2014年の仕事の抱負でも、と思ったのだけど、昨年は本も出したし、学務も昨年ほどではないしというわけで、今年はインプットの年にしたいなという以外にたいしたことも浮かばなかったので、こないだ日本のジレンマに出たときのことを思い出しつつ、今年はテレビ論壇とかどうなるんだろうね、と考えてみる。
とりあえず気になっていたのは「論客」というあの呼称だ。いやまあそういうテンプレであることは理解するし、言われてる方も「(笑)」としか返しようがないのだけど、さりとてそこには、いまの20~30代を集めてきてさてどんな括りにしましょうかって考えたときに出てくる、ある種の無理がにじみ出ている。
おそらくそこに込められた意味は、何かについて議論する人という意味なのだと思う。で、イデオロギー対立が議論のテーブルを結びつけられなくなって以降、議論というのはロジカルディスカッションのことではなく、それぞれの専門分野や現場を背景に、そこから自分の意見を言うものになっている、と思う。ごめんほとんど見てないから印象だけど。
そうすると重要になるのは、肩書きとか職歴。年配向けならこれが、学者と政治家とジャーナリストが主役になる。映画監督とかは、たぶんお呼びがかからない。というか出るメリットがあまりない。んで若手だと、政治家が少ないので駆け出しの研究者と経営者とライター。んー、なんか下位互換という感じもする。
ただ、年長者よりも実践や現場へのアプローチが問われているのかな、とは思う。世代で議論する場を区切ること自体、ある世代を境に共有されるべき問題系が変化しているという(ある程度までなら妥当と言えなくもない)想定があるから、そうした課題に向き合っているかどうかがリトマス試験紙、と。
そうすると、そこへの向かい方が問題になる。たぶん、論理を重視するかどうかの違い。細かいことはともかく実践の現場へ向けて人々を巻き込んでいって、まずは行動してみよう、というタイプ。ついでに言えば、アジテーターであるからにはそのゴールにすごく大きな社会構想を持っていることが望ましい。
他方にいるのは、徹底的にデータとロジックを重視する派。共感による人の動員は、常にどこか多様性を捨象する性質があるし、人の理想や思想を曲げさせないとうまくいかない。そういうことをせず、元あった選好を維持できるように、データ的に裏付けられた「価値中立的(という価値を帯びた)」な選択肢を提示する。
ちなみに僕みたいなタイプは、「批判」なんてゆって外野から重箱の隅をつつくような観念的な話をすると思われているので扱いが悪い。年長世代が喜びそうなテンプレ左翼、テンプレ右翼的イデオロギーを持っていれば話は別だけど。ともあれこの手合いはちょっといったん除外する。
仮に前者を人情派、後者を論理派と呼ぶなら、本来の対立軸はその間にあったのだと思う。両者がともにテンプレ左翼と闘ってたのがこの10年くらいだとすると、さすがにもうそういう対立が古びてきていて、じゃあ具体的に世の中を、自分たちの課題を主軸にして動かしていくのにふさわしいアプローチはどっちなの、というのが今かなと。
んでまあ、当たり前だけど両者は車の両輪なので、どっちもあった方がいいに決まっている。でも困ったことに、自分の現場や専門に依拠して議論することを宿命付けられた若手にとっては、お互いをつなぐ車軸というものがない。つまり深刻なのは、論客不足じゃなくてMC不足のはずなのだ。
そこで登場するのが、タイトルにもある体育会系MCだ。アスリート系論客という意味ではない。桑田さんとか為末さんとか、インテリジェンスのあるアスリートもたくさんいるのだけど、そうじゃなくて、夜のCSやFMに出てるような、知性よりも行動力が売りの、スーツが似合う系ビジネスパーソン。で、ほどよくマッチョ成分低め。
こういう人が、ああだこうだと出ている議論をふむふむと傾聴し、どこかのタイミングで、わかりました、じゃあみんなでこうしましょう、とまとめ上げる。だいたい課題は共有できててもインテリの理屈が気に入らないという普通の人の市場に刺さるのは、この手の人が謙虚に構えつつ場を持ってく姿だと思うのだ。
もちろん、体育会系にこだわらなくても、こういうMCってすごく難しい。MCというよりは相当有能なファシリテーターでないと無理だろう。当然、毎回の勉強も必要になるはずだ。これから議論を中心にした番組を作ろうと思うなら、間違いなくコストをかけて囲い込んだ専業の総合司会を育てていく気がないと、エンタメとしてすら回らないのじゃないかと思う。
はい、というわけでここまで雑談。2014年は、こうした「議論する力」「議論する材料を準備する力」を育てるための教育プログラムの構想と実践に力を注ぐことになると思います。学務っちゃ学務ですが、ある意味で、社会学のような学問に入門しちゃったレベルの人間が発揮できる専門スキルのひとつがそこだと思うし、自分が実践的に関われる現場がそこにあるとも思うので。別に教育を語る人になる気はありませんが、そんなことをぼちぼちやっていきます。