苦手分野での「報われない感」

雑記

松波晴人さんの『ビジネスマンのための行動観察入門』は、以前「キャスト」に出演していたときに大阪ガス行動観察研究所の特集を目にしたことがあったので、その当事者の著作と言うことで期待して読んだ。が、面白くないわけではないものの、期待の方向とは違ったかなという印象。

その原因は主に3つ。一点目は、著者自身の体験や現場報告が主で、心理学に基づく科学的知見というよりは、泥臭い現場で行動観察という手法をどうやって受け入れてもらったかという話が中心だったこと。実際、この分野の話が初めてという読者を相手にするには他に選択肢はないのだけど、ともすれば行動観察というよりは体力で稼ぐコンサル的な仕事の印象が残り、科学的手法としての行動観察のPRという意味ではマイナスなのではないかという印象を持った。

二点目は、それと関係するけど現場報告が主であるということは、結果的に現場性の高い事例が中心になるわけで、読んだ人が「よし、我が社でもこのやり方を取り入れてみよう」と思っても実際には適合的でない場合が多いということだ。もちろん著者たちにしてみれば、本一冊読んだくらいで行動観察のプロになれるわけはないし、だからこそ仕事も生まれるのだが、どうしても「その現場ではそうだよね」という風にしか読めない箇所がいくつかあった。

そして三点目が一番大きいのだけど、行動観察の結果明らかになった課題と、その解決のためのソリューションに、本当に関係があるのか分からなかったことだ。もちろん一部には心理学的な知見を応用したものもあるし、それは示されてもいる。だが一方で、あまり専門性を感じないソリューションが目についたことも確かだ。著者たちが述べるように、その課題に気づくこと自体が重要なのだからそれでもいいのだろうけど、え?それでいいの?と思うところもあった。

というわけでここからが本題。本書の冒頭に出てくる事例に、ワーキングマザーの調査というものがある。著者は(苦労しながら)ワーキングマザーの一日に同行し、家庭の中でどのような動き方をしているか観察する。その結果、彼女たちが自分のがんばりについて誰からも認められていないと感じていることを明らかにするのだ。

そこから著者は、リアルなワーキングマザーの感覚に基づく商品企画やCMの可能性について言及し、単なる「欲しい機能リサーチ」じゃだめですよという話をするのだけど、僕がクライアントで、リサーチにつけたスタッフから「ワーキングマザーに密着調査してみたら、彼女たちはとても苦労しているのに、承認されていないと感じていることが分かりました」とか返ってきたら、金返せと思うだろう。

心理学の研究においては、ワーキングマザーにとって仕事と家庭の両立は、重い心理的負荷であると同時に、その両方でモチベーションを高める効果があることも分かっている。いわゆる「いいプレッシャー」というやつだ。仕事と家庭の両立がそうした緊張感に繋がらず、「はやくご飯つくらなきゃ…」と呟きながらキッチンにへたり込んでしまうような悲惨なものになってしまう原因にまで切り込めなかったら、「大変ですね、分かります」とCMで訴えかけることはできても、せっかく調査した経験を活かして彼女たちの生活環境を改善するソリューションなんか出せないだろう。

いいプレッシャーと、孤立の中での疲弊を分ける原因は何か?たとえば家事に対する自己効力感からそれを考えることができるかもしれない。もともと料理に自信がある人なら、「あと20分で一汁三菜の晩ご飯を用意しないといけない」という状況も、いいプレッシャーだと感じて「よし、やるぞ」という気持ちになるだろう。でも料理が不得手で、一生懸命やってもお腹の空いた子どもを待たせてしまったり、料理を残されたりしてしまったら、「こんなに頑張っているのに認めてもらえない」という気持ちは高まるはずだ。

これはあくまで仮説ではあるけど、たとえばこの水準まで踏み込んで分析してくれれば、孤立感や承認不足感をおぼえているワーキングマザーの方が、自分を楽にしてくれる商品、サービスへのニーズが高いということになるし、逆に料理に自信のある人にとっては、「誰でも簡単に調理できます」という売り方をするとかえってプライドを傷つけることになる、といった風に商品企画や販売戦略を立てられると思う。

行動観察が面白く、またこれから重要な手法になることは間違いない。だからこそ入門ではあっても、この分野に関心を持ち、より高度に利用したいと思う層に「刺さる」内容を期待したかった、というのが全体の感想かな。

ビジネスマンのための「行動観察」入門 (講談社現代新書)
松波 晴人
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