大学には入ったけれど

雑記

今日は勤務先の入学式。毎年のこととはいえ、春先のキャンパスの浮かれた感じは独特のものがあって、年々垢抜けていく新入生も、このときばかりは戸惑いの表情を見せながらサークル勧誘のチラシを受け取っている。ほほえましい光景なのだけれど、その一方で、すでに道に迷っているというか、大学に入って何をすればいいのか分からなくなっているんじゃないかと思える子もいる。せっかくなので、大学で何をすればいいのか、少し書いてみようと思う。

1. 友達なんかいなくてもいい

いま、若い世代の間では、コミュニケーションが生活の中心になりつつある。その理由はいくつもあるのだけど、ともあれ周囲とつながりを維持できなかったり、そもそも誘われなかったりすると、生きていくのに大変不便だ、という強迫観念を持っている人が、それなりの割合で存在している。

でも一方で、大学というところは、基本的には個人で履修プログラムを決め、個人に成績がつくシステムをとっている。グループワークが入ることもあるけれど、修学旅行の班決めじゃないので、仲良しグループで作業が進むとは限らない。サークルの先輩や講義に出ている友人から、試験に関する有益な情報がもらえることもあるけれど、「オールA狙い」とか「一度も講義に出ずに単位を取る」みたいなチャレンジを企てているのでない限り、そんな情報は成績にたいして影響しない。なにより、いまの大学では、不出来な学生に単位を出さないというのがどんどん難しくなってきている。

もしかしたら、大学でうまくやってる連中が輝いて見えて、自分だけがそういう楽しい生活から疎外されているような気持ちでいるのかもしれない。でもそんな奴らも、「うちは表面上みんなと仲良くしてるけど、本当に心を開ける人なんかいない」なんて中学生みたいなことで本気で悩んでたりする。悩んでいる人ほど、他人のそういう悩みには、強がって嘲笑してみせたりする。

人脈や人の縁っていうのは、自分が持っている価値に応じて、自然と生まれるものだ。才能のある人には変人が多いけど、それは変人でも許されるくらい才能があるってことでしかない。友達を作るより、友達のできる自分でいるために、何ができるかを考えるほうがよっぽどましだ。

2. 自由時間は有料である

大学に入ると、とにかくヒマになる。真面目に講義に出ていても、なぜかヒマになる。その理由は、特に文系の場合、講義時間外での予習・復習が少なすぎることと、ゲームだのメールだの、細かい暇つぶしのツールができたせいで、がっつりと時間を使える場が減ってしまったことにあると思う。

けれど、そのヒマな時間は、君たちの学費を出している人がお金で買い与えてくれたものだ。君たちの親世代に当たるだろう50歳前後の男性の平均給与は、だいたい650万円くらい。国立大学の初年度の納付金が80万円くらい、私立大学だと120万円くらいだから、収入の1~2割が学費で持って行かれる計算になる。仮にこれを「月謝」のつもりで割ると、毎月6~10万は稼がないといけない。これが、君たちの自由時間の値段だ。

こういうことを聞かされると、素直な子ほど「ちゃんと有意義な大学生活を送らなきゃ」とか「親に感謝」とか言い始める。見上げた姿勢だけど、それだけじゃ意味がない。というのも、いまの君たちには、その自由時間の値段に見合う成果を上げる能力がないからだ。

大人になると、その時間に対する対価は、自分で払わないといけない。具体的にはそれは給料という形で反映されるのだけど、そのときになって単位時間に見合うパフォーマンスを出せればいいのであって、それまでは、他人のカネだからできることに力を入れよう。大人は、上手に甘えられるのが好きなのだ。

3. 大学の財産を使い切る

ちなみにその「有料」の中には、大学の設備の利用料も含まれている。たとえばパソコン室。暇つぶしに大学デビューしたmixiを見に行くだけになっている人もいるけれど、そこに入っているソフトウェアの中には、個人で買うと何十万円もするものがいくつもある。そのすべてが使える必要はないけれど、使えるとお得なものがたくさんある。ヒマでヒマでしょうがないなら、パソコンの参考書を買ってきたり借りてきたりして、ひとつふたつソフトの使い方を練習しよう。講義で用意されているWord、Excelの講習では不十分なので、まずはそのふたつとPower Point。余裕があればVisioやPhotoshop、Illustratorなどで図版を作成する練習。ビジュアル入りの資料を作れるというのは、地味だけどすごく印象のいいスキルになる。

もうひとつ忘れちゃいけないのが図書館。ただで本が借りられるだけじゃなく、新聞や雑誌だって置いてある。部分的にはコピーもとれる。しかもこれが、卒業したとたんに利用できなくなる。在学中に読んでおくべき本を「これ」って示すことはしないけど、蔵書の中からできる限り古いものを選んで読むことをおすすめする。それはきっと、マーケットプレイスにも、ネットにも出てこない情報だからだ。人が知らない(知り得ない)ことを知っているということは、それだけで大きな財産なのだ。

広すぎて何を見ていいか分からないという人は、図書館のOPACなどの検索端末に、適当なキーワードを入れて引っかかった本を読んでみよう。そのうち、書架がどのように整理されているかが分かってくれば、読みたいものを探すのも楽しくなってくるはずだ。また最近では、図書館の中でしか使えないデータベースの検索端末を入れているところも増えた。これも個人で契約すると年間何十万円もするものもある。調べ物だけでなく、暇つぶしで何か検索ワードを入力すると、新しい発見があるかもしれない。

ちなみに個人的なおすすめは「白書」だ。自分で買うには高すぎるけれど、白書にはかなり個性的なものもあるし、内容も具体的なものが多い。一度ぱらぱら眺めてみよう。

4. 自己責任の意味を知る

一言で言えば、大学生活は自己責任の世界だ。といっても、多くの人がこの言葉の意味を誤解している。自己責任というと、失敗しても誰も助けてくれないという風に思われているけれど、誰にも助けられずに生きていける人などいない。だから人は組織を作って、互いに助け合ったり、責任を分散できるようにしているわけだ。

そこで「責任」というのは、「他人のしでかしたことの尻ぬぐいをする」という意味だ。責任者になるっていうのは、誰かを助ける力を得て、それを行使するということに他ならない。だから大学生になって自己責任の世界に入るというのは、大人の助けを借りなくても、自分の力で(自分を含む)誰かを助けられるようになるということなのだ。子供の頃は、誰かがけがをして泣いていたら、大人を呼んでくるしかなかった。いまは自分で119番もできるし、簡単な手当だってできるはずだ。けがだけじゃなく、いろんなところで、そういう責任を果たせる場面が増えてくると思う。

と同時に、学生の君たちには、自分たちだけではすべての責任を果たせないことがたくさんある。犯罪とかは名前出しで報道されちゃうけど、学校には保護者同伴で謝りに行かなきゃならない。麻雀で借金をこさえたら、親が肩代わりすることになるだろう。そうやって、最後のところでは他人にケツを拭いてもらいながら、自分でできることを見つけて、実行していく時期のことを「モラトリアム」という。最後は誰かに頼ってもいいから、まずは誰かを助けるために自分に何ができるのかを考える練習期間が、大学生という時期なのだ。

5. 大学生には価値なんかない

そもそも、なんで大学に行くのだろう。まだ日本社会が全体的に貧しくて、逆を言えば成長の余地がたくさんあった時代には、親よりも子供の方がいい暮らしをできるはずだと信じられていた。学歴は、そのためのパスポートとしてとても重要だったから、大学に行かなきゃいけないって話になった。

でも、みんなが豊かになって、経済があまり成長しなくなると、子供が親よりもいい暮らしをできる余地がなくなってくる。少子化が進行し、子供一人にかけられるお金の額が増えるから、それに代わって、がむしゃらに勉強するより、その子なりの価値や生きる道を見つけてほしいと考える人が増えてくる。

いま、大学進学率は55%くらいだけど、18歳人口はピーク時だった約20年前と比べて半分近くまで減っている。ということで大学間の顧客(君たちと保護者のことだ)獲得競争が激しくなる。大学としては学生を甘やかすだけでなく、うちはいい大学だぞってことを示したいから、優秀な学生をアピールしようと必死になるけど、真面目に勉強した学生が社会で成果を上げるには何十年もかかる場合が多いから、スポーツ選手やタレントを集めて、短期的に目立とうとすることになる。

こういう時代には、大学生であるだけで何かの価値を帯びるなんてことは、まずない。言い換えれば、大学で一律に「してもらえる」ことだけでは、大学に行った意味を見つけるのは難しい。それは、だからもっと競争に勝つためにがんばれという意味じゃない。大学生活には、他人のカネと、ヒマと、自己責任が転がっている。それをわがままに利用せずにいるのはもったいないって話だ。

大人たちは、これだけカネと手間暇をかけても、君たちがどうせ「大学生活」を使い切れないなんてことは分かっている。だからこそ、使い切れないくらいの無駄を用意しておくことだけが、大学の価値なのだ。遊んだれ遊んだれ。

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