されていくなかで、それに応答する作品も現れ、現在までのような「セカイ系」を巡る議論の枠組みができあがったのだと。その上で、著者はほかの論者と同じく「セカイ系はすでにピークを過ぎた」と評し、都市を舞台にした物語や、「空気系」と呼ばれる日常生活の他愛もない一コマを描く作品などが出てきているという。また、濱野君の議論に対応するように、コンテンツをネタにしたコミュニケーションの盛り上がりについても言及されている。
しかし、そもそもコミュニケーションのただ中に投げ込まれてしまえば、ある「セカイ系」の語りが、別の語りに接続され、再び変質していくことは避けられない。にもかかわらず、本書は、「セカイ系」という「正史」への強い欲望に突き動かされている。この点が著者の議論のおもしろさであり、矛盾でもある。終盤になるほど、著者自らの作品受容体験をベースにした記述が増えていき、またその背後に「だってしょうがないじゃん、俺たちそうなんだもん」という本音が見え隠れするのだが、むろんそれは、著者の私的な歴史観を特権化することが、この本の目的であることを意味しない。本来、作品を語るときに、正史を語ることと特権化することとの間には、強い祖語がある。評論家がある作品を特定の系譜の中に位置づけるのに対して、作家は自分の作品の唯一性を主張する。「そんな簡単なものじゃないんだ!」と。
著者のセカイ系への語りは、一貫して「セカイ系の作品群の内容そのものはありふれているのに、なぜそれがセカイ系という別の語りを生み、広がったか」という疑問に根ざしている。その疑問はどうしたって、「受け手がそこに何かを求めたから」という結論を導かざるを得ない。正史への欲望に駆動されながら、それが自分語りを生まなければならないところに、この評論自体が「セカイ系を語るセカイ系」としての意味を持っていることが見えるのである。
ところで、本書を社会学の学生に読ませるとすれば、どのような点に留意すべきだろうか。もちろんこの本は社会学の本ではない。が、ひとりの当事者として、ある世代のオタクについての認識を明らかにした本ではある。とすれば大事なのは、「著者がオタクのすべてではないし、社会学的な代表でもない」ことを、どの程度踏まえられるかというあたりになるだろう。僕の予想では、いわゆるオタクの世代区切りは、本来ならかなり高い階層の人々によって支えられてきた「オタク的作法」に、多様な階層・出自の人々が参加するようになって生じた変質とリンクしている。10代でも第一世代のようなメンタリティのオタクはいるだろうし、逆もまたしかり。とすれば、ここに書かれた語りを採用する人々を抽出できるのは、どのような質問項目かということを考えるのも、割と有用なのではないかという気がする。