本日あたりから発売になった新刊『ウェブ社会のゆくえ』の目次とまえがきを公開します!まずはもくじから。
はじめに
第一部 現実空間の多孔化
第一章 ウェブが現実を侵食する
- 「情報空間」が現実を変える
情報によって変わる現実の見方 情報空間とは何か 空間の意味を生み出す鍵 コミュニケーションが作る意味の空間 情報空間の概念的な整理 - ソーシャルメディアが個人情報を買い叩く
社会現象を複眼的に見る 経済的要因が後押しするスマートフォンの普及 新たな広告媒体として 個人情報を支払わされるソーシャルメディア スマートフォンとソーシャルメディアを推す政治的理由 - 現実と連動し、現実を侵食するウェブ
データが現実になる 現実を資源化するウェブ
第二章 ソーシャルメディアが「私」を作る
- ソーシャルメディアから抜け出せない人たち
「ソーシャルメディア依存」をめぐって 携帯電話依存の研究から見えてくるもの 「寂しいから」ではなく「一人だと思われるのが怖い」 空気を読む圧力はなぜ生じるか 「見なければいい」では解決しない - 「ソーシャル疲れ」の社会学
もうソーシャルメディアなんて見たくない 「空気を読む圧力」だけが原因なのか 社会学的自己論からの分析 「思った通りに見て欲しい」 ソーシャルメディアで現実空間はどうなる
第三章 ウェブ社会での親密性
- 役割空間の混乱
デート時の携帯電話マナー 役割は「期待」から生まれる 期待に逆らう自由 機能分化した複雑な社会 役割葛藤と役割空間 ソーシャルメディアと役割空間 - 一緒にいることの孤独
「離れていても一緒」なのか 親密であるとはどういうことか 自己開示とプライバシー 監視こそがプライバシーの確保につながる? - 親密性と近接性が無関連化する
「自己情報コントロール権」と親密性 「親密な相手」を選択する 人でなくても感じられる親密さ 現実空間の意味をめぐる争いが顕在化する
第二部 ウェブ時代の共同性
第四章 多孔化現実の政治学
- テレビ公共圏から多孔化現実へ
高級レストランでの料理撮影 ソーシャルメディアとコンサマトリー化 場所の特別さの喪失 テレビ公共圏が作る「大きな物語」 テレビに出ている人は他人ではない 電話のあるところが「私の場所」になる 多孔化社会の無限定性 - 多孔化現実を管理する権力
公共空間での通信機器の利用は制限されるべきか 監視社会論からの批判 携帯電話による相互監視と管理 自己情報コントロールのジレンマ - リスクの可視化による社会の分断
「ホットスポット」をめぐって 地図による可視化という権力 市場価値で分断される被災地 安全に関する情報を必要とするのは誰か 権力作用の批判から、新たな共同性へ
第五章 多孔化した社会をハッキングする
- 観光から聖地巡礼へ
多孔化による分断に対抗する手段 観光客の体験から見る観光地 アニメ聖地巡礼と観光地の創造 見られること、連帯、アイデンティティ - シビック・プライドと行政の役割
後期近代の共同性 共同性としてのシビック・プライド なぜハコモノやゆるキャラではダメなのか 「ファスト風土」から地域性の継承へ
第六章 「悲劇の共同体」を超えて
- 喪失の体験と共同性の始原
人が入れ替わっても持続する共同性 共同性から共同体へ 喪失の体験が生む共同性 死者の抽象化と共同性の拡大 「悲劇の共同体」のジレンマ - 儀礼の空間と現代における共同性
抽象化された死者を引き受ける空間 儀礼が可能にする記憶の継承 現代社会における構造的な忘却 一次の忘却と二次の忘却 どのようにして記憶を継承するか 個人の空間が共同性へと接続されるために