空間の商品化

雑記

100728

先日、生まれて初めて「ディナークルーズ」というものを体験する機会に恵まれた。現代においては「感動」がマーケティングのキーワードになるのだ、ということがよく言われていて、サービス業も「感動」を与えるホスピタリティを提供しなければダメだ、なんて言う。そのホスピタリティも、従業員の一方的なやりがいの搾取的奉仕ではなく、顧客と従業員の相互信頼関係に基づいたものでなければならない、なんて話まである。そりゃ理想はそうでしょうけど、商品化って「カネを出せば買える」ことの言い換えなのだから、そうしたホスピタリティは、究極的には「一見さんお断り」の、マイルドに言っても、空気の読めない客をやんわりと排除する、その輪の中にいない人にとっては単にいけ好かない場しか作らないような気がする。

で、ディナークルーズだ。結論だけ言えば、そこには人によって作られるホスピタリティとはまったく異なる「感動」があった。18時半に出帆した船は天王洲からIHIのコンビナートとお台場の脇を抜けて、外海へ向かう。大井埠頭の倉庫街を抜けると、右手には羽田空港。夕暮れ空の向こうに次々と着陸する飛行機と船で併走するなんて、たぶんこの季節のこの時間に、この場所でしかできない体験だと思う。

外海をぐるっと回る間にディナーはメインディッシュへ。そしておなかも満たされた時間にはまたお台場の方へ戻ってきて、レインボーブリッジの下をくぐったりした後に帰港。「特別なお客様」には、花火のサービスまで用意されている。結婚パーティーなんかで使う人が多いという話も納得のサービスには、「もてなし」というか、結局は従業員を犠牲にするか、客の敷居を上げるかしないといけないというしょーもない理論にげんなりしていた僕には、鮮やかなひらめきを与えてくれるものだった。

場所がもたらすプレミア感というものがある。一生に一度は巡礼すべき聖地というのは、とても行きにくい場所だったからこそ、逆にプレミアとして機能した。東京タワーの展望台のさらに上には「特別展望台」というのがあるらしいのだが、そこには、たかが数メートルでも「上」なら、別料金を取ってもいいくらいのプレミアが付くということが、端的に表されている。

現実の空間にプレミアをつけるためには、普通に考えれば、高いところに上るか、遠いところに行くしかない。要するに、空間という資源は有限だからこそ、アクセスしにくい場所というものに価値が出る。これだけなら単純な希少性の原理だ。でも、アクセスしにくいからといっても、そのままでは価値が出ない場所もある。高いところに価値が出るのなら、飛行機で飛ぶ数千メートル上空が一番プレミアなはずだ。もちろんそんなことにはならない。でも、同じ高さからスカイダイビングできるとなれば、その高度にはプレミアが付く。旅客機が飛ぶ7000メートルくらいの高さから、初心者がダイブするのはけっこう難しいらしい。

旅客機とスカイダイビングの間を分かつのは、そこに日常を超える「体験」があるかどうかだ。その高さでしか体験できない出来事があるかどうか。高々度からのスカイダイビングは、そこまで行くだけの能力とカネがないと体験できないという意味でプレミアなのだ。もちろん旅客機にだって、たとえば雲海の向こうから昇る朝日が見えるとか、そういう体験が付随すれば、立派な空間プレミアムが付くのである。

「高さ」のプレミアは分かりやすいけど、一方でバカと煙はなんとやら、で、分かりやすすぎるが故に陳腐化する危険性もある。そこで、縦ではなく横のプレミアだ。陸上で体験できるプレミアとしては、北海道の地平線が見える場所とか、阿蘇を抜けるやまなみハイウェイとかが思いつくけど、海にだってプレミアはある。ただ、雄大な大自然を楽しむ海は日本の中だとそんなにないので、陸上や高いところよりも、いっそうのナラティブ化が必要になるだろうと思う。

ナラティブ化とは、要するにマーケティングのことだ。「○○という場所は××である」という意味を、空間に付与するということだ。70年代の「ディスカバー・ジャパン」にしたって、苗場でスキーでユーミンだった80年代にしたって、代理店主導で積極的に空間に意味を付与してきたのだ。

ただ面白いのは、ナラティブというものは、正のナラティブだけでなく、「恋人どうしで行くと必ず別れる場所」のような負のナラティブを帯びた場所であっても、「二人の愛を試すために行ってやろうじゃないか」と受け止められる場合があるということだ。ナラティブ化は、その内容以上に、次のコミュニケーションを生むかどうかが重要なのである。

コミュニケーションを生むナラティブと、プレミアムな場所での体験は、とても微妙な関係にある。ナラティブはどこまでも情報として伝わるけど、体験は、体験した人の間でしか共有されない。ましてプレミア空間のような「行かないと分からない」場所は、どれだけ言葉を尽くしても、それが「体験」に追いつかないものだからこそ、美しい言葉であればあるほど上滑りするだろう。

だからこそこうした場所を宣伝していく上で必要なのは、「体験」を共有する人々のコミュニケーションを、まだ体験していない人に見せてやることだ。こないだ立ち読みした食のムックで、とあるグルメ情報サイト、というか、そのサイトのユーザーがけちょんけちょんにバカにされていたのを見た。グルメとしては正しい判断なのだろうが、ライターも編集者も含め、商売人としては最大級の間抜けだなと思った。

それは、一般ユーザーを見下したかのような書きっぷりが、あの業界にグルメ情報サイト嫌いが多いことを知らない普通の人にとっては不快なだけだというレベルの話ではなく、グルメ情報サイト、あるいは家電や本のレビューでもいいのだけど、ああしたものが「体験の共有」と、それがもたらすナラティブ性によって支えられているという点を見落としているのだ。「いいものを作れば自然と客は付いてくる」とか言うのと同じくらい、人はいいのだろうけど、お仕事はご一緒したくないたぐいの話だなと思った。

話はディナークルーズに戻る。なかなか認知度が上がらず、リピーターも増えないという話を関係者から聞いて、なんかマーケティング戦略考えたいですねーと言っていたのだけど、考えてみれば、こうした体験をした人どうしで「あれよかったよね!」と語る場所すらないのだから、それはまあ当たり前の話なのかもしれない。富裕層マーケティングとか簡単に言っちゃう時代だからこそ、メカニズムにまで突っ込んで理論化できるマーケターが必要なのにな、と思う。

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