第03回:「風景としての仲間」
生殖行為のような生々しい現実は、公共圏においては隠される必要があり、それは情交に関わる表現を、どこかふわふわとしたイメージで覆っていく一方、不安定化した現代における「安定」のよすがとしての生殖-家族というテーマが求められるようにもなっている。その二重性が、ケータイ小説や最近のラブソングの、ある種奇妙な感覚を生み出しているのではないか、というのが前回までに僕が提示した仮説でした。
ところで、広義の公共圏で行われるコミュニケーションには、政治的議論や企業活動のようないわゆる「公的」な場面で行われるもの以外にも、多様な形態があり得ます。性風俗はその中でももっとも限界的な領域だと思いますが、その他にも「飲み屋」や「クラブ」などで広がる談義・社交も、公的なものと私的なものの中間的な性格を有しています。
公共圏にこうした「第三空間」としての盛り場を見いだしたのは社会学者の磯村英一でした。それに対して、(明示されてはいないものの)メディア化と個室化の進んだ郊外に生きる若者たちにとっての「まったりとした都市空間」を発見し、「第四空間」と名付けたのが宮台真司です。
宮台は家庭・学校・職場とも異なる、近代がフィクションとして作り上げた役割から解放される場としての第四空間の意義を積極的に評価します。現在もそうであるのかは分かりませんが、少なくともこうした郊外的感覚が、多くの人にとって前提となっていることは確かでしょう。
昨年、参議院選挙での自民党の大敗が話題になりました。その要因のひとつとして、一連の規制緩和による地方への再分配システムの崩壊と、それに伴う地方経済の地盤沈下が挙げられています。詳しく述べる余裕はありませんが、そこで再分配システムといわれているものは、いわゆる公共事業のようなものばかりではありません。どちらかというと重要なのは、郊外に生活する核家族のサラリーマン世帯にとって、近年の改革が打撃だったということです。自民党の支持基盤が、都市部においてはこうしたサラリーマン世帯であり、70年代以降の自民党一党支配を可能にしたのは、そうした層の支持によるものだということを指摘したのは、村上泰亮『新中間大衆の時代』(84年)でした。
僕たちの生活圏が、大きな道路とロードサイドのファミレスとツタヤとコンビニに彩られた郊外になったのが、この20年のこと。宮台はそうした郊外から都市に溢れ出てたむろする若者たちの感受性を、「仲間以外はみな風景」と表現したのでした。
この物言いにリアリティがあるのは、たとえばカルチュラル・スタディーズの論者が言う「空間の占拠」のようなものと比較すると明らかです。アンリ・ルフェーブルの『空間の生産』からエドワード・ソジャの『ポストモダン地理学』を経て、カルチュラル・スタディーズでは、制度的な空間を内破していく文化的実践の政治的意義を積極的に評価するようになりました。具体的にはレイブやストリートダンスなどです。
しかし、実際に路上でダンスの練習をすればすぐに分かりますが、そこで空間の占拠を巡って闘争になるのは、ビルの警備員だけでなく、そこをねぐらにしているホームレスだったりします。彼らを問答無用で追い出し、うるさい音楽をかけながらダンスの練習をする若者たちは、それぞれに必死で真剣なのですが、仲間以外の存在に対する感受性を決定的に欠いています。
ただ、僕自身はそうした感覚も、近年の様々な環境の変化によって、その位置づけを見直さなければいけなくなっていると思っています。特に重要なのは、若者の位置づけの変化です。90年代には、若者はまだ社会の中の強者であり得た。大人たちがどれだけ説教しようと、何食わぬ顔でストリートを闊歩できた。
けれど、フリーター暮らしが長期化し、若者が実は「被害者」だったのではないかということが誰にも自覚されるようになると、「風景」にしてやり過ごしていた世界と、仲間との意味的な関係が変化します。つまりそこで「仲間」は、居心地のいい場所というだけでなく、厳しい「現実」から身を守るシェルターとしての役割性を帯びるようになるのです。
こうした変化を如実に示すのは、若者の「仲間」関係をもっともリアルかつ情緒的に描くことで人気を博した宮藤官九郎の一連の作品です。『池袋ウエストゲートパーク』から『木更津キャッツアイ』、『タイガー&ドラゴン』に至る過程で、彼の描く仲間関係の主軸は、「風景との戦い」から「現実に対するシェルター」に移行します。そしてそこで「現実」は、シェルターでの癒しの期間を経て再び帰るべき、風景にすることも逃避することもできない場所として存在しているのです。
癒しのシェルターとしての「仲間」感覚を描いた近年の作品を音楽から挙げるとすれば、ET-KINGの「Beautiful Life」になるでしょう。そろいの法被の出で立ちでライブに登場する彼らは、見た目こそ「地元のヤンキー」ですが、そこには、「外の厳しい現実に立ち向かうために手を組み合う仲間との日常」というモチーフが通底しています。
「職もなくて銭もなくて やせ我慢/これじゃ甲斐性無くて親に対しマジすまん/んで気づけば20代の半ば/仲間と過ごすぜ笑いながら」というリリックに現れる、無前提な仲間への信頼感は、人によってはベタ過ぎて受け付けないかもしれませんが、僕は非常にゼロ年代的だなと思います。
もうひとつ、音楽論的に見るならば、彼らがすごいのは、まったく音楽論的に語るべきところがないということ、言い換えれば、徹底してトラックに思想性がないことです。アルバムを通して聴いても、どうやらレゲエっぽい歌い方、リリックだなということは分かりますが、音色の選び方、コード進行などはむしろはるかにJ-POP的、というか「ツタヤで借りられていそうな邦楽」的だと言うべきでしょう。
僕は彼らのアルバムを聴いて、レゲエとツタヤが一緒に並んでしまう日本の邦楽の環境は、なんて豊かなんだろうと思いました。音楽的には貧しいと言うべきなのかもしれませんが、彼らの曲は、「毒にも薬にもならないトラックに、シンガーが等身大の表現を注ぎ込む」という点で、絢香の「三日月」と並んで、現代を代表する作品だと思います。
ちなみに絢香のトラックは、バックバンドの演奏がうまいほど個性を失うという意味で、ひどくJ-POP的です。彼女とYUIは、そうした「洋楽の呪縛から解き放たれた最初の世代」として、ゼロ年代邦楽の最高峰/最後方に位置していると思います。
ただそれは、空洞化し、流動化した郊外の環境を前提にしたもの、言い換えれば「ゲットー化する地方」が日本の多くの領域をカバーしているという意味で、日本の音楽=邦楽であるに過ぎない。日本の中央に東京があり、その先に西洋があるというヒエラルキーから解放された若者たちが着地している「仲間」は、それ自体として既に郊外のいち風景なのではないか、と僕は思います。その「殺伐とした希望」が理解できなければ、ケータイ小説も、どこか頭の悪そうな邦楽も、やはり理解できないのではないでしょうか。
さて、この連載もようやく折り返し地点に入りました。自己の記憶から愛、そして仲間へと、特にストリートに近いサブカルチャーの評論を通じて論じてきたこの連載は、後半戦で「オタク系サブカルチャー」へとその対象を切り替え、再び仲間から自己に向かって議論を掘り下げていきます。というと非常に壮大な構想ができあがっていそうですが、実はまだ何も考えていません(笑)。さしあたり次回は、最近の秋葉原の歩行者天国が荒れている話などを通じて、ゼロ年代オタクの「仲間」風景について考えてみたいと思います。